澁江俊一

澁江俊一 15年8月16日放送

150816-05

ビートルズと音頭

歌詞の意味を変えたり
楽曲の世界観を変えるような
大幅なアレンジには
かなり厳しいビートルズ。

彼らが認めた数少ない例外が
人気の曲「イエロー・サブマリン」を
日本ならではの音頭に変えた
「イエロー・サブマリン音頭」だ。

1982年に発売されたこの曲の
プロデュースを手がけたのは
ポップソングの名手、大瀧詠一だった。

「ナイアガラ音頭」「クリスマス音頭」などを手がけ
並々ならぬ音頭への愛があった大瀧。
日本の伝統的リズムにぴったりハマった
ビートルズのメロディは、
日本人なら、一度聞くだけで頭から離れない。
つい、身体も動いてしまう。

どうやら
ポール・マッカートニー本人も
気に入っているらしい「イエローサブマリン音頭」。
2013年に来日したライブでも
BGMとして流していたという。

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奥村広乃 15年8月16日放送

150816-06
Yuki Yaginuma
盆踊りの偶然短歌

念仏で 救済される 喜びに 衣服もはだけ 激しく踊り
 
盆踊りのことを詠んだ、この短歌。
ご存知だろうか。
 
読み手はコンピュータープログラム。
ツイッターの「偶然短歌bot」が詠んだ短歌だ。
 
言葉のネタ物は、インターネット上の百科辞典Wikipedia。
その盆踊りのページから、
偶然短歌のリズムになったフレーズを
抜き出して詠まれている。
 
膨大な言葉の海から掬い上げられた
5・7・5・7・7に並んだ言葉。
偶然生まれたにしては美しすぎる。

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礒部建多 15年8月16日放送

150816-07
hanapapa
福島の盆踊り

「先祖の霊を迎え慰め、彼岸に送り返す仏教行事」
というのが盆踊りの由来。

「あまちゃん」などで知られる音楽家の大友良英が主催する
福島復興のための「プロジェクトFUKUSHIMA」では、
メインイベントとして、盆踊りが取り入れられている。

昔も今も、
人々の心に安らぎをもたらしてくれる盆踊り。
「ドドンがドン」の掛け声に合わせて
老若男女誰しもが、不思議と笑顔になっていく。

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松岡康 15年8月16日放送

150816-08
東京五輪音頭

1964年10月に開催された
東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭」。
東京五輪の前年、1963年に発表されたこの曲は、
当時の人気歌手であった三波春夫や橋幸夫、坂本九など
多くの歌手によってレコード化された。

その中で最も売り上げを伸ばしたのが
三波春夫の歌だった。
シベリアで捕虜となるなど、壮絶な戦争体験を持つ三波。
この曲への思い入れは強く、
どこでもいつでも一生懸命「東京五輪音頭」を歌った。

三波は語る。

日本は、日本人は、頑張って、こんなに戦後復興を遂げたんですよ、
ということを、戦後初めて世界に示すイベントである
東京五輪は、なんとしても成功してもらいたい。

オリンピックが終わった後も、
三波はこの歌を歌い続け、人々を笑顔にした。

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松岡康 15年6月20日放送

150620-01

オリンピックと釣り 松岡康

ご存知だろうか?
魚釣りがかつて、
オリンピック競技だったことを。

フランス人、ピエール・ド・クーベルタンの提唱に
世界の国々が賛同し、
古代オリンピックの終焉から1500年の時を経て、
1986年に近代オリンピックがスタート。

4年後の1900年に
クーベルタンの母国フランスで開催された
第2回パリ大会で、
魚釣りが公式競技として採用された。
選手たちは2日間セーヌ河で鯉などを釣り、
その総重量で勝敗を競った。

今年8月、
2020年東京オリンピックの追加競技が発表となる。
綱引きやウェイクボードなど意外な候補もある。
どんな魅力的な競技が採用されるか、
楽しみに待とう。

