澁江組・磯部建多

礒部建多 15年4月19日放送

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シュバイツァーと猫

4月19日、今日は飼育の日。

医師アルベルト・シュバイツァー。
暗黒大陸と呼ばれていたアフリカへ旅立ち、
病める人々への治療に人生を捧げた。
1952年、彼の献身的な活動にノーベル平和賞が贈られた。

そんなシュバイツァーは、無類の猫好きだった。
仕事机には常に猫が乗り、資料の上になりふり構わずのけぞり返る。
過酷な状況で働くシュバイツァーにとって、
猫の純粋無垢な姿こそ、心の支えだった。

 「人生の惨めさから抜け出す唯一の方法は、音楽と猫だ。」

のんきに生きていた彼の猫は、
いつしか世界平和に貢献していたのだ。

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礒部建多 15年4月19日放送

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犬を愛した藩主
 
播磨姫路藩第2代藩主 酒井忠以(さかい ただざね)。
生類憐れみの令の影響もあり
特に犬を溺愛することで有名だった。

ある時、幕府から重要な命を受け、
京都に出向く事になった忠以。
出発の朝、飼い犬は玄関まで出てくると、駕籠から離れようとしなかった。
その姿に心打たれ、やむなく京都まで愛犬を連れて行く。
以後も参勤交代の際には、忠以は常に犬を連れていった。

後に、このエピソードが世に広まると、
この犬には貴族と同じ六位の位を与えられた。

「犬は自分を人間だと思っている」と言われるが、
この時代には人間以上の犬が、たくさんいたのだ。

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礒部建多 15年3月8日放送

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水木しげるとジャンクフード

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

93歳になる今でもハンバーガーや、牛丼、
スナック菓子など、ジャンクフードを好んで食べる。
彼には、一切の健康法はないと言う。

 何が体にいい、悪いなど気にせず、
 おいしいものをおいしく食べる。

思うままに、楽しみ尽くそうとする。
水木は人生に、希望しか見いだしていない。

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礒部建多 15年3月8日放送

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水木しげるとパプアニューギニア

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるほど、マイペースな漫画家はいない。
たっぷりと睡眠を摂り、自分が好きなこと以外には、一切興味を示さない。
そんな水木のルーツの1つが、パプアニューギニアにある。

戦時中、水木は兵隊として南方戦線へと駆り出される。
過酷な戦場での玉砕命令を命からがら生き延びた水木は、
そこで原住民たちとの交流を深めていた。
彼らの生活は1日2〜3時間働くだけ。
あとは踊ったり、唄ったり、好きなことに没頭する。
そんな生き方が、水木の価値観に大きく影響を与えた。

 自然のままの生活というのだろうか。
 僕はそういう生活が、人間本来の生活だと思っている。

原住民から教わった哲学を、
水木しげるは「怠け者になりなさい」という一言に込めて、
世の中に発信し続けている。

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礒部建多 15年2月14日放送

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王冠を賭けた恋

イギリス国王を
325日という最短の在任期間で退位した、エドワード8世。
彼は王位と引き換えに、ある女性との結婚を選んだ。

その名は、ウォリス・シンプソン。
王室には許されざる離婚歴を持っており、
また交際当時には人妻でもあったため
教会と国民から猛反発を受けた。

独身のまま国王になったエドワードは
愛する女性と結婚したいという想いを国民に説明しようと試みるが、
理解を得られず
ついに追いつめられて退位を決意。
王としての最後のスピーチを、こう締めくくった。

 愛する女性の助けと支え無しには、
 自分が望むように重責を担い、
 国王としての義務を果たすことが出来ない。

恋は人一人の人生はおろか、
一国の運命さえも左右する。

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礒部建多 15年1月17日放送

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risaikeda
地震とラジオ

地震大国日本において、
望まれるのは予知技術の発達。
その中で7〜8割近い的中率を誇るのが
新興技術研究所の熊谷卓らが開発した「逆ラジオ」だ。

20年前の今日、阪神・淡路大震災が発生。
震災後、相次いで報告されたのは、
発生直前の、ラジオからの大きなノイズ音だった。
そこに着眼した熊谷らは、
通常のラジオでは拾わないノイズを
積極的に拾う「逆ラジオ」を設計。
地震予兆が発するノイズを捉え、予知に貢献することが出来るのだ。
しかも大掛かりな仕掛けはいらず、
家庭でも簡単な装置で行うことが出来る。

