佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 17年10月1日放送

tanizaki

住まいが語るもの/谷崎潤一郎

近代文学の作家は、
引越しを好む者が多かったが、
その中でも群を抜くと言われているのは
谷崎潤一郎だ。

三人目の妻、松子夫人と暮らした住居、倚松庵は、
転居に次ぐ転居の中で、比較的長く滞在したと言える。
応接間は全てフローリング。
ドアにはステンドグラスがはめ込まれ、
冬は備え付けの薪ストーブに火を入れた。

「細雪」を執筆した当時の住まいであり、
部屋の細部まで作中に描写されている。

家は、作品に奥行きを与える。

topへ

佐藤延夫 17年10月1日放送

tubouti

住まいが語るもの/坪内逍遥

作家、坪内逍遥が晩年、居を構えたのは
熱海の水口村だった。
それまでの仕事場だった荒宿は
少しずつ騒がしくなり嫌気がさしていた。
閑静な場所を選び、
自ら図面を引いた新たな住まい。
そこには立派な柿の木が二本立っており、
双柿舎と名付けられた。

母屋は茅葺の二階建て。
応接間のほかに十畳の客間、
七畳の茶の間があり、
二階は書斎となっている。

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。」

そんな言葉を残した逍遥。
全てを俯瞰で見つめる作品は、
こだわり抜かれた一室で突き詰められた。

topへ

佐藤延夫 17年10月1日放送

Mushanokoji_Saneatsu_in_1947

住まいが語るもの/武者小路実篤

武者小路実篤が晩年に暮らしたのは、
調布、仙川の住まいだった。
モダンな木造平屋建て。
玄関を入ってすぐの応接間には
洋風の調度品が並べられ、
編集者や画商など、客人が耐えなかったそうだ。
そして、当時はまだ珍しかったという
広いテラスやサンルーフも備えられている。

「自分の仕事は、自分の一生を充実させるためにある。」

実篤は、武蔵野の自然とともに
亡くなる前の年まで創作活動に没頭した。
現在もこの住まいは、実篤公園に残されている。

topへ

佐藤延夫 17年10月1日放送

soseki

住まいが語るもの/夏目漱石

文豪 夏目漱石は、
生涯、借家暮らしだった。

ロンドンからの帰国後、
文京区千駄木に居を移す。
かつて森鴎外も暮らしたというその家は、
いわゆるオーソドックスな日本家屋で、
六畳の居間と書庫、八畳の座敷、
女中部屋の前には中廊下が備えられている。
ここで漱石は名作「吾輩は猫である」を執筆した。
鼠と戦った台所、猫のためのくぐり戸など、
作中に家の様子を垣間見ることができる。

「私は家を建てる事が一生の目的でも何でも無いが、
 やがて金でも出来るなら、家を作って見たいと思つている。」

漱石の思いが叶うことはなかったが、
「猫の家」と呼ばれるこの住居は、
愛知県の明治村に移築、公開されている。

topへ

佐藤延夫 17年10月1日放送

takuboku

住まいが語るもの/石川啄木

詩人、石川啄木は、
生涯、貧しさとともに暮らした。

啄木と妻、そして母の三人で
農家の住まいを間借りする生活。
二階の板の間が、彼らに与えられた
たったひとつの空間だった。
啄木の日記には、こう記されている。

「この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接間。」

のちに上京し、新聞社の校正係に採用された啄木は、
本郷で六畳二間の部屋を借りて創作に励んだ。
もちろん、妻と母も一緒に暮らした。

当時一階にあった床屋は、
今もなお営業を続けている。

topへ

佐藤延夫 17年10月1日放送

qo9edr0000007y6g

住まいが語るもの/江戸川乱歩

作家、江戸川乱歩が晩年に暮らした
池袋三丁目の住居は、
ミステリアスな彼のイメージそのものだった。

母屋の奥に、純和風の土蔵があり、
二階の書斎で多くの作品を執筆した。
彼もお気に入りの場所だったが、
冬の寒さは耐え難いものがあったという。

「現世は夢。よるの夢こそまこと。」

乱歩は家を移るごとに
住居の見取り図を丁寧に作っていた。
これも推理小説のトリックに利用したのだろうか。

topへ

佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-01
Kotomi_
椅子の話 ウィリアム・モリス

サセックス・チェア。
黒塗りのブナ材を、ほぞ組みにしたシンプルな椅子。
座るところは、い草編みになっている。

この椅子が生まれたのは、19世紀のイギリス。
モダンデザインの父、ウィリアム・モリスの設立した
モリス商会が販売を始めた。
それは、大量生産や商業主義に異を唱え、
職人による手作りの作品を啓蒙するものでもあった。
ウィリアム・モリスは語る。

「役に立たないもの、美しくないものを家に置いてはならない。」

100年以上前のデザイナーは、シンプルライフを知っている。

topへ

佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-02
Yanajin33
椅子の話 チャールズ・マッキントッシュ

ヒルハウス・ラダーバックチェア。
梯子のようにそびえ立つ背もたれに目を奪われる。
高さは、141センチ。

1902年に誕生したこの椅子は、
スコットランドの建築家、
チャールズ・レニー・マッキントッシュによるものだ。
彼が優先したのは、使い勝手よりもデザイン。
マッキントッシュは語る。

「建築はあらゆる美術の総合であり、全ての工芸の集合である。」

ヒルハウス・ラダーバックチェアは、
座るというよりも、観賞用がふさわしい。
ニューヨーク近代美術館の所蔵作品になっている。

topへ

佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-03
sailko
椅子の話 ヘリット・リートフェルト

レッドアンドブルー・チェア。
名前の通り、真っ赤な背もたれに、青の座面。
この椅子は、直線と平面だけで構成されている。

作者は、オランダの建築家、ヘリット・リートフェルト。
20世紀前半、オランダでは、
芸術を急進的に革新するムーブメントが巻き起こった。
彼はその主要メンバーに名を連ねている。
作品もまた、伝統的な様式を排除し、
肘掛けが片方だけのベルリンチェア、
印象的なフォルムのジグザグチェアなど、
今までにない実験的な椅子を数多く手がけた。
リートフェルトは語る。

「建築が想像するのは空間である。」

余白を使いこなしてこそ、一流。

topへ

佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-05
Lars Plougmann
椅子の話 アルネ・ヤコブセン

エッグチェア。
椅子本体は、硬質発泡ウレタン製。
卵を連想させるデザインが印象的で、数々の映画にも登場している。

デンマークの建築家、アルネ・ヤコブセンは、
新素材を使った椅子を多く手がけている。
一体型の成形合板を使用したアントチェアは、
人々の注目を一身に集めた。
その後、アントチェアの奥行きと幅を広げたセブンチェアを設計。
世界で500万本以上も販売する大ヒット商品となっている。
そんな彼の言葉。

「美しいものを作るのではなく、必要とされているものを作る。」

計算され尽くした彼のトータルデザインは、時を経ても色褪せない。

topへ


login