Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。
実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。
徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。
Dick Thomas Johnson
今村昌平のリアリズム
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
「楢山節考」、「うなぎ」で
日本人で唯一、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールに
2度も輝いた映画監督、今村昌平。
実は今村、早稲田の学生時代は演劇部だった。
しかし黒澤明の「酔いどれ天使」に感動し、
映画の道へと転向する。
徹底的な取材。
現場での同時録音へのこだわり。
今村映画のリアリズムは、
確かに演劇と、つながっている。
石原裕次郎の放蕩
今日は慶應義塾を創立した
福沢諭吉の誕生日であり、
早稲田大学を創立した大隈重信の命日。
おしゃれでスマートな
イメージで語られる慶應ボーイ。
昭和を代表する慶應ボーイと言えば
石原裕次郎だ。
もともと俳優を目指していた裕次郎。
喧嘩、タバコ、酒と
放蕩の限りを尽くしていたからか、
在学中に受けたオーディションは
すべて不合格。
しかし兄、慎太郎の小説「太陽の季節」で
映画デビューを飾ると
たちまち日本を熱狂させるスターになる。
遊びを知り尽くした裕次郎のやんちゃさは、
日本の映画界には未曾有の衝撃だった。
Jyo81
家のような記念館
今日12月20日は伊丹十三の命日。
十三の父で映画監督の伊丹万作の出身地であり、
十三が高校時代を過ごした松山に、
伊丹十三記念館がある。
設計にあたって、十三の妻、宮本信子は
「伊丹の家みたいにしてほしい」と依頼した。
床は木で作られ、中庭の庇は低く、
記念館全体に家のような温かみがある。
信子は、記念館についてこう語っている。
隅々まで伊丹十三が感じられる、あたたかくて、
気さくで、見ごたえのある記念館になると思います
家のようなその記念館には、
今も伊丹十三という人間が住んでいるのだ。
抱きしめる手引き
青春時代を
伊丹十三と共に過ごした作家、大江健三郎。
大江より2つ年上だった十三は、
大江の一歩先で、常に彼の人生を導いた。
デビュー小説「奇妙な仕事」も
当時商業デザイナーだった十三を
喜ばせるために書いた戯曲が元になっている。
そんな大江はある日十三から
「女性を抱きしめる方法」を教わった。
尾てい骨から三つ上の関節を
押さえて抱きしめなさい、と。
あるとき大江は、それを妻で試そうとした。
抱きしめながら尾てい骨を探り、心の中で「一、二」と
数えた瞬間、妻が「三!」と言ったそうだ。
大江の妻ゆかりは、十三の妹でもある。
兄の手口を、見抜いていたのかもしれない。
エッセイの先駆け
「なんですよ」「あるわけね」「なのだな」
と、すぐそばにいる誰かに
話しかけるように語る文章が、
エッセイスト伊丹十三の最大の特徴。
今では当たり前だが
60年代から70年代にかけて
このような文体のエッセイは、
ほぼ十三の独壇場だった。
映画に出演するために訪れた
当時まだ日本人に縁遠いヨーロッパを描いた
「ヨーロッパ退屈日記」は、
多くの読者を獲得。
スパゲティのアル・デンテを
日本で最初に紹介したのもこのエッセイである。
本の惹句を書いたのは作家、山口瞳。
それはこんな一文だった。
この本を読んでニヤッと笑ったら,
あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです
pellaea
十三と音楽
音楽がわからない、という状態が
ずいぶん永く続いたように思う。
あるエッセイを、伊丹十三はこのような書き出しで始める。
その理由は幼少期の環境にあった。
小中学生の頃、伊丹の周りには、
音楽的教養の高い子どもばかりだった。
自分だけ例外なことに、コンプレックスを抱いていた。
21歳の時、伊丹は初めてヴァイオリンと出会う。
独学で練習を始めると、ひたすらのめり込んでいった。
そして後にこんな言葉を残す。
楽器とはその人の終生の友である。
決して裏切ることのない友である。
好きになれる天才。
それが、伊丹の多彩な才能の原点かもしれない。
Zanpei
タンポポの味
死ぬことをテーマにした映画「お葬式」で
監督として高く評価された伊丹十三。
続く「タンポポ」では
食べることを徹底的に描いてみせた。
ラーメン、スパゲティ、
味噌汁、北京ダック、チャーハン・・・
食べるという
人間に欠かせない欲望を、
ユーモラスに、そしてエロティックに表現。
日本よりアメリカで高く評価され、
独自の食文化を知らしめた作品となった。
日本橋のたいめいけんでは
映画に出てくるオムライスが今でも食べられる。
ふわふわのオムレツをナイフで切ってライスにかける
そのスタイルに十三のこだわりが生きている。
脚本の書き方
伊丹十三は、何者か。
多彩な才能を持っていたが、
やはり映画監督・脚本家の顔が有名だ。
とある番組で、
伊丹は脚本を考える際のテクニックを説明した。
「絶対にクライマックスを設定して書くこと。」
「クライマックスを主人公が乗り切って終わること。」
「セリフは最後に書くこと。」
それは意外にも、
教科書に載っているような平凡な内容だった。
しかし伊丹は、こう付け加える。
まあ、脚本というのはゴールではなくて、
そこからどこまで飛ぶかというスタート台だからね。
伊丹十三は、何者だったのか。
誰も真似のできない天才でしかなかったのか。
Jith JR
十三の職業
伊丹十三。
彼の職業は、1つではない。
俳優、タレントとして活躍後、
映画監督として時代を築いた。
映画だけではなく、CMも、
ドキュメンタリー映像もつくった。
すぐれたエッセイストでありながら、
雑誌の編集長をつとめ、
商業デザイナーや、
イラストレーターでもあった。
そんな彼は名刺の肩書きに、
こんな1項目を増やしてもいいと考えていたという。
「強風下におけるマッチの正しい使い方評論家。」
独自の鋭い感性とこだわりを持つ、
彼らしい職業である。
kylehase
男女の関係
空気が凛と冷え、
イルミネーションで街が眩しく彩られるクリスマス。
恋人とすごす人も多いのではないだろうか。
伊丹十三は、エッセイ『女たちよ!』の中で
男女の関係についてこう記している。
「男と女の関係は、一種の放電現象であって、
両極間の距離がゼロになった時には、
放電現象も消滅する。」
誰だって、相手に飽きたくない。
好きな人をいつまでも好きでいたいと思っている。
だから相手に飽きてほしくないと思った時は、
少し身をひいてみる。
そんな小技が、
2人の関係を熱く、長く、保つコツかもしれない。
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