澁江俊一

澁江俊一 18年4月8日放送

180408-04

寂しさにさようなら

日本で最も
別れが似合う男は誰だろう?
それは寅さんこと、車寅次郎かもしれない。

故郷と別れ、妹とも別れ、
日本中で恋をしては、せつない別れを繰り返す。
それでも寅さんは決して
相手を恨んだり、自分を慰めたりしない。
グッとこらえて、その場を立ち去る。

人類のコミュニケーションを
無限大に増やしたSNSの世界では
今日もたくさんの別れが親指の動き1つで
加速度的に生み出されている。
その孤独に溺れそうになったら、
寅さんのこんな言葉を思い出してほしい。

 寂しさなんてのはなぁ、

 歩いてるうちに
 風が吹き飛ばしてくれらぁ。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-05

さよならの湿度

また逢う日まで 逢えるときまで
別れのそのわけは話したくない

名曲「また逢う日まで」の、
作詞家、阿久悠は著書
「ぼくのさよなら史」の中で
こう語っている。

人間はたぶん、さよなら史が
どれくらいぶ厚いかによって、
いい人生かどうかが決まる。

人の心はいつも少し湿り気を帯びて
いなければならない。
カラカラに乾いていては味気ない。
人の心には、さよならによって
湿りが加わるのである。

阿久悠の歌は、それが底抜けに
明るい歌であっても、いつも少し湿っている。
湿っているからこそ、乾いた心に深く、
染みていくのかもしれない。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-06

おまじない

 だいせんじがけだらなよさ

このおまじないのような言葉は、
寺山修司がカルメン・マキのために書いた
曲のタイトル。

さかさまに読むと、
「さよならだけがじんせいだ」。

井伏鱒二が唐の時代の「勧酒(かんしゅ)」という
詩を訳した、その中にこの言葉はある。

幼い頃父を亡くし、12歳で母とも生き別れに
なった少年、寺山修司は、この言葉をさかさまに
して、おまじないのように、何度も唱えながら、
孤独に耐えていたという。

 だいせんじがけだらなよさ
 だいせんじがけだらなよさ

唱えるたびに、むしろ孤独感が強まるような、
そんな気がしてしまうのは、わたしだけだろうか。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-07
Flickmor
ラストシーン

2016年公開のミュージカル映画「La La Land」、
ご覧になった方も多いのではないだろうか。

アカデミー賞6部門を獲得した名作だが、
その印象的な結末に、見る人の意見は分かれ、
賛否両論の声で世間は賑わった。

この結末について、監督のデミアン・チャゼルは
こう語っている。

愛について語るとき、愛自体が主人公の二人よりも
大きな存在でなければいけないと僕は思う。
二人が一緒にいるいないには関係なく、
愛はまるで3番目の登場人物のようにそこあり続けるんだ。
現実とは全く別の次元でね。主人公の二人の関係が終わって
しまったとしても、愛はそこに永遠に存在するということ。
僕はそれが美しいと思う。

そんな愛の形を、美しいと感じるか、それとも…。
まだご覧になっていないという方はぜひ、
ご自身で確かめて頂きたい。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-08
Renaud Camus
長い別れ

アメリカ人作家、レイモンド・チャンドラーの小説、
「ロング・グッドバイ」。

以降のハードボイルド小説の典型となった
この作品は、村上春樹をして最も影響を受けた
作品と言わしめた名作である。

主人公、フィリップ・マーロウは、大きな権力と
暴力の中で翻弄され、傷つきながらも、どこまでも
タフに、自分の信念を貫いていく。

そんなタフな頑固者が、ふとつぶやくセリフ。

「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」

一人称で語られる小説なのに、主人公マーロウの
心情が描写されることはほぼなく、だからこそ、
ふとしたセリフに滲む、この頑固者の限りない優しさ、
繊細さが、読む者の胸を衝く。

