澁江俊一

澁江俊一 15年4月19日放送

150419-05

作家を育てるということ

4月19日、今日は飼育の日。

1958年、大江健三郎が若干23歳で
芥川賞を受賞した小説「飼育」。

とある村の少年が世話をしていたのは、
墜落した飛行機に乗っていたアメリカの黒人兵だった。

戦時中の敵国。人種も違えば、文化も、年齢も違う。
何もかもが異なる人間を飼育するという異常な体験は、
主人公である少年の心を強く揺さぶる。

芥川賞の選考委員の一人で
新人を育てる名人でもあった川端康成は、
過去の受賞作家で最も芥川に似通っているとして

大江氏の名を芥川賞に加えたい

とまで語った。

2人は後に、
日本でただ2人のノーベル賞作家となり
「美しい日本の私」
「あいまいな日本の私」
と、まったく異なる
スピーチをすることになる…

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奥村広乃 15年4月19日放送

150419-06

日本のめだか

4月19日、今日は飼育の日。

5,000余りの呼び名があるという、メダカ。
それほど日本人にとってなじみの深いメダカが
環境省の絶滅危惧種リストに加わったのは1999年。
もう15年以上もまえのことになる。

 『身近な生き物が姿を消してしまうということは異常なことだ。
 それは環境の悪化を教えてくれていると考えることができる。』

姫路市立水族館や島根県立宍道湖自然館の館長などを歴任した
栃本武良(とちもと たけよし)氏はそう語る。

小さな生き物からの緊急シグナルを感じてか、
いま「東京めだか」「藤沢めだか」など、
地域のメダカを大切にするうごきが広まっている。

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奥村広乃 15年4月19日放送

150419-07
photokai
暮らしと自然

その昔、自然は暮らしのすぐそばにあった。

 『ヒトも、動物の一種として生理的な欲求に基づき、
 自然豊かな海山川へわざわざ休日に出掛けていくことになった。』

そう語るのは
姫路市立水族館や島根県立宍道湖自然館の館長などを
歴任した栃本武良(とちもと たけよし)氏。

私たちが自然のある場所に行きたくなるのは、
自然が失われた証拠なのかもしれない。

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松岡康 15年4月19日放送

150419-08
Igor523
伝書鳩の未来

4月19日、今日は飼育の日。

かつて手紙や薬を伝達するために飼育された伝書鳩。
人と伝書鳩との歴史は古く
紀元前約5000年のシュメールの粘土板にも
その記述があるという。

マリー・アントワネットは
獄中から一羽の鳩に希望を託し、外部の王党派と
連絡を取り合っていたとも言われている。

鳩の優れた認知能力と学習能力が
近年、科学的に明らかになりつつある。

児童が描く「上手な絵」と「下手な絵」を
「区別」させる訓練を行い、鳩がその「区別」を
学習できることが実験により確かめられたのだ。

役割を終えたかと思われた伝書鳩。
近い未来、別のかたちで活躍する鳩を
見られる日が来るかもしれない。

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礒部建多 15年3月8日放送

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yto
水木しげるとジャンクフード

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

93歳になる今でもハンバーガーや、牛丼、
スナック菓子など、ジャンクフードを好んで食べる。
彼には、一切の健康法はないと言う。

 何が体にいい、悪いなど気にせず、
 おいしいものをおいしく食べる。

思うままに、楽しみ尽くそうとする。
水木は人生に、希望しか見いだしていない。

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松岡康 15年3月8日放送

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Turinboy
スランプ

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

60年近くにわたる漫画家人生で、
スランプはなかったのか。
聞いてみると水木はこう答えた。

 生きているかぎり描けばいいんです。
 スランプになったとか何とかいうのは、
 人にほめられたい気持ちが
 心の底に無意識にあるに違いない。

40歳を過ぎても、全く食べていけなかった水木。
それでも、好きな漫画をまっすぐに描き続け、
93歳の今でもまだ、描き続ける。

水木しげるの一番の能力は、
人の目を気にせず
好きなものを貫くエネルギーだ。

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澁江俊一 15年3月8日放送

150308-03

妖怪千体説

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

いったんもめん、ぬりかべ、砂かけ婆、
子泣き爺、ろくろ首、ぬらりひょん…
あなたは世界中にどれくらいの
妖怪がいると思うだろうか?

漫画家であり、
妖怪研究の第一人者水木しげるによれば、
世界各地の妖怪はほぼ共通していて、
およそ1000体に集約できるらしい。
それを「妖怪千体説」と言う。

確かにドラゴンやトロル、
河童や魔女などは、
世界中のどこの昔話にも出てくる。

「妖怪はできる限り創作すべきではない」
そう語る水木しげるは
アメリカインディアンやアボリジニ、
アフリカのドゴン族など、
世界中の民族を訪ね、スピリチュアルな文化に触れて
妖怪のフィールドワークを行ってきた。
そんな彼が言うのだから、
「妖怪千体説」は説得力が違う。

ある時訪れたマレーシアのジャングルで
自らが描いた「水木しげるの妖怪画集」を持参したら
「知っている」「見たことがある」と
現地の人々が、日本の妖怪に次々と反応したという。

世界中にいる妖怪たちは
異なる文化がつながるヒントを
私たちに、教えようとしているのかもしれない。

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松岡康 15年3月8日放送

150308-04
puffyjet
神様の嫉妬

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

漫画の神様手塚治虫。
ある出版社のパーティで彼は
一人の漫画家を捕まえてこう言い放つ。

  あなたの絵は雑で汚いだけだ。
  あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ。

その相手は、水木しげる。
手塚は水木の才能に驚き、嫉妬したのだ。

その場では何も言い返さなかった水木だが、
のちに手塚をモデルとした「一番病」という漫画を描く。
主人公は、一番になることばかりにあくせくする棺桶職人。
手塚を痛烈に皮肉った。

才能を認めているからこそ、反発する。
二人は生涯、ライバルであり続けた。

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澁江俊一 15年3月8日放送

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戦場の怒り

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるが最も思い入れがあると語る作品は
妖怪ではなく、戦時中の人間を描いた
「総員玉砕せよ!」である。

妖怪漫画家として世に出るはるか前、
若き日の水木しげるは、
兵隊として南太平洋にいた。
毎日、徹底的な鉄拳制裁をくらい、
ついたあだ名は「ビンタの王様」。

昭和19年の春、ゲリラ兵の襲撃で
見張りに立っていた水木を残して
分隊の仲間たちが全滅した。
ふんどし一丁でジャングルをさまよい
命からがら部隊に戻ると、
「なぜ死ななかったのか」と上官に激しく責められた。
さらにマラリアを発症し、爆撃で左腕を失う。

あまりにも簡単に人が死んでゆく。
今では考えられないような
理不尽な苦しみが次から次へとやってきた。

 ぼくは戦記物を描くと
 わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。
 多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

あらