澁江組・奥村広乃

奥村広乃 13年7月21日放送



沖縄の戦場カメラマン

彼は、ときに残酷な写真を撮る。
それが、戦争の現実だからだ。

報道カメラマン、石川文洋(いしかわ ぶんよう)。

沖縄で5歳まで暮らしていた石川は
1965年、ベトナムへ渡り
ベトナム戦争を取材する。
銃をもち、村へ突入する兵士たち。
目の前の惨劇におびえる農民たち。
家を、家族を亡くした子どもたち。
目をそむけたくなる現実にむけて、シャッターを切った。

そこで撮影された写真の一部は、
ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館に
常設展示されている。

「命(ぬち)どぅ宝」。
沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味だ。
この言葉を胸に石川は、
ベトナムや沖縄の写真を撮りつづけて
戦争をしらない世代に、戦争の実態と
命の大切さを伝えている。

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奥村広乃 13年7月21日放送


butterforfilm
沖縄の詩人

白い砂浜が、ゆるやかなカーブを描き、
エメラルドグリーンの遠浅な海がきらめく。
うっそうと茂る緑の木々が、心地よい木陰をつくる。
沖縄県 石垣島 底地(すくじ)ビーチ。

その傍らに、1つの石碑がある。
石垣島出身の詩人、伊波南哲(いば なんてつ)の詩碑だ。

ふるさとは
わがこころのともしび
のぞみもえ
こころはほのぼのと
とめるふるさと

彼は明治35年石垣島に生まれ、
その生涯を閉じるまで
沖縄や石垣島をうたいつづけた。

知り合いがいるわけでもないのに
甲子園では、地元の高校を応援してしまう。
ワールドカップでは、自分の国を応援してしまう。
人には、生まれた場所を愛してしまう
DNAが流れているのかもしれない。

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奥村広乃 13年6月16日放送



医学の父

食べ物で治せない病気は、医者でも治せない

2500年以上前のギリシアで、こう唱えた人物がいた。
後に医学の父とよばれる、ヒポクラテスである。

400種以上の薬草の知識をもち、
脱臼や骨折を治す器具を考案し、
ペストの流行を抑えるなど功績は数えきれない。

彼にはこんな逸話がある。
マケドニアの王さまが不思議な病にかかり、診察を頼まれた。
王さまの脈をはかると、普通の男性よりも極端に少ない。
顔も青白く、やつれている。
しかし、ある女性がそばを通る時だけ脈が正常に戻る。
名医ヒポクラテスはこんな診断をくだす。
「これは、恋という病です。
この病気を治すことができるのは、愛だけです。」

健康は、食べる物に左右される。
心のありかたにも影響される。
医学がどれだけ進歩しても、
人間そのものは2500年前と
あまりかわっていないのかもしれない。

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奥村広乃 13年5月12日放送



キレイな母親が増えてます

映画『スノーホワイト』で、
白雪姫に毒りんごを食べさせる
王妃を演じたシャーリーズ・セロン。

スクリーンで圧倒的なオーラを放つ彼女は、
女性の美しさは、幸せな人生から生まれるものだと語る。

養子をむかえ母になった、
シャーリーズは今年で37歳。
彼女の美しさは衰えることを知らない。

日本でも、年齢を重ねても美しい女性が増えた。
アラサー女子、アラフォー女子、美魔女という言葉も飛び出し、
自分磨きに妥協しない女性が注目をあつめる。
美しさという武器を手に入れ、
母親たちはどこまで逞しくなっていくのだろうか。

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奥村広乃 13年5月12日放送



おおかみと母親

理想のお母さんを描く。

「おおかみこどもの雨と雪」の製作発表で
細田守監督は、そう語った。

彼が映画の中で描いた理想の母親は、
どんな辛い状況にあっても、
涙をぬぐい、笑顔をたやさない女性だった。
そして、夫と子どもたちが大好きだった。

これまで日本のアニメで、
母親が主人公になったものはほとんどない。

母親の映画を作ろうと思ったキッカケは、
友人夫婦に子どもが誕生し、
子どもたちを可愛がっている顔がたまらなく素敵で、
すばらしかったからだという。

子育ては、人生における
最大のエンタテインメント。

それが、映画というエンタテインメントで届けたかった
細田監督のメッセージなのだ。

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奥村広乃 13年4月20日放送



捨松の上京

日本人初の女子留学生 山川捨松(やまかわ すてまつ)