長い、別れ。そのタイトルが意味するものは、
マーロウの心の中に、いつまでも消えずに
止まり続ける別れの悲しみと切なさ、
なのかもしれない。

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礒部建多 18年3月11日放送

180311-01

瓜生岩子 日本のナイチンゲール

福島に、
「日本のナイチンゲール」と
呼ばれた女性がいた。
日本の社会福祉の礎を
築いたと言われる瓜生岩子だ。

戊辰戦争によって、
戦火が岩松城下まで及んでいた時、
岩子は周囲の反対を押し切り、戦地へと赴き、
負傷者の救助に当たった。

味方だけではない。
敵の負傷者も分け隔てなく看護した。
その行為を敵軍の隊長に問われた岩子は、
こう答えたと言う。

 「怪我の手当てをするのに誰の許可もいりませぬ。」

情けのすべてを、他人の為に捧げる。
その精神は、今も福島の人々の中に根付いている。

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松岡康 18年3月11日放送

180311-02
かがみ~
爆発する様な表現 佐藤伝蔵

青森の夏の夜を彩る、ねぶた。

魂が宿っているかの様な、顔の表情。
今にも動きだしそうな、迫力のあるフォルム。

現代のねぶたの顔の表情を作ったのは、
実は一人の天才の手によるものだった。

昭和のねぶた師、佐藤伝蔵。

かつてねぶたの顔のフォルムは、
竹で作られていたためのっぺりとしていた。

彼は針金の柔らかさを極限にまで活かすことで、
複雑で迫力のある表情を生み出した。

伝蔵は言った。

 意識と意識がぶつかり合い、爆発するような表現が必要だ

伝蔵の意思を受け継ぐものたちの手によって、
今年も爆発するような表現が生まれる。

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松岡康 18年3月11日放送

180311-03
BehBeh
親子が生んだ桃源郷 阿部一郎

ある写真家が言った。

「福島に桃源郷あり」

そうまで言わしめたのは、
福島県福島市にある花の名所花見山公園。
春にはウメ、サクラ、レンギョウなどの花々が
丘を覆う様にいっせいに咲く。

実はこの公園、個人が所有する私有地なのだ。

所有者阿部一郎が父とともに
何年もかけて山を開墾し、花木を植えて作り上げた。
阿部は出来上がった美しい風景を多くの人に見てほしいと
一般の人々に開放をした。

自らの人生を花見山公園にささげた阿部は、
花についてこう語る。

 花はね、ほめてもらえるのは一年のうち、
 ほんのわずか五日間ほど。
 あとの三百六十日は、根を下ろした場所で、じっと、だまっている。
 でも春になれば、また花を咲かせるんです。
 災害があったとしても、花は花なりに咲くんです

春はもうすぐそこ。
花見山公園の花たちが、今年も元気に咲く。

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奥村広乃 18年3月11日放送

180311-04
ktanaka
阿久悠 竜飛岬の赤いボタン

青森県、竜飛岬。
津軽半島の最北端。
ここには、赤いボタンがある。

それを押すと
『津軽海峡冬景色』が流れだす。
それもかなりの大音量で。

もしもあなたが、
この歌を熱唱したくなったら
青森県の竜飛岬へ
足を運んでみてはいかがだろうか。

この歌を作詞した阿久悠も
「無駄と遠回りほど価値のあることはないのだ。」と言っている。

風の岬とも呼ばれる竜飛岬では、
天気が良いと函館までよく見えるという。

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澁江俊一 18年3月11日放送

180311-05

金田一京助 アイヌ語の入口

数々の国語辞書の
編纂者として知られる金田一京助。

岩手県の盛岡に生まれ
石川啄木とも親友だった若かりし京助が
人生を賭けた研究テーマに
選んだ言葉は、アイヌ語だった。

「アイヌ語を研究するのは日本人の使命だ。」

教授からそう言われて
日本人初のアイヌ語研究者になると
心を決めた京助。
しかし文字を持たないアイヌ語は
まったく理解できなかった。

京助は考えた。
あえて訳のわからない絵を描いて見せ、
その反応からアイヌ語の「へマタ」という
言葉を聞き出すことに成功。
これは何?という意味である。

ここから膨大なアイヌ語の単語を
一つ一つ記録していった。

偉大な言語学者を一人前にした
「これは何?」という言葉も
とても偉大な一言である。

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