童謡 たなばたさま
ささの葉 さらさら のきばにゆれる
童謡、たなばたさま。
作詞の権藤はなよは、
野口雨情に師事し、童謡や童話づくりに励んだ。
たなばたさまは、国定教科書に載せる歌として、
文部省から作詞を依頼された作品だという。
お星さま きらきら きんぎん すなご
「金銀」というのは、夜空に広がるお星様を。
「砂子」は、金箔などを粉状にしたもので、
伝統的な装飾方法として蒔絵などに用いられている。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
童謡 たなばたさま
ささの葉 さらさら のきばにゆれる
童謡、たなばたさま。
作詞の権藤はなよは、
野口雨情に師事し、童謡や童話づくりに励んだ。
たなばたさまは、国定教科書に載せる歌として、
文部省から作詞を依頼された作品だという。
お星さま きらきら きんぎん すなご
「金銀」というのは、夜空に広がるお星様を。
「砂子」は、金箔などを粉状にしたもので、
伝統的な装飾方法として蒔絵などに用いられている。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
roseロゼ
童謡 どんぐりころころ
どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変
大正時代に生まれた童謡、どんぐりころころ。
作詞の青木存義は、文部省で図書編集の仕事をしているときに
この歌をつくったという。
しかし彼の手がけた数々の唱歌は、
文部大臣の認可を受けていなかったため、
どんぐりころころが小学校で歌われるのは、
昭和初期まで待つことになる。
日本の三大童謡のひとつ、とも言われるこの歌だが、
平成になると、幻の3番が存在するという噂が流れた。
やっぱりお山が恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた
この2番の終わり方があまりに寂しかったため、
平和な終わり方をする続編が創作されたそうだ。
童謡の中にあるシンプルなドラマは、
柔らかな余韻をまとい、愛されていく。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
篁(たかむら)
童謡 われは海の子
我は海の子 白浪の さわぐいそべの松原に
童謡、われは海の子。
作詞、作曲者とも不詳になっているが、
児童文学者 宮原晃一郎、
または国文学者 芳賀矢一という説が有力と言われている。
果たして、この海は、どこなのか。
宮原だった場合は、彼の生まれ故郷である、
鹿児島県の鹿児島湾。
芳賀によるものなら、福井県の海になるのだろうか。
ふたつの海を、この目で確かめてみたくなる。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
童謡 ふじの山
あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして
明治時代に発表された童謡、ふじの山。
作詞の巌谷小波は、
水口藩の藩医という家柄もあり
医学への道を勧められていた。
しかし彼は進学を拒否し、文学の世界に身を投じた。
児童文学とおとぎ話を執筆する傍ら、
いくつかの唱歌を作詞している。
童謡 ふじの山は、駅の発車メロディや
防災無線のチャイムなどに採用され、
地域に愛される歌になっている。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
童謡 赤とんぼ
夕焼け 小焼けの あかとんぼ 負われてみたのは いつの日か
童謡、赤とんぼ。
この歌は、作詞をした三木露風の幼少時代の思い出がベースになっている。
5歳のとき両親が離婚し、露風は祖父に引き取られた。
十五で 姐やは 嫁にゆき お里のたよりも たえはてた
「姐や」は、実際の姉ではなく、子守をしていた女中をさす。
見知らぬ土地で、両親や親しい人と離れて暮らす。
この歌に潜む、言いようのない寂しさに、
私たちは心惹かれるのかもしれない。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
童謡 七つの子
からす なぜ啼くの からすは山に 可愛い七つの子があるからよ
大正10年に発表された童謡、七つの子。
作詞の野口雨情は、「赤い靴」「シャボン玉」など、
数々の名作を残している。
ときどき話題になるのが、
歌詞に出てくる「七つ」の意味。
年齢を表すのか、それとも子どもが七羽いる、ということなのか。
本当の意味を考えながら歌うと、
童謡の奥深さにあらためて気付かされる。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
童謡 夕日
ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む
ぎんぎん ぎらぎら 日が沈む
大正時代に生まれた童謡、夕日。
作詞の葛原しげるは、
高校の講師として教壇に立ちながら童謡を書いた。
当初、この歌の冒頭は
「きんきん きらきら」という歌詞だったが、
当時、小学2年生の娘からこんな指摘を受けたという。
「きんきん きらきら」は、朝日みたい。
夕日は「ぎんぎん ぎらぎら」のほうが合う。
子どもの素直な気持ちが、この歌を名曲に変えた。
今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。
趣味に生きる 土井利位
「雪の殿様」とは、
下総古河藩第4代藩主、土井利位のことだ。
雪の結晶を顕微鏡で観察した最初の日本人と言われている。
わざわざオランダ製の顕微鏡を長崎から取り寄せ、
試行錯誤を繰り返しながら、
20年にわたり雪を観察した。
雪の結晶86種類を描いた本の出版は、
世界初の偉業とされる。
その鮮やかな文様は広く知れ渡るようになり、
浴衣にデザインされるほど流行したという。
ひとつの物事を極めると、
新たなビジネスが生まれるのかもしれない。
趣味に生きる 榊原政岑
播磨姫路藩第3代藩主、榊原政岑は
遊芸を好み、放蕩三昧の暮らしを送った。
派手な出で立ちで江戸城を警備し、
まるで将軍吉宗の倹約令に逆らうように
贅の限りを尽くした。
また、当時、吉原一の美女と謳われた
高尾太夫を1800両で身請けし、
その際に開いた宴の費用は、
3000両をゆうに超えたとも言われている。
もちろんそのような振る舞いは将軍の怒りを買い、
越後高田への転封が命じられた。
新天地では必死に政務に励んだが、
翌年、31歳の若さで亡くなっている。
太く短く遊び抜くのも、また人生。
趣味に生きる 前田綱紀
加賀藩第5代藩主、前田綱紀は
学問を好み、図書の収集に心血を注いだ。
藩内に書物奉行を任命し、
全国各地に家臣を派遣して本を集めさせた。
お金で買えない古文書は、
借用して丁寧に写し取ったという。
蔵書は数十万点に及び、
儒学者、新井白石は「加州は天下の書府なり」と讃えている。
そしてまた、全国の工芸に関する道具、材料など
あらゆる資料を分野別にまとめた「百工比照」を編纂した。
たとえて言うなら、
人間図書館。人間博物館。
堅苦しいお城の中よりも、
本や美術品に囲まれて暮らしたかったに違いない。
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