澁江俊一

田中真輝 17年9月10日放送

170910-07

折り布の人間国宝

メートル・ダールをご存知だろうか。
それは日本の人間国宝にならって
策定されたフランス版人間国宝の名称である。

その一人、ピエトロ・セミネリは
ファッションやインテリアの世界で
注目を集めている折り布作家。

折り紙を応用した全く新しい芸術表現を
生み出す彼の作品には、愛読する
ライプニッツやドゥルーズといった哲学者の
深い思索が反映されている。

複雑かつ精緻なデザインを見つめていると
その奥行きに引き込まれそうになるのは、
そこに哲学的な深淵が
隠されているからかもしれない。

topへ

田中真輝 17年9月10日放送

170910-08

エリオグラビュールの人間国宝

メートル・ダールをご存知だろうか。
それは日本の人間国宝にならって
策定されたフランス版人間国宝の名称である。

その一人、ファニー・ブーシェは
フランスで唯一のエリオグラビュール作家。

エリオグラビュールとは、ユネスコに無形文化財として
登録されている銅板と感光性のゼラチンを用いて印刷する技法。
しかし彼女はそれを単なる印刷技術としてではなく、
銅板そのものをアート作品として捉え、全く
新しい工芸美術を開拓、三次元の作品創作に
挑戦している。

二次元の表現手法を三次元へと進化させた
ファニー・ブーシェ。その眼差しは、
次元の壁を軽々と越えていく。

topへ

礒部建多 17年8月27日放送

170827-01

陽気な王様

最も歴史あるフラの競技会、
「メリー・モナーク・フェスティバル」

「メリー・モナーク」とは英語で、「陽気な王様」という意味。
19世紀のハワイ王国時代のデビッド・カラカウア王の愛称である。

彼は、「ハワイの言語」を復活させるなど、
積極的に文化の保護を進めた。

そして国王の力を使い、伝統フラを復活させ、
新たに西洋音楽を導入したフラを奨励するなど、
フラを消滅の危機から救ったのだ。

「フラは心の言葉、すなわちハワイ人民の鼓動そのものなのです。」

デビッド・カラカウアの陽気さは、
フラを通じて、今もハワイアンの心に継承されている。

topへ

松岡康 17年8月27日放送

170827-02

最高のサーファー

今やオリンピック競技となり、多くの人が楽しむサーフィン。
実は一度、この世から消えそうになった歴史がある。

1821年、ハワイに来航したキリスト教宣教師たちによって
サーフィンなどのハワイ独自の文化は迫害を受けた。
その影響で、20世紀初頭ごろには
サーファーはほとんどいなくなったという。

だが、一人の英雄の登場によって、
サーフィンは再び市民権を得ることとなる。
近代サーフィンの父、デューク・カハナモク。
1912年に競泳でオリンピック金メダリストとなった彼は、
ハワイ固有の文化であったサーフィンの復興と普及に努めた。

彼の活動によって、
サーフィンは世界の各地で急速に発展し、復興を遂げた。

デューク・カハナモクはこんな言葉を残している。

最高のサーファーとは最も楽しんでいる人です。

今日も世界中のビーチで、
最高のサーファーたちが波に乗っている。

topへ

澁江俊一 17年8月27日放送

170827-03
Hakilon
空港の名前

あなたはダニエル・イノウエを知っているだろうか?
ハワイの玄関であるホノルル空港の
正式名称になった日系人である。

イノウエは若い頃、
第二次大戦中に
ドイツ軍との激しい戦いで右腕を失った。

「あいつらは、何をしでかすかわからない」

常にアメリカ国家から、
その行動を疑われていた日系人。
それでも国家に忠誠を尽くし
がむしゃらに戦うことが
イノウエの選んだ道だった。

親が生まれた国と、戦うこと。
自分が生まれた国に、疑われ続けること。
どちらも今の私たちには
想像もつかないほどの苦しみだ。
その苦しみを引き受けて
戦後は上院議員として次々と、
大きな仕事を成し遂げたイノウエ。
葬儀ではオバマ大統領が
「アメリカは真の英雄を失った」
と追悼した。

