佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-03
Ernie-e
わたしの宇宙 ジョルジュ・ルメートル

アインシュタインの理論を元にした宇宙研究とは、
むらがなく、あらゆる方向に同じ速度で膨張することを意味した。
「その宇宙は、いかにして始まったか」
という命題に対し、ベルギーの天文学者ジョルジュ・ルメートルは新たな説を唱えた。
宇宙は熱い状態で始まって膨張する。
いわゆるビッグバン理論である。
彼はそれを、こんな言葉で表現した。

 この世界の進化は、終わったばかりの花火にたとえられる。

もうすぐ七夕。
きっと宇宙は、花火の余韻のように静かだ。

topへ

佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-04

わたしの宇宙 クルト・ゲーデル

晩年のアインシュタインを夢中にさせた数学者は、クルト・ゲーデル。
彼の有名な業績のひとつが、数論の不完全性定理だ。
数学の理論は完全ではなく、
自分自身に矛盾がないことを証明できない、というもの。
そして彼は、アインシュタインの方程式に新たな解を見つけた。
ゲーデルの宇宙は、回転する宇宙だった。
膨張せず、物質はすべて軸のまわりを一定不変の速度で回転する。
この宇宙では、時間旅行が可能になるそうだ。
さすがのアインシュタインも肝をつぶしたというのも納得がいく。
ただし実際に時間旅行をするには、
光に近い速さと、不自然な形に配置された物質が必要になるそうだ。

もうすぐ七夕。
時間旅行をすれば、織姫と彦星に会えるだろうか。

topへ

佐藤延夫 15年6月6日放送

150606-01

音楽家の妻 ハイドン

オーストリアの作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン。
彼が愛したテレーゼは美人と評判だったが、
なぜか修道院に入ってしまう。
その後、テレーゼの父親から姉のマリアをあてがわれ、ふたりは結婚した。
ハイドンより3つ年上のマリアは、
怒りっぽく、嫉妬深く、浪費家で、愛嬌さえもなかった。
さらには新曲の譜面を包み紙代わりに使っていたという。
40年後、マリアがこの世を去ったあと、
ハイドンは嬉々として多くの曲を書いた。
その中には「自由の男」「むなしい幸せ」、
そして「悪妻」というタイトルまであったそうだ。
音楽家の才能を開花させるなら、悪い妻がいいのかもしれない。

topへ

佐藤延夫 15年6月6日放送

150606-02

音楽家の妻 ベルリオーズ

フランスの作曲家、エクトル・ベルリオーズは、
24歳のとき、シェークスピア劇団の若手女優ハリエットに恋心を抱く。
ラブレターを送り、面会を頼むが、全く相手にされなかった。
3年後、違う女性と婚約しても
ベルリオーズは、ハリエットへの憎しみを募らせる。
その失恋体験を元に「幻想交響曲」という
代表作をつくりあげてしまうのだから不思議なものだ。
だが話はそこで終わらない。
婚約が破談になったかと思えば
幻想交響曲の再演で、ハリエットと再び出会い、
今度は結婚してしまうのだから、人生というのは実にわからない。

topへ

佐藤延夫 15年6月6日放送

150606-03

音楽家の妻 プッチーニ

イタリアの作曲家、ジャコモ・プッチーニは、
26歳のときに駆け落ちをする。
相手は、学生時代の友人の妻、エルヴィーラ。
当時のイタリアでは、簡単に離婚することができず
ふたりが一緒になれたのは、親友が亡くなったあとだった。
しかしプッチーニは女性を誘惑するために生まれてきたような男で、
常に諍いは絶えなかったそうだ。
人一倍、嫉妬心の強いエルヴィーラは、
ある日、プッチーニが女中と浮気していると騒ぎ立てた。
のちにそれは誤解とわかるのだが、
女中は自ら命を絶ち、大事件に発展してしまう。
そんな夫婦の関係もやがて修復したというから、愛の力はやっぱり偉大だ。

topへ

佐藤延夫 15年6月6日放送

150606-04

音楽家の妻 マーラー

オーストリアの作曲家、グスタフ・マーラー。
42歳のとき、19も年下のアルマと結婚するが、
彼女はいわゆる魔性の女で、多くの芸術家を虜にしていた。
アルマは、少女のころから美貌と才能に恵まれ、
芸術的センスだけでなく、男性遍歴も華々しかった。
画家のグスタフ・クリムトと付き合いながら
作曲家のアレクサンダー・ツェムリンスキーとも関係を持ち、
マーラーとの結婚後も、
建築家のヴァルター・グロピウスに求婚されている。

ダロピウスの存在に苦しんだマーラーは翌年に死亡。
31歳の未亡人になったアルマは
画家のオスカー・ココシュカに恋をしつつ
結局、グロピウスと結婚したかと思ったら数年後に離婚し、
ひと回り年下の作家フランツ・ヴェルフェルと再々婚する。
あの偉大なマーラーも、彼女にしてみれば、男の中のひとり。

topへ

佐藤延夫 15年5月2日放送

150502-01

生みの親/尚道子

15世紀のことになる。
琉球諸島を統括し、はじめて統一権力を確立した
尚思紹(しょうししょう)と嫡男の尚巴志(しょうはし)は、
琉球王国の歴史をつくった。

それから500年以上が経ち、
琉球王族の末裔に嫁いだ人がいた。
尚道子(しょうみちこ)さんは、料理研究家でもあった。

ウインナーに切れ込みを入れて食べやすくなり、
見た目も可愛い「たこさんウインナー」は、彼女が考案した。

このおかずは、今もなお
日本中のお弁当と子どもたちの心を統一している。

topへ

佐藤延夫 15年5月2日放送

150502-02

生みの親/華屋与兵衛

江戸は両国に「華屋」という寿司屋があった。
そこで評判になったのは、
鯖、小肌、アナゴなどを酢飯にのせた
江戸前の握り寿司。
なかでもネタとシャリの間に
わさびを挟み込むのが人気で、
この寿司屋はとても繁盛したそうだ。

主の名前は、華屋与兵衛。
天保の改革では、寿司が贅沢品とみなされ投獄の憂き目にあうが
寿司とわさびの組み合わせは、日本全国に広まっていった。

みんな、美味しいものには貪欲だ。

topへ

佐藤延夫 15年5月2日放送

150502-03
Carl E Lewis
生みの親/上杉謙信

笹の一種、クマザサには抗菌作用があり
古くから食品の保存に利用されてきた。
戦国時代、武士が戦に出るときに
携帯しやすく日持ちのするものとして考えられたのが、
団子をクマザサで包む「笹団子」だ。
真偽のほどは定かではないが、
考案したのは、かの有名な戦国武将、
上杉謙信という説もある。

昔から、端午の節句の供物だった笹団子。
もし、いただく機会があったら
出陣する武士の気持ちになってみるのもいいかもしれない。

topへ

佐藤延夫 15年5月2日放送

150502-04

生みの親/斎藤義政

大正時代、フルーツパーラーを経営していた斎藤義政は、
秋冬用の新メニューを考えていた。
イチゴやスイカなど人気の果物がない秋は、客足が遠のくからだ。

まずは、ヨーロッパで見た「パンチ」という甘いカクテルに
フルーツをたっぷり飾ろうと考えた。
では名前はどうするか。
当時の風刺漫画は「ポンチ絵」と呼ばれており、
そこからネーミングを拝借し、フルーツポンチに決まった。

季節のフルーツで彩られた新メニューは、
当初の狙いから大きく外れ、
一年中愛される看板メニューになったことは言うまでもない。

topへ


login