澁江俊一

田中真輝 18年1月21日放送

180121-08

探検家という悪魔

探検家は、時に征服者でもあった。
1519年、スペイン人探検家、エルナン・コルテスは
メキシコに上陸する。
先住民族アステカ人に比べ、
コルテスたちスペイン人は、あまりに多くのことを知っていた。
世界には、未知の人々が住む未知の場所があり、その場所を
征服することが、新しい知識と莫大な富を生むことを知っていた。
そして彼らは速やかにアステカの王、モンテスマを捕虜にし、
たった550人足らずで、何百万もの民を擁するアステカ帝国を
内部から引き裂き、征服する。
探検家によって得られた知識や富を抜きにして、近代科学の発展は
なかっただろう。
しかし一方で、探検家は、略奪者であり文明の破壊者でもあったのだ。

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松岡康 17年12月24日放送

171224-01

大きすぎたプレゼント

今夜はクリスマスイブ。
たくさんの人が贈り物を用意しているだろう。

土佐の戦国大名、長宗我部元親。
彼は豊臣秀吉に驚きのプレゼントをしたという。

天下人となった秀吉の元には
毎日大名たちから贈り物が届いていた。

秀吉の懐に入りたい元親は、
なんとクジラをプレゼントしたのだ。

地元土佐で獲れたクジラを大坂まで送り、
同時に土佐料理もふるまった。
派手好きの秀吉は大喜びしたという。

クジラ。なんとも迫力のあるプレゼントだ。

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澁江俊一 17年12月24日放送

171224-02

作家の恩送り

もらった恩を返すのが「恩返し」。
もらった恩を他の人に送るのが「恩送り」。

作家の井上ひさしは
中学の頃、生まれて初めて
英和辞典を万引きし、
書店のおばあさんに捕まった。

そのおばあさん
ひさし少年を厳しく諭し、
薪割りをさせた上で、その辞書をくれた。
しかも薪割り代金の残りまで。

返し切れないほどの
恩を感じたひさし少年は
後に作家になると、その書店があった町で
無料の文章教室を開いた。

さて、今夜あなたも、
誰かにもらった恩を
別の誰かに送りませんか?

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澁江俊一 17年12月24日放送

171224-03

玉手箱の理由

今夜たくさんの誰かが
誰かに贈りものをするだろう。

誰もが知っていて
しかし誰もがそれをもらった理由を不思議に思う
そんな贈りものといえば
浦島太郎の玉手箱。

なぜ亀を助けたお礼に
乙姫さまは玉手箱を渡したのか?
なぜこの意外な結末がこんなにも時を超えて
語りつがれているのか。

正解はない、ただ解釈だけがある。

こんな解釈もある。

 三百歳になったのは、
 浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。
 年月は、人間の救いである。
 忘却は、人間の救いである。