ほんの少しでもいい。
楽園ハワイに行くときは
イノウエの生き方に
思いを馳せてみてほしい。

topへ

礒部建多 17年8月27日放送

170827-04

伝説的ウォーターマン

サーフィンのメッカ・ハワイにおいて、
最も権威ある大会と位置付けられているのが、
「Memory of Eddie AIkau(メモリーオブエディーアイカウ)」

エディーとは、伝説的なライフガードである。
ワイメアベイという世界有数のサーフスポットで、
何百人もの命を救った英雄。

ジェットスキーも足ヒレもない時代。波はビルのような高さ。
それでも臆せず、エディーは溺れたサーファーを助けに向かったのだ。

そんなエディーを讃えるように、
サーファーたちが日常的に使う言葉がある。

「Eddie would go.(エディーウッドゴー)」

「どんな困難も、きっとエディーなら立ち向かっていたよ。」
その精神は、今もハワイアンたちを鼓舞し続けている。

topへ

澁江俊一 17年8月27日放送

170827-05
Tomas Carlo E. Carrasco
メインストリートの名前

世界中からハワイに集まった人々で賑わう
ワイキキのメインストリート「カラカウア通り」。
その名になったカラカウアとは
どんな人だったのだろう?

太平洋の真ん中で
大国アメリカと渡り合いながら
ハワイ王国存続の道を探し続けた王で、
キリスト教宣教師に禁止されていた伝統の踊り
「フラ」を復活させたのがカラカウアだ。

明治政府が生まれたばかりの
日本にも訪れているカラカウア。
有色人種でありながら近代化を果たし、
自立していた日本に、ハワイの未来を重ねていた。
だからこそ日本からの移民を
彼は積極的に受け入れた。

ハワイの独立は叶わなかったが
彼が残したハワイの文化や精神は
今も世界中の人々が愛している。

topへ

松岡康 17年8月27日放送

170827-06
XWL
アロハシャツの起源

ハワイの代名詞ともいえるアロハシャツ。
実は、日本の着物と深いかかわりがあったという。

1904年、日本からハワイへ移民した宮本長太郎が
「ムサシヤ」という仕立て屋をオープンする。
日本から持ち込んだ着物地を使った開襟シャツを作り、人気を博した。

長太郎の死後、長男であった孝一郎が店を継ぎ、
「アロハシャツ」と銘打った新聞広告によって
着物地のシャツを広めることに成功した。

燃えるような赤に海の青。
アロハシャツの鮮やかな色や模様には、
日本の文化が色濃く残っているのだ。

topへ

奥村広乃 17年8月27日放送

170827-07

ハワイの白亜の豪邸

南国の眩しい青空。
その下に立つ、白亜の豪邸。
ハワイ、ホノルルの街の一角にあるワシントン・プレイス。

ここはハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニの邸宅。
100年以上前からある建物ゆえに、不思議な噂もちらほらと。

例えば、ガラスケースに納められたジュエリー。
時々、その向きが変わっているのだとか。
ガラスケースには厳重な鍵がかかっていて、
誰も手を触れることはできないはずなのに。

今でもリリウオカラニ女王が
ジュエリーを眺めているのだろうか。

topへ

奥村広乃 17年8月27日放送

170827-08
Teemu008
ハワイの白いムームー

日本の幽霊といえば白い着物。
ハワイの幽霊も白いムームーを着ているらしい。

白いムームーを着た幽霊の噂があるのは、
ハワイ王朝栄華の象徴「イオラニ宮殿」。
アメリカ唯一の宮殿だ。

ここで働く守衛が
白いムームーを着たリリウオカラニ女王の幽霊をみたというのだ。
リリウオカラニ女王はハワイ王朝最後の女王。
100年以上の時がたっても、
彼女は愛した祖国を見に現世に現れるのだろうか。

それにしても、
なぜ幽霊は白い服を身にまとっているのだろう。
幽霊の世界にもルールがあるのかもしれない。

topへ


login