佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 18年4月1日放送

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Photo by Sérgio Alves Santos on Unsplash
4月1日的な実験 マイケル・カニンガム

1984年。ルイビル大学のマイケル・カニンガム教授は、
女性を誘うときに効果的な言葉の研究をした。
100種類の口説き文句を、大きく三つに分類し、
シカゴのバーで実験を始めた。
平均的な魅力の男性が、一人で来ている女性客に声をかける。
好意的な反応が多かった口説き文句は、
「勇気を振り絞って声をかけました」という率直なもの。
反対に不評だったのは、
「君は昔好きだった人に似ている」などのような
軽薄な言葉だったそうだ。
こんな実験を大真面目にやっている人がいた。

今日はエイプリルフールですが、
これは嘘のような、本当の話。

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佐藤延夫 18年4月1日放送

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danielfoster437
4月1日的な実験 パトリックとギルバート

1895年。アイオワ大学の心理学研究員、
パトリックとギルバートは、
90時間起きたままだと人間はどうなるか、という実験を行った。
被験者の男は、
普通に仕事をこなし、ゲームを楽しみ、
1日目はのんびり過ごしていたが、
50時間を過ぎるころから、パトリックとギルバートを慌てさせた。
常に監視の目を光らせていないと、
男が居眠りを始めてしまうからだった。
なんとか眠らないままで迎えた2日目の夜。
被験者の男は幻覚が見え始め、
まともに歩くことすらできなくなった。
あとで理由を尋ねると、
床が、小刻みに揺れ動く小さなベタベタした粒子の層に見えたそうだ。
しかしパトリックとギルバートの興味は尽きない。
不眠不休で90時間を迎え、
ようやく眠りについた被験者を
電気ショックで目覚めさせる実験も行っている。

今日はエイプリルフールですが、
これは嘘のような、本当の話。

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佐藤延夫 18年4月1日放送

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chrisinphilly5448
4月1日的な実験/グロスとドゥーブ

1966年。スタンフォード大学の学生、グロスとドゥーブは、
心理学の奇妙な実験を行った。
信号が青になっても動かない車に対し、
後ろのドライバーは、どれくらいの時間でクラクションを鳴らすか。
動かない車は、大衆車と高級車の2種類を用意した。
ちなみに結果は、
ボロボロのフォードにクラクションを鳴らす時間は、平均6.8秒。
高級車クライスラーの場合は、平均8.5秒だった。
人は皆、金持ちに弱いのである。
こんな実験が、大真面目に行われていた。

今日はエイプリルフールですが、
これは嘘のような、本当の話。

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佐藤延夫 18年4月1日放送

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Photo by Louis Blythe on Unsplash
4月1日的な実験 ユルゲン・クラップロット

1976年。ドイツのユルゲン・クラップロット教授は、
「大学教授のあごひげが学生に及ぼす影響」というテーマで
実験を行なった。
最初の二学期は、ひげのない顔で授業をして、
次の一学期はあごひげをたくわえた風貌で。
最後の一学期は、ひげを剃った状態に戻した。
その印象について学生にアンケートを取ったところ、
決断力、緻密さ、知性など多くの面で
「ひげのない状態」のほうが優れた結果を残した。
ただし、気取らず大らか、という点では
「ひげのある状態」が上回った。
こんな実験が、大真面目に行われていた。

今日はエイプリルフールですが、
これは嘘のような、本当の話。

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佐藤延夫 18年4月1日放送

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Tibor Kelemen
4月1日的な実験 バーバラ・J・ロールズ