彼女の名前は、咲子(さきこ)だった。
会津藩の武士の娘として生まれ、
幼少期に戊辰戦争を体験した。

12歳になったある日。
兄から「上京して、アメリカへ旅立ち、
10年間みっちり学んでこい。」と言い渡される。

彼女の母は、娘を東京へ送り出すまえに改名をさせた。
「私はお前を捨てたつもりでアメリカへ送り出すが、
お前がお国のために立派に帰ってくる日を心待ちにして待っているよ。」
そんな思いを込めてつけた名前は、捨松(すてまつ)。

山川捨松。
彼女は、日本初の女子留学生の一人だ。

明治4年11月12日。
明け方降りた霜がきらきらと輝く快晴の中、
彼女をのせたアメリカ号は、
サンフランシスコへ出発した。

東京は、おおきな目標へのゴールだけではなく、
時として出発点にもなる。

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奥村広乃 13年4月20日放送



光雲の上京

高村光雲。
江戸の木彫り技術に西洋の写実主義を取り入れた
江戸から東京へ。
激動する時代の中、
世の中で、輸出用の象牙彫刻が流行っても
己の道を信じ、木彫り彫刻を極めた。

代表作は「老猿」。
明治26年に、シカゴ万博に出品されたこの老猿は、
上空をカッとにらみつけ、
左手に、鷹の羽を掴んでいる。

緊迫した世界情勢の中、
これほど険しい顔をした猿を
彼はどんな思いで彫ったのだろうか。

この万博の後、明治政府から依頼されて制作されたのが
上野に立つ、西郷隆盛像だ。

年間6000万人もが行きかう上野駅。
東京を訪れた多くの人を、
西郷さんは今も見つめている。

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奥村広乃 13年3月24日放送



別れとピアノ

ショパンの練習曲作品10第3番ホ長調。
またの名を『別れの曲』。

これは、彼が初めての恋に破れ、
悲しみにくれながら作った曲、
ではない。

実はこの曲名、出版から100年以上たって付けられたものだ。

この曲は、1935年に公開された、
フレデリック・ショパンの伝記映画に
メインテーマとして使われた。
その映画の邦題が『別れの曲』。
以来、その名で呼ばれるようになった。

ショパンはこの曲を「別れの曲」とは呼ばなかったが
この曲を作曲した年に
ふるさとポーランドに別れを告げている。

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奥村広乃 13年3月24日放送



別れと時間

1月はいってしまう。
2月は逃げてしまう。
3月はさってしまう。
この3カ月は、1年の中でも時間のたつのが早い。

1日は24時間。1分は60秒。
延びたり縮んだりするわけでもないのに不思議だ。

いっぽうで、とても長く感じる「時間」もある。
六歌仙でしられる僧正遍昭の歌。

今来むと いひて別れし 朝より (いまこむと いいてわかれし あしたより)
思ひくらしの 音をのみぞ泣く (おもいくらしの ねをのみぞなく)

「またすぐに来るよ」と言って去った人を思い
泣き暮らす時間の長さは
1000年後のいまも変わらない。

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奥村文乃 13年2月9日放送



チョコと夢

チョコレートが大好きな子供だった。
作家ロアルド・ダール。

彼が通っていた学校のそばには、
イギリス王室御用達のお菓子メーカー、
キャドバリーの工場があって
生徒たちは新製品のチョコレートを試食する楽しみがあった。

チョコレート工場の発明室で働きたい。
ロアルドのそんな夢から、
代表作『チョコレート工場の秘密』は生まれた。
彼は作品の中で、夢を実現させたのである。

幼いころみた夢は、すべて叶うなんてことはない。
でも、大人になったとき
その夢は間違いなく
自分自身を動かす原動力になる。

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