澁江組・松岡康

松岡康 14年3月2日放送



受験の神様

学問の神様、菅原道真。
彼が祀られている太宰府天満宮には、
毎年日本中から何万人もの受験生が
合格祈願に訪れる。

道真はわずか18歳で
国家公務員試験の「進士」の試験に合格、
23歳でさらに上級の「秀才」に合格し、博士となる。
以後、その才を遺憾なく発揮して順調に出世し、
55歳で右大臣に上り詰めた。
絵に描いたようなエリートコースである。

しかしその後、
彼の出世をねたむ藤原時平の陰謀で
太宰府へ左遷。
わずか2年後に無念の死を遂げている。

 難しい試験に受かることが、
 幸せになれることではない。

そう知っている学問の神様は
今、受験生たちを、
どんなふうに見守っているのだろう。

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松岡康 14年2月9日放送



塔の名前

1958年。
新しい電波塔の名称を決める審査会が行われた。
日本全国から86,269通もの応募があり、
一番多い名称は「昭和塔」、続いて「日本塔」「平和塔」だった。

大もめの審査会で、
審査委員の一人、漫談家の徳川夢声は、
自信満々にこう言った。

「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」

コトバのプロである徳川が推したのは、
普通すぎる名前だった。
彼の推薦により、塔の名称は東京タワーに決まる。

もしも、昭和塔という名称になっていたら。
東京タワーはこんなにも愛されていただろうか。

今日もその塔は、
東京の空にまっすぐ立っている。

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松岡康 14年1月12日放送


ジョゼ
大人にならない少年

人はいつ、大人になるんだろう。

水分を多くふくんだ優しい水彩で、
生涯子供を描きつづけた画家いわさきちひろ。
彼女は大人について、こう語った。

大人というものは
どんなに苦労が多くても、
自分のほうから人を愛していける人間に
なることなんだと思います。

なるほど。
彼女の画は、愛に満ちている。
大人にしか描けない子供の画は、
いまも多くの大人のこころを惹きつけている。

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松岡康 14年1月12日放送


Julizehn***
やなせたかし

約40年にわたり、
日本の子どもたちに
愛されつづけるアンパンマン。

自分の頭をもぎり、お腹の空いた子どもに食べさせる。
自らを犠牲にし、相手を幸せにしようとする。
初めてそれを見た大人たちの中には、
不快感をあらわにする者も少なくなかった。

この不思議なキャラクターを生んだのは、
作者やなせたかしの強い信念だった。

逆転しない正義とは献身と愛だ。
それも決して大げさなことではなく、
眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、
その人に一片のパンを与えること。

日中戦争に出征したやなせは、
飢えの恐怖を身をもって体験し、
献身こそ、ゆるぎない正義と知る。

戦争を知る大人として
やなせが送りつづけた、愛のメッセージ。
それが、今も子どもたちが大好きなアンパンマンなのだ。

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松岡康 13年12月15日放送



神様からの電話

ある漫画家のアトリエに国際電話が入った。

受話器の向こうの人物は、
アシスタントにペンと紙と定規を準備させ、
こう言った。

右上から4cm下に直線を引いてください。
そしてその線から、今度は左に5cm引いてください。。。

アシスタントが指示通りにペンを動かすと、
マンガのコマ割が描かれていく。
電話はさらにつづく。

 ブラック・ジャック第10話、
 3ページ目の4番目の背景の模様を、
最初のコマに書き込んでください!

電話の主は、マンガの神様、手塚治虫。

講演に来ていたアメリカから
電話越しで細かい指示を伝えたのだった。
驚くことに、彼の頭の中にはこれから描くストーリーと、
過去に書いたカットがすべて、正確に入っていた。

常人離れした記憶力と、マンガに対する熱意。
そしてなにより、どんな状況でも締め切りを守るプロ意識こそ、
手塚治虫が神様とよばれる所以なのかもしれない。

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松岡康 13年12月15日放送



葬儀屋と電話

1889年、
カンザスの葬儀屋アーモン・ストロージャーが、
革命的な発明をする。
ダイヤル式の電話だ。

なぜ葬儀屋の彼に、
このような大発明ができたのか?

当時の電話は、
電話局の交換手を呼び出して、
番号を告げ、人の手で接続してもらうものだった。

ある日ストロージャーは、自分が経営する葬儀屋への
電話注文が少ないことに不信を抱く。
原因を調べると、電話交換手が別の葬儀屋の女房で、
仕事の電話をすべてそちらにつないでいたことが判明。
そこから「人の手を介さない回線交換」を思いついたのだ…

強い意志で
日常に転がっている発明の種を見つけ、
育てることで、偉大な発明が生まれる。
葬儀屋ストロージャーの逸話は、
わたしたちにそう教えてくれる。

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松岡 康 13年11月24日放送


darrenleno
OLからの転身

明日、11月25日はOLの日。

かつて、『月曜日はOLが街から消える』
とまで言われたドラマがあった。

1996年にオンエアされた「ロングバケーション」。
婚約破棄された落ち目のモデルと、
自分の才能に自信が持てないピアニストの物語だ。

脚本をかいたのは北川悦吏子。
彼女自身、もともとは広告代理店に勤めるOLだった。
雑用ばかりの日々に嫌気が差し、
心機一転脚本家を志したという。

ドラマから16年たって、
久しぶりにロングバケーションを見た彼女はこう語った。

古いよ、ちゃんと。
1996年の気分をたっぷりしょってます!
それが、いいと思う

彼女が描く女性は、時代の空気をまとっている。
古くなっていることが、それを証明していた。

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松岡 康 13年11月24日放送



OLって変わらない?

明日、11月25日はOLの日。

仕事に。趣味に。恋に。悩み多き彼女たち。
そんなOLたちの複雑な悩みを
いち早くとらえていた評論家、石垣綾子。

マリリン・モンローが来日した1954年。
彼女は文藝春秋に「職業婦人と婚期」
というエッセイを寄せた。

 男なら誰でもより好みしない、というなら、
 結婚もたやすいだろうが、働く近代女性ともなれば、
 注文も難しくなるから、おいそれと、理想の夫はみつからない。

石垣がエッセイを書いてから60年。
職場の環境も大きく変わった。
しかし働く女の悩みの種は、
60年経っても、変わっていないのかもしれない。

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松岡康 13年10月13日放送



引越しの日

10月13日、今日は引越しの日。

明治天皇が京都御所から
いまの皇居におうつりになった日にちなんで、
この日が制定された。

実はこの引越し、かなり大変だった。
天皇が東京に行ってしまうことに、
京都市民が猛反発したからだ。

このとき天皇は、
京都市民に向けてこう語ったという。

 東京は未開の地。
 教化のため、度々東京に行幸するが、
 決して京都を見捨てる訳ではない。

今でも天皇が京都を訪問するとき、
街の人は「おかえりなさい」
という気持ちで出迎えるのだ。

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松岡康 13年10月13日放送



北斎と引越し

かの天才浮世絵師葛飾北斎は、
実に93回引越しをしたという。
一日に3度も引越しをしたこともある。

借金取りから逃げるため、
部屋を掃除をするのが面倒だったため、
方位学のようなものに凝っていたため、
などいろいろな説があるが
そのほんとうの理由は分かっていない。

そんな引越し好きの北斎は、
89才でこの世を去る。
こんなことばを、最期に遺して。

 あと5年生きることができれば、真の絵師になれるのに…

現状につねに満足せず、
進化し続けようとした彼の人生に、
引越しは欠かせなかったのかもしれない。

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