1976年。ペンシルベニア州立大学のバーバラ・J・ロールズ教授は、
空腹感についての実験をした。
実際に、試してみましょう。
質問。次のメニューのうち、どれが一番、お腹いっぱいになると思うか。
1、チキンと野菜のシチュー。
2、チキンと野菜のシチュー、そして、コップに入った350cc程度の水。
3、チキンと野菜のシチューに350ccの水を加えて、スープ状にしたもの。
カロリーは変わらないのに、
被験者たちが最もお腹いっぱいに感じたのは、
3番のスープだった。
ロールズ教授は、こう結論づけた。
「おそらく、スープの見た目に、満腹効果がある」
こんな実験が、大真面目に行われていた。

今日はエイプリルフールですが、
これは嘘のような、本当の話。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

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逆境を生きる クロード・モネ

印象派を代表する画家、クロード・モネは、
晩年、目の病に悩まされた。
83歳のとき、白内障で失明の危機に陥ったが、
3度の手術で視力を取り戻した。
一般的に、白内障の手術をすると
青系の光が網膜に多く達するように感じて
青白い世界に見えるそうだ。
たしかに、このころの睡蓮は青みが増している。
さらに晩年になると、
輪郭がぼやけ、全体的に黄色がかった色彩に変わった。

光の魔術師と呼ばれる巨匠は、
自らの光に対しても、真摯に立ち向かった。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

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逆境を生きる ポール・セザンヌ

近代絵画の父、ポール・セザンヌを
20年近くも苦しめたのは、糖尿病だった。
51歳のとき、その兆候が現れたが、
セザンヌは、アトリエのある山小屋まで毎日歩き、
質素な食事を心がけた。
この運動療法と食事療法が、
症状の悪化を食い止めたと言われている。
しかし晩年は、糖尿病の影響で
神経痛や目の病気も患っていた。
それでもセザンヌは、こんな言葉を残している。

「私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ。」

糖尿病の治療に役立つインスリンの抽出に成功したのは、
彼が亡くなって15年後のことになる。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

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逆境を生きる エドガー・ドガ

印象派の巨匠、エドガー・ドガの作品は、
室内を描いたものが多い。
目の病気に悩まされていたのも、その理由に挙げられる。
普仏戦争に従軍した際、
寒さに目をやられ、まぶしがり症を患った。
36歳のとき目の焦点が合わなくなり、
40歳で右目の視力を失う。
晩年はほとんど何も見えなかったそうだ。
しかし彼は、薄れゆく視界の中で、
恐怖に苛まれながら、何かを掴んだのだろう。
のちに、盟友であるルノワールはこんな言葉を残している。

「ドガが真のドガとなったのは、50歳以降だ。」

芸術は、心でつくられる。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

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逆境を生きる ピエール・ルノワール

フランス印象派の画家、ピエール・ルノワールは
リウマチと闘っていた。
47歳のとき、この原因不明の病は、
両手両足の痛みを伴い、彼の体に押し入った。
関節炎と診断され、リハビリで回復した数年後、
サイクリング中の事故で右腕を骨折。
関節リウマチの病状を加速させることになった。
手足の硬直や、顔面神経痛。
70歳を過ぎると車椅子に座ったまま作品に向かった。
場合によっては、筆を手に縛り付けることもあったという。
だが、たとえ健康を犠牲にしてでも創作意欲が尽きることはなかった。
それはルノワールの言葉が表している。

「痛みはいつか消えるが、美は永遠に残るじゃないか。」

芸術家としての、生き様があった。

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佐藤延夫 18年3月3日放送

180303-05

逆境を生きる フランシスコ・デ・ゴヤ

スペインの宮廷画家、フランシスコ・デ・ゴヤ。
46歳のとき、強烈なめまい、腹痛、発熱、衰弱、難聴など
悪夢のような症状に見舞われた。
メニエール病や原田病、脳の感染症などの病気が疑われたが、
原因もはっきりしないまま、聴力を失った。
しかし、ゴヤの代表作の多くは、
それ以降に描かれている。
晩年には、目も見えなくなり、
書くことも読むこともできなくなっていたそうだ。
彼は言う。

「絵画とは、全て犠牲と決断である。」

その覚悟は、心に響く。

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