佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 14年8月2日放送

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izunavi
勉強入門 ニュートン

夏は受験の天王山、というけれど、
夏休みは、自分なりの勉強法を探す貴重な時間なのかもしれない。

イギリスの科学者、アイザック・ニュートンの三大業績といえば
万有引力、光のスペクトル、微積分。
ニュートンはそのほとんどを、学生時代の長い休暇中に思いついたそうだ。
どうやって大発見を成し遂げたのか。
それは、彼の言葉が教えてくれる。

  「問題をいつも自分の前におき、暁の一筋の光が射し込み
   それから少しずつ明るくなり、本当にはっきりしてくるまで
   じっと待っているのです」

考えて、考えて、考え抜いて、答えを見つける。
ニュートンの勉強法は、頭が疲れそうだ。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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cjohnlang
勉強入門 ダーウィン

幼いころからの趣味嗜好が、
いつしか、将来の仕事になっている。
それはとても幸せなことかもしれない。
イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの場合、
ものを集める収集癖が、その後の人生を決めたと言っていい。

少年時代は、貝殻や封筒のシール、石ころをかき集め、
ケンブリッジ大学に入ると、カブトムシに異常な愛情を示した。
そして、観察する力が鍛えられた。

  「容易に見逃されてしまう物事に気付き、
   それらを注意深く観察することにかけては、
   世間並みの人たちより優れていると思う」

ダーウィンは、自分でも認めているように、
「大きくなりすぎた子ども」なのである。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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勉強入門 チャーチル

たとえ成績が悪くても、
ひとつでも大好きな科目があれば、救いになる。
イギリスの政治家、ウィンストン・チャーチルは、
自分の得意な分野で能力を開花させた。

少年時代のチャーチルは、
6歳離れた弟と、いつも、おもちゃの兵隊で遊んでいたという。
その影響か、元々できの悪い生徒だったが
陸軍士官学校に入ると、戦術などの分野で輝かしい成績を収めた。

卒業すると、砲弾の飛び交うキューバに赴き、
また、従軍記者という肩書きながら、
インドの奥地で白兵戦を体験する。
南アフリカのボーア戦争では、捕虜となってしまうが
収容所から脱出し生還した。

そして落第生は、イギリスの首相になった。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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勉強入門 ナポレオン

夏休み、1日10時間の勉強を目標にする受験生も多い。
そのために睡眠時間を削ることもあるだろう。
かのナポレオンは、1日3時間しか寝なかったと言われているが、
実際のところは、7時間の睡眠に昼寝付きだったようだ。

そうは言っても、決してナポレオンが不真面目なわけではなく、
本屋の本を食いつぶすほどの読書家だったのは本当の話。
専門の戦術書、歴史、地理、文学・・・。
セント・ヘレナ島に向かう船では数学の問題を解き、
さらに、ゲーテに会ったときには「若きウェルテルの悩みを7回読んだ」と自慢した。

驚くべきことに、彼は読書ノートを付けていたそうだ。
本を読み、要点を書き記す。
これぞ、ナポレオンの勉強法。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

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ふたつめの人生 新村出(しんむらいずる)

明治生まれの言語学者、新村出は
広辞苑を編纂した人物として知られている。

東京帝国大学助教授を経て
そののち、京都帝国大学の教授となる。
言語学講座を28年にわたり担当した。

そして第二の人生では、さまざまな肩書きを並べる。
日本言語学会会長、
大東亜学術協会会長、
全国図書館大会名誉会長、などなど。

しかし当の本人は、平凡な人生を強く望んでいた。
こんな一句が残っている。

  小器われ 晩成もせず 永らえて 凡器を抱き 安らかに生く

自分が思うよりも、偉くなりすぎてしまった人。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

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ふたつめの人生 間宮林蔵

むかし、社会の授業で習った。
サハリンとユーラシア大陸の間にあるのは、
間宮海峡だ。

1808年、幕府の命令で樺太に渡った間宮林蔵らは、
この土地が半島ではなく、島であることを確認。
のちにシーボルトが、間宮海峡と名付けた。
思いもよらず、世界地図に自分の名を残したのが最初の人生。

その後は幕府の隠密となり、
各地で行われていた密貿易を摘発している。

ちなみに間宮林蔵は変装の名人で、
粗末な格好をさせたら誰も本人だとわからなかったそうだ。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

140705-03
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ふたつめの人生 佐藤義清(のりきよ)

平安時代の武士、佐藤義清は
鳥羽上皇のとき「北面の武士」に任命された。

北面の武士とは、御所の警護役ではあるが
容姿端麗、武術にすぐれ、詩文や和歌の心得も必要という、
いわゆるエリート集団だった。

そんな佐藤義清だが、わずか3年後、
23歳の若さで出家してしまう。
第二の人生での名前は、西行。
新古今和歌集で94首が選ばれるほどの歌人になった。

佐藤義清が出家した理由。
それは、恐れ多いほどの人と
不倫関係にあった、という説もある。

不意に人生を変えるのは、いつの時代も、恋なのか。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

140705-04

ふたつめの人生  平賀源内

江戸時代の発明家、といえば
まず思い浮かぶのは、平賀源内だ。

13歳のころから本草学や儒教を学び、
25歳で長崎に遊学し、珍しい舶来品を目の当たりにした。
そして有名なエレキテルの発明、
土用の丑の日に鰻を食べる、という
広告プランナーのようなことまでやってのけた。

ここまでが、華やかな最初の人生だとすると、
第二の人生は、決して幸せではなかったようだ。

秩父で金山を採掘するも失敗。
炭焼き事業、焼き物、毛織物事業なども、ことごとく外れ、
晩年は殺人容疑で投獄されたうえ、一年後に病死してしまう。
亡くなる数年前に、こんな句を残した。

  功ならず 名ばかり逐いて 年暮れぬ

器用な人ほど、人生は難しそうだ。

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佐藤延夫 14年6月1日放送

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dave~
ある偉大な発見 ガラス

専門家に言わせると、ガラスとは
「液体のような性質を持った固体のようなもの」だそうだ。
その材料は、砂の中に存在する二酸化ケイ素。

およそ1700℃にならないと溶けない二酸化ケイ素が
どのようにして、紀元前3000年のヨーロッパで生まれたか。
それは、ある偉大なフェニキア人に聞いてみないとわからないが、
おそらく偶然と、幸運と、探究心が見守ってくれたのだろう。

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佐藤延夫 14年6月1日放送

140601-02
Ahef
ある偉大な発見 レントゲン

20世紀を目前にしたドイツ。
ビュルツブルグ大学の物理学教授は、
陰極線の研究に没頭していた。
陰極線とは、高電圧によって生じる電子の流れのこと。
しかしその当時は、空気を輝かせるがすぐに消えてしまう、
謎の現象と考えられていた。

ある晩、教授が放電管に電圧をかけると、
作業台に載っていたボール紙が光りはじめる。
この放射線に、未知数を意味する「X」と名付けた。

教授の名は、ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン。
もちろん、レントゲンの生みの親である。

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