まだ知られていないこの技術が、
さらに磨かれ、個人へと浸透していけば、
被害を0には出来ずとも、
最小限に食い止めることができる。
「逆ラジオ」は、その大きな役割を
果たしてくれるかもしれない。

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礒部建多 14年12月14日放送

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南極への放送

「南極観測船「ふじ」の乗組員と、
南極観測員だけに向けた番組を作りたい。」
昭和40年、当時のNSB日本短波放送のプロデューサー
野尻鷹雄は、こんな企画を上層部に提案した。

12月1日に出港する「ふじ」に乗り込む人数は223人。
公共放送として彼らだけに向けた番組を放送するなど、
前代未聞であり、社内から反対の意見もあった。
しかし、野尻の想いは強かった。

  日本国民の声援という精神的支えが、
  彼らにとって何よりの清涼剤としての役割を果たすはずである。

様々な苦労を乗り越えて、
「お元気ですか ふじの皆さん」という掛け声で番組はスタート。
気象情報や音楽のほかに、
遠い地で活躍する223人の家族からのメッセージも届けられた。
その放送は観測員だけでなく、
それを聞く日本国民までをも温かい気持ちにした。

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礒部建多 14年11月16日放送

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名コンビの和解

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

マイケルジャクソンの黄金期を支えた、
敏腕プロデューサーでありアーティストの、
クインシー・ジョーンズ。

音楽業界に数々の金字塔を打ち立て、
「最も売れたアルバム」としてギネスにも載った。
そんな名コンビも音楽性の違いから、決別することになる。

マイケルから突如言い渡された解雇通告。
それ以降、2人が共演することはなかった。
2009年、マイケルとクインシーは
電話で話し、お互いを許し合う。
クインシーは、マイケルの公演に行くと約束した。

しかし、マイケルの突然の死。
親友を失ったクインシーはひどく悲しみ、
当時のインタビューにこう応えた。

 もし決別した人がいるなら、その人を許すべきだ。
 許さなければ、それは毒になり、
 あなたをさいなみ、離れなくなる。

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礒部建多 14年11月16日放送

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スターの苦しみ

許して、受け入れる。
今日は国際寛容デー。

「20世紀最高の俳優」
と称されるマーロン・ブランド。
端麗な容姿、豪快な私生活、
全てが人々の憧れだった。

しかし華やかなイメージとは裏腹に
複雑な家庭で育ったブランド。
暴力を振るうアル中の両親。
ストレスから吃音症になってしまう。

両親を憎み、
精神的にも支障をきたしたブランドは
ある日、ひとつの答にたどりつく。

 自分の人生を生きるには、親を許すことだ。

それは若い日のブランドが下した、
悲しくも最善の決断だったのだろう。

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礒部建多 14年9月21日放送

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I’m George
賢治の好物

今日9月21日は、
宮沢賢治の命日である。

「ブッシュに行きましょうか」

馴染みのそば屋に行く時、賢治は決まってこう言った。
そば屋の名は「やぶ屋」。
「やぶ」は英語で「ブッシュ」という訳だ。

頼んだのは大抵、天ぷらそば。
顔見知りの店主を見つけると、
「一杯やりましょうか」と声を掛けた。
しかしその「一杯」はビールではなかった。
天ぷらそばとサイダーという組み合わせが、賢治の定番だった。
当時天ぷらそばは15銭、
サイダーはそれより高い23銭だった。

今でも花巻にある「やぶ屋」では
天ぷらそばとサイダーを注文する人が後を絶たない。

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