佐藤延夫(事務局)

佐藤延夫 14年2月1日放送



小塚昌彦さん2

戦後まもなく、新聞社の工務局に就職した少年がいた。
そこは活字を扱う部署であり
新聞社のイメージとはかけ離れた、
さながら工場のような職場だったそうだ。

職人が鉛の合金に文字を彫る。
新聞記事にするための活字が準備され、
見出しや写真を組み付ける。
すべてが手作業だった時代を目に焼き付け、
少年は文字デザインの道に進む。

書体設計家、小塚昌彦さんは
新聞社を定年退職したあとも、
さまざまなメディアの文字を操り続ける。



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佐藤延夫 14年2月1日放送


d’n’c
小塚昌彦さん3

書体設計家、小塚昌彦さんが
新しい書体、新ゴシックを作るときのこと。
読むための文字というよりも、
ディスプレイに適した書体にしたいと考えていた。

それはすなわち、目で楽しむ言葉。
読みやすくて、親しみやすくて、疲れない。
書体を意識することなく、読めば意味が素直に入ってくる。

その思いが実を結んだ証拠として、
日本中の多くの交通機関で
新ゴシックの文字が使われている。

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佐藤延夫 14年2月1日放送



小塚昌彦さん4

書体設計家、小塚昌彦さんの師匠は
60歳を迎えたとき、こんなことを言ったそうだ。

「ここから本当の字が書けるような気がする」

そして小塚さん自身が60歳を超えたあとに
初めて作ったオリジナルの書体が、小塚明朝だった。

発売セレモニーで、
小塚さんはこの新しい書体に点数を付けた。
76点だという。

トータルで何千、何万字にも及ぶ書体デザインに
100点満点などあるはずもなく、
80点が最高得点だ、と語った。

小塚さんは、きっと今も、本当の字を探している。



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佐藤延夫 14年1月4日放送



棟方志功の年賀状

20世紀を代表する芸術家、棟方志功。

昭和30年、サンパウロ・ビエンナーレで
版画部門の最高賞を受賞し、
世界の棟方という地位を確立した。

そんな彼の年賀状が残っている。
鮮やかな朱刷(しゅずり)の版画には、
大きな打ち出の小槌が描かれ、
杉並区荻窪、と住所まで丁寧に彫られている。

手紙魔と言われるほどの手紙好き。
年賀状の版画を彫るときも、
嬉々として机に向かっていたのだろう。

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佐藤延夫 14年1月4日放送



森繁久彌の年賀状

森繁久彌は、四つの顔を持つ。
俳優、歌手、コメディアン、そしてアナウンサー。

下積み時代は劇団を渡り歩き、
その傍ら、NHKのアナウンサー試験に合格。
そして戦後はコメディアン、俳優、シンガーソングライターなど
才能を一気に開花させる。

そんな彼の、ある年の年賀状には
仕事へのまっすぐな気持ちがしたためられていた。

 昔のうたを
 今日のうたを
 明日のうたを
 心ゆくまで謡いとう存じます

人々に愛された理由が、とてもよくわかる。

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佐藤延夫 14年1月4日放送


Carly & Art
手塚治虫の年賀状

漫画家、手塚治虫が晩年に残した名言。

「あと40年ぐらい書きますよ。
 アイデアだけはバーゲンセールしてもいいぐらいあるんだ」

その言葉のとおり、
彼は年賀状でも独創的なアイデアをふるってみせた。
おなじみのキャラクターを総動員し、
自分の似顔絵をパロディにした。

そして、ある年の年賀状には、
こんな言葉が書かれた。

 今年こそ
 卵から生まれたばかりの気持で
 がんばります

見習いたいほどのアイデアと謙虚な気持ちが、
葉書いっぱいに溢れている。

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佐藤延夫 14年1月4日放送



文人たちの年賀状

夏目漱石の年賀状は、シンプルだ。
ハガキの中央に、ぽつんと名刺を貼り付けたようなデザイン。
「恭賀新年 夏目金之助」
ただその文字だけ書かれている。

芥川龍之介は、高校3年生のとき、ハイカラな年賀状を送った。
「新年に多くの幸運あれ」というドイツ語とともに、
手描きのイラストも加えたそうだ。

川端康成は、力強い筆文字で
「頌春(しょうしゅん) 川端康成」と記している。

そして正岡子規は、自分の思いを書き留めた。

「新年めでたく候
 皆様めでたく候
 私もめでたく候」

あなたは年賀状に、どんな思いをしたためましたか?

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佐藤延夫 13年12月7日放送



さようなら 橋本武

伝説の国語教師と言われた橋本武さんが、
今年の9月に亡くなった。

中勘助の小説「銀の匙」。
中学3年間でこの1冊だけを読み上げるという
奇抜な授業は、世の教育者を驚かせた。
単語ひとつひとつにヒントがあるから、
どんどん横道に逸れて結構。
子供たちに、自ら掘り下げて学ぶことの大切さを教えた。

そんな彼の言葉。
「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。」

大人なると、よくわかる。
すぐに役立たなくなるものが、あまりにも多いことに。

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佐藤延夫 13年12月7日放送


julajp
さようなら なだいなだ

作家で精神科医の なだいなださんが、
今年の6月に亡くなった。
ユーモアと反骨精神を愛した人で、
晩年には、老人党というインターネット上の
ヴァーチャル政党まで作っていた。

そんな彼の言葉。
「なまけものは哲学を持っているが、
 働いてばかりいる人間には、哲学がない」

もちろん「なだいなだ」はペンネーム。
スペイン語の“nada y nada”
それは、「なにもなくて、なにもない」という意味。

なださんは最後まで、なまけものの哲学を大切にしていた。

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佐藤延夫 13年12月7日放送


Cross Duck
さようなら 山崎豊子

私の作品は、取材が命。
そう語ったのは、今年の9月に亡くなった、
小説家の山崎豊子さんだ。

取材中、相手の話に引き込まれて一緒に涙を流す。
反対に、失礼な態度をとられたときには、
捨て台詞を吐いて席を立ったそうだ。

「万年筆の先から血が滴る思いで書いている」

作者の魂が込められた人間ドラマは、
何年経っても色あせることなく、
読む人を山崎ワールドへ引きずり込んでいく。

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