澁江俊一

澁江俊一 15年11月15日放送

151115-01
anken0820
龍馬の右手

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

ふるさとの高知、桂浜には、
太平洋を見つめる龍馬の銅像が建っている。

建てられたのは昭和3年。
日本人の龍馬イメージを確立した
司馬遼太郎「竜馬がゆく」よりはるか前のことだ。

その銅像、龍馬の右手は懐に入れられている。
その手が握るのはピストルとも、
万国公法という国際法の本とも言われている。
寺田屋で襲われた時の傷を隠している、という説もある。

何気ないポーズにも
さまざまな想像が膨らんでしまうのが
龍馬という男の魅力なのだ。

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澁江俊一 15年11月15日放送

151115-02

龍馬か竜馬か

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

龍馬の「りょう」という漢字は
画数の多い龍(りゅう)と、
画数の少ない新字体の竜(りゅう)が混同されている。

竜馬自身が使っていたのは画数の多い方。
画数の少ない方が広まったのは、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がきっかけ。

 小説の中では僕のリョウマを動かすのだから、事実とは違う文字にした。

司馬のこだわりが、一文字の違いに込められている。
そんな架空の竜馬が、日本人の龍馬好きを増やしたのだ。

龍馬本人に聞いたら、
「どっちでもええぜよ」と笑うかもしれない。

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澁江俊一 15年11月15日放送

151115-03

龍馬は裏方

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

好きな歴史上の人物で
必ず上位にランクインする幕末のヒーロー。

だが彼は決して時代の表舞台に
立とうと思っていたわけではない。
むしろ目立たないよう、
日本を変えるという大仕事の裏方に徹していた。

薩長同盟も、大政奉還も
龍馬が前面に立つのではなく
主役である人々を説得して、
日本の未来のために心を変えさせる。
それが彼のやりかただった。

政治家になる気がなかった龍馬は、
きっと誰よりも自由でありたかったのだ。

新しいものが好きで
日本ではまだ珍しいブーツを履きこなしていた龍馬。
もし暗殺されることなく
夢だったアメリカに渡っていたら
龍馬は、当時生まれたばかりの自由の象徴ジーンズを
最初に履いた日本人になっていただろう。

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奥村広乃 15年11月15日放送

151115-04

龍馬の恋

「この話はまずまず人に言えないですよ。少し訳がある。」

内緒話をうちあけるかのように始まったこの手紙は、
坂本龍馬が姉の乙女に送ったものだ。

そこには千葉定吉道場の娘・佐那のことが綴られていた。

剣術がうまいこと。
薙刀もかなりの腕であること。
美人であること。
琴や絵をたしなみ、気立てがとてもよいこと。

惚気である。
そして自分が惚れた女性を
姉にも気に入ってもらいたいことがひしひしと伝わって来る。

熱い思いで幕末の日本を動かした、坂本龍馬。
彼は恋する心も、人よりいっそう熱かった。

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礒部建多 15年11月15日放送

151115-05
酔いどれ
龍馬伝 愛酒詩

 酒は呑むべし酒飮むべし。

 人生只だ酒有りて膽(きも)を開く。

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている
坂本龍馬が残した漢詩「愛酒詩」。

龍馬の酒への愛が伝わる詩である。
高杉晋作や、西郷隆盛、勝海舟と、
日本の未来を語りながら
うまい酒を酌み交わしていたのだろう。

そのしめくくりは、
このように詠われている。

 英雄の生涯は夢のようなもの。
 とにかく酒を呑んで、美女に酔おうじゃないか。

英雄たちに愛された龍馬。
女たちにもきっと、
愛されていたに違いない。

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礒部建多 15年11月15日放送

151115-06

龍馬の周波数

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

その生涯を描いた大河ドラマ、龍馬伝。
オープニング曲のボーカルには、
オーストラリア人のリサ・ジェラルドが抜擢された。

美しくも、力強い歌声。
しかしその歌に、歌詞はない。意味も存在しない。
彼女は感性で解釈した龍馬を、即興で歌い上げたのだ。

「耳に聞こえないかもしれない言葉、
 “周波数”のようなものを歌っています。
 自分が魂で感じたものを表現しているのです。」

聴いてみれば確かに、
龍馬の波瀾万丈な生涯を感じさせる。
言葉よりも、雄弁な旋律だ。

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奥村広乃 15年11月15日放送

151115-07

龍馬と釣り

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

いのち短し 恋せよ乙女と歌われる
「ゴンドラの唄」の作詞者・吉井勇は
龍馬の新婚旅行のお供をしたという父から
こんなエピソードを聞いた。

坂本さんは、
あまり釣りが上手ではないと見えて
いつも餌をとられてばかりいた。
だがピストルで鳥を撃つのは
滅法旨かった。

幕府を倒し、
日本を一新させようと奔走した龍馬。
そんな彼も大自然を生きる
魚にはかなわなかった。

なんだか親しみがわくエピソードだ。

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松岡康 15年11月15日放送

151115-08

龍馬と方言

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

龍馬が有名にしたと言ってもいい方言が、土佐弁だ。
土佐弁の語尾には、
猫とネズミと猿が住むと言う。

いいね、は「えいにゃあ!」
知ってる?、は「知っちゅう?」
行くからね、は「行くきね」
ちなみに
知ってるからね、は「知っちゅうきにゃ」
と、全部入りになる。

やけに耳に残るこの独特の方言が
龍馬という男の語る夢や未来に
多くの人が惹き寄せられる
きっかけになったのではないだろうか。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-01

広辞苑の生みの親

日本を代表する辞書、広辞苑。
その表紙に、とある人物の名がある。
新しい村を出ると書いて新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日、10月4日に生まれた言語学者である。

広辞苑の編纂中、太平洋戦争が勃発。
東京大空襲では数千ページ分の銅版が失われた。
ようやく迎えた戦後。日本語は劇的に変わってしまう。

言葉の変化を認めなかった出は、
広辞苑のタイトルが略字体になると聞き、
一晩、号泣したという。

苦難を乗り越え、
昭和30年、初版が発売。
出の人生を賭けた、ずっしり重い一冊だった。

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澁江俊一 15年10月04日放送

151004-02

広辞苑を支えた息子

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

編纂を支えたのは出の次男・猛(たけし)。
フランス文学者だった猛は
治安維持法違反で投獄され、
釈放されたばかりだった。

猛は全力で作業に挑んだ。
外来語を充実させながら、
戦後、資金不足に困ると、
岩波書店に出版を依頼した。

父の願いだった広辞苑を、叶えた息子。

初版の広辞苑、価格は2000円。
公務員の初任給が9000円の時代に、飛ぶように売れた。
戦後の混乱で自信を失った日本が、
正しい日本語を、待っていたのだ。

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