佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-04
Jim
椅子の話 ミース・ファン・デル・ローエ

バルセロナ・チェア。
特徴は、エックス字型のフレームと革張りのシート。
オットマンとのセットがまた美しい。

1929年、バルセロナ万博のドイツ館に置かれたこの椅子は、
ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエによって
デザインされた。
当時のスペイン国王、アルフォンソ13世が来館した際に
座ってもらう予定だったが、国王は訪れなかったそうだ。
ミース・ファン・デル・ローエは、
バウハウスの3代目校長を務めたのち、
アメリカに亡命し、ニューヨークの超高層ビルを設計した。
そんな彼の言葉。

「神は細部に宿る。」
「より少ないことは、より豊かなこと。」

デザインだけでなく、数々の名言も残している。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-01
FoeNyx
学者のこころ 伊藤圭介

理学博士 伊藤圭介は、
幕末から明治時代にかけて
日本の植物学を牽引した一人だ。

シーボルトと親交を深め、
彼から譲り受けた本を訳す中で、
さまざまな言葉をつくっている。
「雄しべ」、「雌しべ」、「花粉」など、
今でも日常で使われる植物学用語は、
伊藤が生み出したものだ。

シーボルトは、伊藤の功績を讃え、
アシタバ、スズランなどの学名に、
keiskeという言葉を入れている。

図鑑に名前が載る仕事。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-02

学者のこころ 山川健次郎

明治、大正時代の物理学者、
山川健次郎は、白虎隊の生き残りだった。
会津藩が降伏すると謹慎を命じられたが、
越後に落ち延び学業に勤しんだ。
その後、留学生として渡米。
物理や土木工学を学び、
日本で初めての物理学教授になっている。

明治時代に世間を騒がせた千里眼事件では、
物理学者という立場で実験に立ち会い、
不審な点を暴いている。

粗末な家に住み、毎朝3時に起床。
清廉潔白で、学生思いの教授だったという。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-03

学者のこころ 藤原咲平

気象学者の藤原咲平は、
富山湾に何度も出向き、
蜃気楼のメカニズムを解明した。

海岸や湖岸で冷たい空気が停泊しているところに
陸地から温かい風が吹き込んだ場合、
水面上に冷たい空気のレンズ状の層ができる。
それにより光が屈折し、蜃気楼が発生する。
この緻密な観察には、驚きの声があがったという。

やがて藤原は中央気象台長となるが、
折しも太平洋戦争と重なり、
気象情報は軍事機密とされた。
また、新聞でもラジオでも、
天気予報の発表が禁止されている。

学者の本分も、戦争が破壊する。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-04

学者のこころ 石原純

理論物理学者、石原純は、
大学生のときに読んだ相対性理論に感動し、
自分もその研究をしようと思った。
日本で初めて相対性理論の論文を書き、
ヨーロッパへ留学の際には、
実際にアインシュタインらのもとで学んでいる。
帰国後は、日本物理学の草分けとして研究を重ねた。
アインシュタイン来日時には、通訳も務めている。

また、石原は物理学のほかに和歌も嗜んだ。
チューリヒでアインシュタインと面会したときに、
こんな歌を詠んだ。

名に慕へる 相対論の創始者に われいま見ゆる こころうれしみ

憧れる人に出会ったときの感動は、
数式では表せない。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-05

学者のこころ 菊池大麓

明治、大正時代の数学者、菊池大麓は
幼いころからエリートだった。
6歳から英語と数学を習い始め、
9歳のときには教える立場になっていた。
幕府の命によりイギリスに留学。
ケンブリッジ大学でも主席の成績をおさめ、
帰国して東京大学の教授に任命されたのは、
22歳という若さだった。

菊池は、留学中にラグビーの試合に出場したという。
そう考えると、日本初のラグビープレーヤーは、
菊池大麓だったのかもしれない。

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佐藤延夫 17年7月1日放送

170701-01

童謡のこころ 赤とんぼ

童謡「赤とんぼ」。
詩人の三木露風は、
修道院の国語教師をしていた時代に
この歌をつくった。

 夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か

窓の外に見える赤とんぼに、
幼き日の情景が重なる。
母は、家庭をかえりみない父に愛想を尽かし、
まだ小さな自分を祖父に預け、
実家に帰ってしまった。
あのとき、自分をおぶってくれた人、
それは母ではなく、子守娘だった。

今日7月1日は、童謡の日。
人生を切り抜いた歌は、心に響く。

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佐藤延夫 17年7月1日放送

170701-02
mermaid99
童謡のこころ いぬのおまわりさん

童謡の歌詞を考えるのは、難しい。
詞が長いと子どもが覚えられないし、
流行らなければ、意味がない。

「いぬのおまわりさん」を作詞した佐藤義美は、
歌詞が長すぎるという編集者の言葉に耳を塞ぎ、
あらゆる修正を拒否したそうだ。

 まいごのまいごの こねこちゃん あなたのおうちは どこですか

佐藤の狙い通り、この歌は子どもたちの心を掴み、
50年以上経った今でも人気の曲となっている。

今日7月1日は、童謡の日。
簡単に聞こえる歌ほど、作り手の魂が込められている。

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佐藤延夫 17年7月1日放送

170701-03
Paul Hoi
童謡のこころ 月の砂漠

大正時代の画家、加藤まさを。
ロマンチックな乙女の世界を描き、
少女たちから圧倒的な支持を受けた。
結核の療養で訪れた千葉の御宿海岸で、
彼は、童謡「月の砂漠」を書いたと言われている。

 月の砂漠を はるばると 旅の駱駝が ゆきました

9番まで続くこの歌は、
王子と王女の物語になっており、
どこかへ落ち延びていくような寂しさを持つ。
加藤は御宿をたいそう気に入り、余生もこの地で過ごしたという。

今日7月1日は、童謡の日。
童謡は、年をとってから聞くのも味わい深い。

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佐藤延夫 17年7月1日放送

170701-04
野鳥大好き
童謡のこころ 春の小川

童謡、春の小川。
作詞をした高野辰之が住んでいたのは、
東京都渋谷区代々木三丁目。
小田急線の参宮橋から6分ほど歩くと、
彼の住居跡の柱が今も残っている。
この歌のモデルとなった、
宇田川の支流、河骨川。
春になると、スミレやレンゲが咲き誇る
のどかな川べりだったそうだ。

 春の小川は さらさら流る 歌の上手よ いとしき子ども
 声をそろへて 小川の歌を うたへうたへと ささやく如く

これは、春の小川の三番だ。
子どもがいなかった辰野は、
兄の次女を幼女に迎えた。
愛する娘との思い出を描いた三番は、
のちに削除されてしまう。

今日7月1日は、童謡の日。
歌の中に、古き良き日本が眠っています。

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