まあぽん
空海と桜
真言宗の教えを広めるため、東北地方を巡っていた空海。
岩手山が間近に見える場所で農民たちに説法を始めた。
その後、空海は村人の用意した握り飯を食べて休むと
ここに来た記念として、
桜の枝でつくった杖を地面に突き刺した。
杖はすぐに芽を出し、村人たちは大切に育てたそうだ。
そんな伝説の残る桜は、
岩手県雫石に行けば会える。
その名を、七つ田の弘法桜という。
まあぽん
空海と桜
真言宗の教えを広めるため、東北地方を巡っていた空海。
岩手山が間近に見える場所で農民たちに説法を始めた。
その後、空海は村人の用意した握り飯を食べて休むと
ここに来た記念として、
桜の枝でつくった杖を地面に突き刺した。
杖はすぐに芽を出し、村人たちは大切に育てたそうだ。
そんな伝説の残る桜は、
岩手県雫石に行けば会える。
その名を、七つ田の弘法桜という。
謙信と桜
越後の春日山城を本拠としていた上杉謙信は、
ひとたび武田氏や北条氏の軍勢が近づくと
手勢を従えて出兵し、激しい戦闘を繰り返した。
初めて群馬の地、相俣(あいまた)を訪れた際、
謙信は手にした桜の枝を逆さに地面に刺し、
「この枝が芽吹けば幸先良し」と
自らの運命を占ったという。
群馬県の天然記念物にも指定されている桜、
謙信の逆さ桜は、赤谷湖のほとりに
悠然とそびえ立っている。
mimin☆
又兵衛と桜
大坂夏の陣に出陣した後藤又兵衛は、
乱戦の中で討ち死にしたというのが通説だが
実は、ひとり落ち延びていた。
そんな伝説が残っている。
頭を丸め僧侶となり、
奈良のとある村で余生を送る又兵衛は
桜を慈しみ、我が子のように大切に育てたそうだ。
後藤家の屋敷跡に今でも残るのは、
樹齢300年を超える枝垂れ桜。
奈良県宇陀市にあるこの老木は、
又兵衛桜と呼ばれ、
毎年、多くの観光客が訪れている。
いなぴょん
政宗と桜
わずか23歳で奥州を制覇した伊達政宗。
初陣を飾ったのは、弱冠15歳のときだった。
戦いには多くの家臣が付き添ったが
戦況は芳しくなく、
たったひとりの家来と敗走する羽目になる。
そして辿り着いたのが、桜の巨木の前だった。
大きな桜の根元には空洞があり、
中に潜み身を隠して敵の目をかわし
九死に一生を得たという。
のちに大名にまで出世した政宗は、
このときの恩を忘れず
家臣を遣わし、桜の保護にあたらせたそうだ。
山形県長井市に立つ草岡の大明神桜は
樹齢1200年。
歴史を一身に背負う風格を持っている。
人体と会話した男たち アレクサンダー・フレミング
イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングが
ブドウ球菌の培養をしているときに、その事件は起こった。
実験中の皿に青カビが舞い込み、
ブドウ球菌の成長を止めてしまったのだ。
しかし彼は、この無惨な実験結果から
インスピレーションを得た。
青カビを培養し濾過した液体には
抗菌物質が含まれている。
世界初の抗生物質「ペニシリン」の発見だった。
偉大なる発見は、失敗から生まれることが多い。
人体と会話した男たち ウイリアム・ハーベー
「体の中を循環する血液。そのスタート地点は肝臓である」
「心臓の壁には無数の穴が空いている」
これは17世紀まで本当に信じられていた学説だ。
イギリスの解剖学者ウイリアム・ハーベーは、
それを真っ向から否定した。
彼の血液循環論によると、
血液はポンプの役割を果たす心臓を出発点とし、
動脈から静脈に流れ、また心臓に戻る。
今なら小学生でもわかりそうな知識だが、
そんな学説を唱えたハーベーを
当時の人々は「いかさまの医者」と陰口を叩いた。
真実はいつも困難を伴う。
人体と会話した男たち ロベルト・コッホ
ドイツの片田舎に住んでいた医者が、
妻に買ってもらった顕微鏡で
炭疽病の研究に没頭する。
そして炭疽病の原因は微生物だと突き止め、
特定の微生物が特定の病気を引き起こすことを
はじめて証明してみせた。
彼の名は、ロベルト・コッホ。
ただ一種類の細菌だけ純粋に培養する方法を編み出し、
それはやがて結核菌やコレラ菌の発見にまで繋がっていく。
細菌学の権威となったコッホは、活躍の場を世界に広げる。
南アフリカで流行病の治療法を研究し
インドに赴きペスト菌の免疫を調査すると、
再びアフリカへ向かった。
晩年、コッホは妻とともに世界一周をする。
だが残念なことに、若かりしころ顕微鏡を買ってくれた妻ではなく、
のちに再婚した30歳も年下の女性だった。
永遠の愛というものは、学者でもなかなか発見できない。
人体と会話した男たち 北里柴三郎
1860年に勃発した
フランスとプロイセンの戦い、普仏戦争では
兵隊の3分の1が破傷風で死んだと言われている。
治療法としては、病原菌の純粋培養が期待されたが
当時の技術では不可能というのが一般的な意見だった。
日本の医学者、北里柴三郎は
細菌学の権威、ロベルト・コッホに師事したのち、
破傷風の純粋培養に成功してみせる。
コッホは優秀な門下生の働きに、こう自慢したという。
「私のところには、北里がいる。」
人体と会話した男たち ルイ・パスツール
それは、世界最古の発見だった。
中国の遺跡で発見された陶器には
醸造酒の成分が残っていた。
つまり紀元前7000年あたりには
すでに酒が飲まれていたことを証明する。
それほど長い歴史を持ちながら、
「なぜアルコールができるのか」という
単純な理由が明らかになるのは、19世紀を待つことになる。
発見者はフランスの生化学者、ルイ・パスツール。
醸造業者から受けた依頼がきっかけだった。
ワインの樽が2つあり
片方は発酵してアルコールになるが
もう一方は酸っぱくて飲めないと言う。
パスツールは、
発酵した樽には酵母菌が存在し、
アルコール発酵の要因となることを突き止める。
そしてフランスの醸造業者の危機を救ったそうだ。
細菌学の権威とも言われるパスツールだが、
実はお酒の功労者でもあったりする。
パスツールさん。
いつも美味しいワインをありがとうございます。
人体と会話した男たち フレデリック・バンティング
膵臓から分泌されるインスリンが不足すると、
血液中の糖が増加していく。
今や10秒もあれば糖尿病の情報くらい
インターネットで簡単に見つけられるが、
ほんの100年前まで
その原因すらわかっていなかった。
カナダの医学者、フレデリック・バンティングは
膵臓のランゲルハンス島から分泌される
インスリンの抽出に成功する。
それはやがて遺伝子工学の扉を開くきっかけにもなるのだが・・・
ちょっと糖尿病が心配になった皆さん。
春になったら健康診断に行きましょう。
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