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奥村広乃 15年6月20日放送

150620-02

佐藤垢石と釣り

釣りジャーナリストの佐藤垢石(こうせき)。
釣りを中心とした随筆を多く執筆し、
戦後は雑誌「つり人」の初代編集人にもなった。

彼は、こんなことを書いている。

「釣には、嫉妬心を最も禁物とする。」

「釣の道は、人生の道と相通ふところがある。
釣に嫉妬は禁物であるやうに、人生にも嫉妬心は魔物である。」

誰かの釣った魚が大きくても、嫉んではならない。
誰かが見つけた良い釣り場を、横取りするのは美しくない。

多くのスポーツが人生に教訓を与えてくれるように、
自然と向き合う釣りも
生きていくうえで大切なことを
教えてくれるようだ。

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磯部建多 15年6月20日放送

150620-03
David Morimoto
開高健と釣り

「何事であれブラジル人は驚いたり、
 感嘆したりするとき、「オーパ!」と言う。」

この一文から始まる、開高健の釣り紀行「オーパ!」。
大河アマゾンで開高は、
まさにオーパ!と発してしまうような魚たちと出会う。

人さえ食べるピラニア、
体重200キロにも達するピラクルー。
美しいホクロのあるトクナレ。
そして全身金色のドラド。

しなる竿。糸が擦れるリール。
釣り上げるまでの一瞬一瞬の興奮や、感動は、
まるで直接語りかけられているかのように伝わってくる。
開高の釣りに思いを馳せるたび、
中国のこんな古い諺が頭をかすめる。

「永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい。」

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澁江俊一 15年6月20日放送

150620-04

ヘミングウェイと釣り

世界的名作「老人と海」を書いたヘミングウェイは
キューバを愛し、22年もの年月を過ごした。
アメリカのアイコンだった彼が
なぜキューバに長く暮らしたのか。
彼の突然の死とともに、今も残る謎である。

ヘミングウェイはキューバ革命の英雄
フィデル・カストロと一度だけ会っている。
1959年の革命直後にヘミングウェイが主催した釣り大会で
笑顔で握手を交わす2人の写真が残っている。
ヘミングウェイを愛読していたカストロ。
「誰がために鐘は鳴る」は、
ゲリラ戦を繰り返す当時の彼のバイブルだった。

アメリカに帰国したヘミングウェイは
1961年に猟銃自殺を遂げる。
同じ年にアメリカはキューバと国交を断絶する。

「老人と海」はハッピーエンドではない。
死闘の末に釣った巨大なカジキは、
サメの群れに食われてしまう。

キューバとアメリカ。
愛した2つの国の未来は、
ヘミングウェイの目に、どう見えていたのだろう。

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礒部建多 15年5月31日放送

150531-01

明治のパパラッチ

明日6月1日は、写真の日。

明治天皇は、極度の写真嫌いで有名だった。
しかし、そんな明治天皇を初めて写した写真がある。
写したのは、オーストリア出身の写真家、スティルフリード。

艦隊に随行する形で日本にやって来たスティルフリードは、
1872年、横須賀造船所を訪れた天皇一行を無断で撮影。
明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された。

公式に残る明治天皇の写真は、たった2枚のみ。
大きな波紋を呼んだその「パパラッチ写真」も、
後に貴重な歴史的資料となった。

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松岡康 15年5月31日放送

150531-02

化学者の写真館

明日6月1日は、写真の日。

日本で最初に写真館を開いた上野彦馬。
坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文といった
幕末の日本を動かした大物たちが
長崎にある彦馬の写真館を訪れ、写真を撮った。

彦馬が生きた明治時代。
当時の日本では感光材として必要な
薬品の入手さえままならず
写真を撮るためには、
自分で薬品を精製しなければならなかった。

若かりし頃、
オランダ人の医師の下で化学の知識を身に着けた彦馬。
その知識が写真撮影に活かされた。

彼が撮影手順を記した
「舎密(せいみ)局必携」は、
明治の学制改革まで
日本全国で化学の教科書として使われたという。

彦馬は写真家であると同時に、
化学者だったのだ

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