佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 17年12月2日放送

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絵本作家の心 レオ・レオーニ

オランダ出身の絵本作家、レオ・レオーニ。
29歳のときアメリカに亡命し、
広告代理店や新聞社でグラフィックデザイナーとして働いた。
絵本作家という肩書きでデビューしたのは、49歳。
ある日、孫にお話をせがまれたとき、
その絵本は、偶然に生まれた。
水彩画の抽象的な青と黄色。
いびつな物体が登場人物だ。
「あおくんときいろちゃん」。
世界で愛され続ける名作となった。

どの世界でも言えることだが、
本人が楽しんで創ったものほど
良い作品が多いのはなぜだろう。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

171202-02

絵本作家の心 レイモンド・ブリッグス

漫画のようなコマ割りの手法で
絵本の新しい分野を切り開いたのは、
イギリスの絵本作家、レイモンド・ブルックス。

「絵本が唯一の私の表現手段だ。」
そう語るとおりに、
作品にメッセージをちりばめる。
現実的な世界と、ファンタジー。
その両方を描き分ける彼の作風は、
子供だけでなく大人の読者も視野に入れている。

「さむがりやのサンタ」、「スノーマン」など、
彼の代表的な作品は、この季節に読みたくなる。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

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Gianfranco Goria
絵本作家の心 アネット・チゾン&タラス・テイラー

世界で最も有名なキャラクターのひとつ、
バーバパパが生まれたのは、
フランスの小さなカフェだった。
そのとき設計士をしていたアネット・チゾンと、
まだフランス語を話せなかった、タラス・テイラー。
テーブルに敷かれていた紙に
落書きのように絵を描いていたら、
あの独特のキャラクターが誕生した。
ちなみに「バーバパパ」とは、
フランス語で“おじいさんのひげ”または“綿菓子”を意味する。
ある日、公園で偶然聞こえてきた「バーバパパ」という言葉は、
ピンクの綺麗な綿菓子のイメージと重なり、
愛すべきキャラクターの名前になった。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

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againstthetide
絵本作家の心 エリック・カール

アメリカの絵本作家、エリック・カール。
色をつけた紙を切り、貼り付けていくコラージュという手法は、
美術学校時代に身につけたという。

「はらぺこあおむし」
「くもさん おへんじ どうしたの」
「だんまりこおろぎ」
「さみしがりやのほたる」

彼の代表的な四部作は、
どれも主人公が虫であり、
元のタイトルは、

「The Very Hungry Caterpillar」
「The Very Busy Spider」
「The Very Quiet Cricket」
「The Very Lonely Firefly」

全てに「Very」という言葉がつくのは
エリックの遊び心。
そして全ての絵本に独特の仕掛けがある。

「私は自分の直感を信じ、自分に正直に絵本を作っている。
 この点では決して妥協をしない。」

その楽しげなデザインだけではない。
しっかり筋が通った絵本なのである。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

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Dolph Kohnstamm
絵本作家の心 ディック・ブルーナ

絵本の中のミッフィーは、いつも口をつぐんでいる。
その理由は、
絵の表情に左右されることなく、
子どもが想像力で楽しむ余地を残すため。
オランダ出身の絵本作家、ディック・ブルーナは、
そんなシンプルさを追い求めた。
キャラクターは表情を変えないが、
後ろ姿やレイアウトで心情を表現する。
言葉にリズムが生まれるように、
文章は何度も何度も書き直す。
子どもが2回読めば暗記できてしまうほどシンプルに。

子どもの気持ちを一番に考えた絵本作家は
今年、89歳でこの世を去った。
だが、彼のスタイルは永久に本の中で微笑み続ける。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

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inefekt69
作家と京都 夏目漱石

夏目漱石は、生涯で四回、京都を訪れている。

最初は26歳の夏、親友の正岡子規とともに。
そのとき衝撃を受けたのは、
初めて口にする食べ物「ぜんざい」だった。
汁粉に目がない漱石は、その味を絶賛している。
41歳の冬。二度目の京都では、
厳しい寒さに舌を巻いた。
その後も、43歳の秋。
亡くなる前の年、49歳の春にも京都を旅している。
そして、こんな言葉を残した。

「見る所は多く候 時は足らず候。」

11月の京都は、
時間がいくらあっても足りなくなりそうだ。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

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Thilo Hilberer
作家と京都 井上靖

井上靖は、青春時代を京都で過ごした。

学生のころ、同じ下宿の親友と何度も訪れた龍安寺。
石庭の静寂とした美しさに、永劫不変の命を感じた。
大阪の新聞社に勤めてからも、
仁和寺の仁王門をくぐりにわざわざ出向いている。
そのためか、京都を舞台にした作品は多い。
短編に登場する「きぬかけの道」。
龍安寺と仁和寺を結ぶこの道は、
彼の散歩道でもあった。

11月の京都は、歩いても歩いても、歩き足りない。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-03
tetsukun0105
作家と京都 与謝野晶子

歌人、与謝野寛は、弟子二人を誘い、秋の京都に向かった。

弟子のひとりは、鳳晶子だった。
三人は永観堂で紅葉狩りを楽しんだあと、
寛の定宿、華頂温泉に泊まった。
その日、晶子が詠んだ歌は、
今も永観堂の境内、弁天池に残されている。

 秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき

明治33年11月5日のことだった。
翌年の正月、晶子と寛は再び京都で落ち合い、
密かに愛を育んでいる。

11月の京都は、内なるものを駆り立てるのだろうか。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-04
heiyo
作家と京都 谷崎潤一郎

潺湲、という言葉がある。
文字を見ると難しいが、
意味は、水の流れる様子や音のことだ。

作家、谷崎潤一郎は、
京都下鴨に居を構えたとき、屋敷を潺湲亭と名付けた。
石畳を歩き桧皮葺の中門をくぐると、
池泉回遊式の庭が広がっている。
母屋の縁側から橋が通じており、
離れの奥に、滝の流れる築山が見えた。

谷崎はこの地に7年間暮らしたのち、
熱海に転居するのだが、春と秋には必ず京都に赴き、庭を眺めた。

この家を手放すとき、
現状のまま使ってもらいたい、という谷崎の願いは叶えられ、
「石村亭」という名前で、次の持ち主によって大切に管理されている。

京都には、谷崎潤一郎の愛した風景が残っている。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-05
どらどら
作家と京都 芥川龍之介

京都は東山区にある青蓮院。
境内の巨大なくすのきが長い歴史を感じさせる。
この庭は、芥川龍之介も好んだという。

室町時代、相阿弥によって造られた庭園は、
粟田山を借景にした池泉回遊式となっており、
紅葉の時期は言葉を失うほどの美しさに包まれる。
芥川は、室生犀星にこんな手紙を送っていた。

 粟田口の青蓮院も人は余り行かぬところなれど
 夜も小ぢんまりとしてよろし
 是非みるべし

現在は境内がライトアップされている。
夜の紅葉も、是非みるべし。

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