佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 17年7月1日放送

170701-05

童謡のこころ 十五夜お月さん

童謡「十五夜お月さん」。
作詞をした野口雨情は、
波乱の人生を送っている。
父の事業が失敗し家督を継いだが、
窮屈な結婚生活に嫌気がさし
妻に別れを告げた。

 十五夜お月さん 母さんに も一度 わたしは 逢いたいな

のちに雨情の息子が、当時の記憶を辿っている。
「あれは、明るい月夜の晩、
 僕は父の着物の袖を握りしめて、母の後ろ姿を見送った。」
樺太に渡り、また事業に失敗し、
失意の中、日本に戻ってきた雨情。
お月様は、どんなふうに見えたのだろう。

今日7月1日は、童謡の日。
嬉しさも、悲しみも、歌の中にある。

topへ

佐藤延夫 17年6月3日放送

170603-01

その次の人生 今川氏真

桶狭間の戦いで敗れた今川義元の嫡男 氏真。
お家復興もままならず、
妻の実家である北条家に落ち延び、
その後、徳川家康の庇護を受ける。
ダメな二代目という評価をされがちな氏真だが、
一人の人間として見ると、かなり能力は高い。
塚原卜伝から学んだ剣術は、免許皆伝の腕前。
蹴鞠の技も確かで、織田信長の前でも披露したという。
そして和歌は1700首以上詠んだ。

 なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして

生まれた時代が違えば、評価が180度変わった男。

topへ

佐藤延夫 17年6月3日放送

170603-02

その次の人生 水野勝成

徳川家康の従兄弟にあたる武将、水野勝成。
15歳で初陣を飾ると、
戦場であまたの活躍をみせる。
だが、父の家臣を斬ってしまい、
それがもとで勘当されると、
長い放浪生活にはいる。
武芸に秀でており、
傭兵のように戦国の世を渡り歩き、
行く先々で手柄をあげた。
このまま流浪の武将になるかと思いきや、
父と和解し、家督を相続した。
猪突猛進型の武将だったが、
藩主としては、知的で堅実な政治を行っている。

topへ

佐藤延夫 17年6月3日放送

170603-03

その次の人生 木下勝俊

木下家定の嫡男、勝俊。
太閤秀吉の正室 ねねの甥にあたり、
さまざまな恩恵を受けて育てられた。
幼少から秀吉に仕えてきた勝俊だが、
彼が才能を発揮したのは、
武士よりも歌人として、だった。
関ヶ原の戦いに際し、
敵前逃亡の疑いで領地を没収されると、
彼らしい人生の幕が開く。
隠居暮らしを始め、木下長嘯子と名乗り、
思うがままに歌を詠んだ。
大名や文化人、幕府の要職につく人物たちと交流したという。

 よしあしを 人の心にまかせつつ そらうそぶきて わたるよの中

自分のやりたいことのために、生き方を変えた男。

topへ

佐藤延夫 17年6月3日放送

170603-04

その次の人生 山中幸元

戦国時代、生涯を賭けて尼子家に尽くした山中鹿介。
お家の没落を防ぐことは叶わず、悲運の武将とも言われている。
その息子である山中幸元は、
武士という身分を捨てて酒造業をはじめた。
店の名前は、鴻池屋。
住んでいた地名から拝借した。
彼を救ったのは、運とアイデアだった。
ある日、使用人が叱られた腹いせに灰を酒樽に投げ込むと、
濁り酒が透明な酒に変わったという。
これが清酒の始まりとされている。
そして、伊丹から江戸へ、馬や船による酒の大量輸送で、
事業は飛躍的に拡大した。
のちに海運業や両替商でも成功し、
鴻池は、江戸時代最大の財閥となっていた。

