澁江俊一

松岡康 16年2月28日放送

160228-05

幕末のバカヤロー

2月28日。
今日はバカヤローの日。

幕末の志士吉田松陰。
彼は行動派だった。

ペリーが黒船に乗ってやってきたときも
「自分の目で海外を見てみたい」と弟子と共に小舟で漕ぎ出し
「自分をアメリカに連れて行け」と交渉に向かった。
当然船を追い出されてしまうが
後にペリーにその好奇心と知識欲を高く評価されたほどだ。

そんな松陰は次世代の者たちに向けて、
こんな言葉を残している。

 諸君、狂いたまえ。

現状に満足せず、
常識という壁をいつも自らの行動で壊す。
バカヤローともいうべき
ほとばしる熱い思いが、時代を変えるのだ。

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礒部建多 16年2月28日放送

160228-06

バカヤローの曲作り

2月28日。
今日はバカヤローの日。

“何てモノを作っちゃったんだ。これで俺の人生は終わりだ”
若い頃、アルバムを完成させる度に
こう嘆いていたのは山下達郎。

「Ride on time」、「Melodies」
アルバムに収録された名曲たちに、
山下は一度もOKを出したことはない。
常に最後の1秒まであがいて、
タイムアップと同時に曲ができる。

ライブにおいても、
楽しんで演奏したことなど一度もないと言う。
バンドマスターとして、完璧に演奏がなされているか
気になって仕方ないのだ。

そんな職人気質で、バカがつくほどの生真面目さが、
山下の愛される理由でもある。

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澁江俊一 16年2月28日放送

160228-07

バカヤローの系譜

2月28日。
今日はバカヤローの日。

渥美清、萩本欽一、ビートたけしなど
日本を代表するコメディアンが
師と仰ぐ男、深見千三郎。

浅草のストリップ劇場の幕間で
不自由な手でギターをかき鳴らし
タップダンスとコントで観客を笑わせた。

世話好きで洒落者で人情家、弟子たちに愛された
深見の口癖は「バカヤローコノヤロー」

今はたけしの口癖だと思われているが
おそらく彼も若い頃さんざん聞かされた
愛ある師匠の口癖なのだ。

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奥村広乃 16年2月28日放送

160228-08
クワトロ@JZA80
元気になるバカヤロー

2月28日。
今日はバカヤローの日。

おそらくもっともバカヤロー!と
言われてみたい男といえば、アントニオ猪木。

彼は試合前のインタビューで
こう語ったことがある。

 「出る前に負けること考えるバカいるかよ」

負けようと思って挑むな。
プロレスだけではなく、すべての勝負に言えること。

人生には何度も勝負のタイミングが訪れる。
不安に思うこともあるだろう。

そんな時は、猪木の
バカヤロー!が元気をくれる。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-01

織田幹雄の記録

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

今も数々のスポーツで、
ライバル関係にある早稲田と慶應だが、
日本初のオリンピック金メダリスト
という栄光は、早稲田のものとなる。

1928年、アムステルダムオリンピック。
早稲田競争部の織田幹雄が三段跳びで見事優勝。
日本人の勝利など誰も予想しておらず
表彰式に掲げる日の丸がなかったという。

織田の記録15m21cmは、
国立競技場のメインポールの高さになり、
新国立競技場にも、移設が決まっている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-02
Idhren
川久保玲の哲学

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

70年代から現在まで
第一線で活躍するファッションデザイナー、
川久保玲は、慶應義塾で哲学を学んだ。

 他の人と同じ服を着て、
 そのことに何の疑問も抱かない。
 現状を打ち破ろうという意欲が
 弱まってきた風潮に危惧を感じます。

そう語る彼女の服づくりは
安易な正解にとどまることなく
常にまだ見ぬ世界を探し続ける。
まさに、哲学そのものだ。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-03
Junkyardsparkle
井深大の発明

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

トランジスタラジオやウォークマンなど
時代を変える製品を次々と世に送り出した
ソニーの創業者、井深大は、
早稲田大学の理工学部出身。

学生時代すでに、
ネオン管に高周波電流を流して
周波数を変えると、
光が伸び縮みすることを発見。
後に「走るネオン」として特許を取得し、 
パリ万国博覧会で金賞を受賞した。

 革新は、実は、たわいのない夢を、
 大切にすることから生まれる。

そう語った井深の学生時代は、
たわいのない夢にあふれていた。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-04
Rubber Soul
つかこうへいの自由

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」
などで一斉を風靡した演出家、つかこうへい。
慶應の学生でありながら
早稲田の劇団で活躍した、つかの演出方法は、
稽古中に新たなセリフを次々生み出し、
役者に伝える「口立て」。
初日と楽日でセリフが変わる。
その自由さに、観客は酔いしれた。

いつか、こうへいに
という世の中への願いを込めた
彼の名前。

自由で情熱的なつか演出は、
今も多くの俳優たちの演技の中に生きている。

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-05

山頭火の孤独

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

まっすぐな道でさみしい

また見ることもない山が遠ざかる

など、5・7・5に捉われない、
自由律俳句で知られる種田山頭火。

20歳で早稲田の文学部に入学したが、
神経を病み、2年後に中退。
故郷の山口に帰るも、事業に失敗。
妻子とも別れてしまう。

 どうしようもないわたしが歩いている

 酔うてこうろぎと寝ていたよ

もし山頭火が何事もなく早稲田を卒業していたら…
こんなにもさみしく美しい句の数々が、
生まれていただろうか?

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澁江俊一 16年1月10日放送

160110-06
塾生 (talk)
遠藤周作の失敗

今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。

「沈黙」「深い河」など
日本人のキリスト信仰を描いた重厚な作品で
ノーベル文学賞候補とも言われた遠藤周作。

その青春時代は不遇だった。
ことごとく受験に失敗し
慶應の文学部予科に補欠で合格。
医学部を受けると思っていた父に、
勘当を言い渡される。
ちょうど終戦の頃である。

人生も、日本も、先が見えないまま、
遠藤はカトリック文学に傾倒し、
自らの文学のテーマを見出していく。

すべてが望み通りにいかない
学生時代の遠藤に、
神は何を語りかけていたのだろう?

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