parpiro
思い出の街を訪ねて/小林多喜二
坂と雪の街、小樽。
作家、小林多喜二は
この地で蟹工船を書きあげた。
小樽駅から徒歩10分、小樽文学館には、
彼の生きた時代の資料が数多く保管されている。
旭展望台まで足を伸ばすと、レンガ造りの文学碑に会うことができる。
そこに刻まれているのは、獄中から友人に宛てた手紙の一節。
赤い断層を処々に見せている
階段のような山にせり上がっている街を
ぼくはどんなに愛しているか分からない
小樽には、多喜二の心が眠っている。
sarmoung
思い出の街を訪ねて/寺山修司
青森県の三沢駅から車で20分ほど走ると、
三沢市民の森公園がある。
この一角には、寺山修司の石碑だけ立っていたが、
生前親しかった関係者や友人の協力で、
寺山修司記念館ができた。
ここに、修司の母はつが大切に保管していた
遺品、原稿、ポスターなどが展示されている。
もしかしたら、私は憎むほど故郷を愛していたのかも知れない
これは「田園に死す」の一節。
言い表せないほどの思いが、故郷にはあった。
備忘録 旅人
思い出の街を訪ねて/志賀直哉
奈良県は新薬師寺のそば、高畑(たかばたけ)に、
志賀直哉の住まいが残っている。
自ら設計したとされる和洋折衷の屋敷は、
武者小路実篤や谷崎潤一郎も訪れ、
高畑サロンと呼ばれていたそうだ。
志賀直哉は、この場所で奈良の美しさを讃えた。
今の奈良は昔の都の一部に過ぎないが、名画の残欠が美しいように美しい。
こちらの屋敷には、遺品や資料は一切展示されていない。
遺言でそのように決められていたそうだ。
中年ピロ
思い出の街を訪ねて/石川啄木
やはらかに 柳あをめる
北上の 岸邊目に見ゆ
泣けとごとくに
岩手県玉山村の北上川河畔には、
歌人、石川啄木の石碑がある。
西を見れば、雪を冠した岩手山(いわてさん)。
東には姫神山(ひめかみさん)を望むことができる。
啄木は、代用教員だった時代に、
よくこのあたりを散策していた。
石碑から10分ほど歩くと、石川啄木記念館に辿り着く。
敷地内には、啄木が教鞭をとった旧渋民(しぶたみ)小学校の校舎、
それに、一家で間借りしていた斉藤家の母屋が移築されている。
ふるさとの 訛なつかし
停車場の 人ごみの中に
そを聴きにゆく
啄木の世界に触れると、
この歌を思い出すことができそうだ。
daidai
思い出の街を訪ねて/萩原朔太郎
空っ風、赤城おろしの街。
前橋は、萩原朔太郎の故郷だ。
市内を流れる広瀬川のそばに、
萩原朔太郎記念 前橋文学館が建っている。
帰郷という詩の中に、彼の思いが蘇る。
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔(かえん)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
故郷に向かうと、
人は誰でもロマンチストになる。
ドメーヌ・ピータン
思い出の街を訪ねて/島崎藤村
岐阜は、木曽路の馬籠宿(まごめじゅく)。
ここに島崎藤村の記念館がある。
馬籠は藤村の生まれ故郷で、
9歳のときに離れてから戻ることはなかったが、
そこには今でも彼の言葉が飾られている。
血につながるふるさと
心につながるふるさと
言葉につながるふるさと
故郷への思いは、なによりも深く、いとおしい。
思い出の街を訪ねて/坂口安吾
海の向こうに佐渡島を望む
新潟、寄居浜(よりいはま)の丘には、
坂口安吾の石碑が、波の音と一緒に佇んでいる。
ふるさとは
語ることなし 安吾
そして日本有数の豪雪地帯として知られる旧松之山町(まつのやままち)、
現在の十日町市は、安吾の第二の故郷。
彼が馴染み通った家は、大棟山(だいとうざん)美術博物館になっている。
その傍らにも、石碑がひとつ。
夏が来て
あのうらうらと浮く綿のような雲を見ると
山岳へ浸らずにはいられない
これは、小説「黒谷村」の一節。
安吾は新潟の海と山を愛した。
ふるさとは語ることなし
彼が言ったその言葉の意味を、確かめに行きませんか。