挫折も、幸運も、気まぐれにやってくる。

topへ

佐藤延夫 17年6月3日放送

170603-05
663highland
その次の人生 上田宗箇

豊臣秀吉に仕えた武将、上田宗箇。
武芸に優れ、一番槍の猛将と恐れられる一方、
千利休、古田織部の門下となり、
茶の湯や作庭にも傾倒していった。
関ヶ原の戦いで破れ出家すると、
造園の依頼が舞い込む。
徳島城表御殿の庭園や、
和歌山城西の丸庭園などは彼の手によるものだ。
その後、再び召し抱えられ、数々の武勲をあげつつ
晩年は茶の湯、作陶など悠々自適の余生を過ごしたという。

身を助けるのは、やはり一芸なのだ。

topへ

佐藤延夫 17年5月6日放送

170506-01

天才の嗜好 オリヴァー・ヘヴィサイド

イギリスの物理学者、オリヴァー・ヘヴィサイド。
電子回路設計と電磁気学のベクトル解析の基礎を築き、
1912年には、ノーベル賞の最終候補にまで残っている。
薄茶色の髪、口ひげをたくわえ
鋭い目つきをしており、見た目は英国紳士。
そんな男だが、変人だった。
極度の人嫌いで、部屋に閉じこもったまま。
食事はトレイに乗せてドアの前に置くように命じた。
暗闇を好み、締め切った屋内での作業を愛し、
さらにその部屋を、うだるように暑くした。
天才とは、紙一重なのである。

topへ

佐藤延夫 17年5月6日放送

170506-02

天才の嗜好 サミュエル・ジョンソン

18世紀の作家、サミュエル・ジョンソン。
シェイクスピアにまつわる多くの著作や、
英語辞典の編纂などで名を馳せ、
当時のイギリスで彼を知らない者はいなかった。
そんな男だが、変人だった。
食べ物を目の前にすると、飢えたライオンのように貪り食う。
また、道を歩きながら全ての柱に触り、
ドアを開ける際には、決まった歩数ぶん離れたところから飛び込んだという。
ただ、独特のユーモアは持っていた。
彼の英語辞典の一部を紹介しよう。

麦:イギリスでは馬の餌になっている穀物だが、
  スコットランドでは人間の食料になっている。

topへ

佐藤延夫 17年5月6日放送

170506-03

天才の嗜好 ジェレミ・ベンサム

イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサム。
彼の才能は幼少期に開花した。
3歳でイギリスの歴史を理解し、
5歳でギリシャ語とラテン語を読み、
15歳でオックスフォード大学を卒業した。
彼の発表した、政治と経済に関する数多くの著書は、
政治家を唸らせるほどのものだったという。
そんな男だが、変人だった。
彼の友達は、おびただしい数のネズミで、
放っておけば何時間でも撫でていたそうだ。
そして家庭用品に人間の名前をつけた。
ティーポットは「ディック」、
ステッキは「ダップル」と呼んでいた。
彼のミイラ化した遺体は、ロンドン大学に展示されている。
もちろん彼の遺言どおりの処置である。

topへ

佐藤延夫 17年5月6日放送

170506-04

天才の嗜好 ヘンリー・キャベンディッシュ

イギリスの物理学者、ヘンリー・キャベンディッシュ。
彼の研究は多岐にわたり、その功績はあまりに輝かしい。
水が元素ではなく、水素と酸素の化合物であることを発見した。
火薬の発火防止法や、金合金の物理的性質。
オーロラの高度を調べ、ヒンズー教の暦を復元し、
地球の重さまで測定した。
そんな男だが、変人だった。
史上最高の科学者のひとりだが、
史上最高にシャイな性格で、
会話中に彼の顔を覗き込むことは禁じられた。
もちろん交友関係も一切なく、
親密と言われる甥ですら1年に30分しか会うのを許されなかった。
特に女性に対して内気で、
家政婦にもメモを残すだけだったという。
そして彼は、一冊の本も出さず、
研究の多くを発表しないままこの世を去った。
誰も彼の心の中を知ることはできない。

topへ


login