太宰治「御伽草子」の浦島さん
という文章の中の言葉である。

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礒部建多 17年12月24日放送

171224-04

2人を繋ぐ贈り物

贈り物は、時に、
離れた2人を繋ぐ絆となる。

坂本龍馬は家に妻のおりょうを残し、
長く家を空けることが多かった。

寂しさを募らせるおりょうに、
龍馬は大きな贈り物を渡した。
長さ2尺もの月琴。添えられた手紙には
「我が身と思うて、膝に抱かれたく。」と記されていた。

龍馬の約束を信じ、おりょうは一人稽古を続けた。
しかし、1867年11月15日、龍馬は暗殺されてしまう。

本当に離れ離れになってしまった2人。
おりょうにとって、その月琴は、
かけがえのない龍馬そのものだったことだろう。

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奥村広乃 17年12月24日放送

171224-05

愛する人への贈り物

好きな人の気をひくために贈り物をする。 
そんな経験が誰にでもあるのではないだろうか。 

童話の王様、アンデルセン。 
『人魚姫』『みにくいあひるの子』『マッチ売りの少女』など、 
多くの童話を残している。 

そんなアンデルセンが愛する女性へ贈ったもの。 
それは、彼の自伝。 
生い立ちから過去の失恋話まで赤裸々に語られていたという。 
その書き出しは、 

「目に見えない愛の手が私を導いていることを、身にしみて感じる」 

詩人としても名高いアンデルセン。 
どんなに美しい文章を持ってしも、 
意中の女性の心を射止めることはできなかった。 

贈り物を選ぶときは、 
相手の気持ちが何よりも大切なのだろう。 
70歳で亡くなった彼は、 
生涯独身だった。

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奥村広乃 17年12月24日放送

171224-06

妻への贈り物

ありがとうと、口にするのは時に恥ずかしい。 
長年連れ添った夫婦ともなれば、なおさらだ。 

日本植物学の父、牧野富太郎(まきのとみたろう)。 
彼が命名した植物は2500種以上、 
残した植物標本は50万点。 
その素晴らしい功績の裏で、 
日々の生活は楽ではなかった。 

それを献身的に支えたのが、妻の壽衛(すえ)だった。 
彼女が亡くなった翌年。 
牧野博士は、自身が発見した新種の笹に、 
妻への感謝の気持ちを込めて名前をつけた。 
その名は、スエコザサ。 

彼は、こんな歌も読んでいる。
 
「家守りし 妻の恵みや わが学び 
 世の中の あらん限りや スエコザサ」 

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松岡康 17年12月24日放送

171224-07

100年後の恩返し

1985年イラン・イラク戦争。
フセインは、48時間後からイラク上空を飛ぶ飛行機を
無差別に攻撃すると宣言を出した。

イラクの日本人を救出しなければならない。
その時、トルコ航空の飛行機が来て日本人全員を救出した。

なぜトルコなのか。
当時の駐日大使であるウトカン氏は語った。

 100年前和歌山県沖で起きたエルトゥール号の事故に関して
 日本人がしてくださった献身的な救助活動を、
 今でもトルコ国民たちは忘れていません。
 だからこそ、テヘランで困っている日本人を助けようと、
 トルコ航空機が飛んだのです

イラクに来た飛行機は
100年前に起きた事故の恩返しだったのだ。

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田中真輝 17年11月19日放送

171119-01

Life is management.

1909年の今日は、
経済学者ピーター・ドラッカーが生まれた日。

オーストリアのウィーンに生まれたドラッカー。
4歳の夏、ウィーン皇太子が暗殺され、
世界が第1次世界大戦に向かって行く中で、
少年時代を過ごした彼は、20歳のときドイツで新聞記者に。

ヒトラーやゲッベルスにも何度もインタビューを行っている。
その後、ユダヤ人だった彼は、台頭するナチスを嫌って、
ウィーン、イギリスを経てアメリカへ。
経済アナリスト、大学教授や、企業のコンサルタントとして
活躍する一方、数々の名著を上梓し、マネジメントという
概念を生み出し体系化していった。

95歳で亡くなる直前まで、

 わたしの人生に引退という言葉はない、

と語り、働き続けたドラッカー。
彼の生き方そのものが、自らのマネジメント論の
集大成だったのかもしれない。

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田中真輝 17年11月19日放送

171119-02

マネジメントとは何か

1909年の今日は、
経済学者ピーター・ドラッカーが生まれた日。

人類史上初めて
「マネジメント」という分野を体系化した彼は、
「マネジメントの父」とも呼ばれている。

彼の思想の根底にあるのは「人間の幸せ」。
多くの人々が組織で働く組織社会において、人の幸せは、
所属する組織のマネジメントのありかたに左右される。

そう考えた彼は、
豊かな知識と明晰な頭脳によって物事の
本質を突く著作を次々と上梓していく。

 寝床につくときに、
 翌朝起きることを楽しみにしている
 人間は幸福である

とは彼の言葉。
ドラッカーが考えるマネジメントとは、
企業のためのものである前に、
組織で働く人々の幸せのためにあるものなのだ。

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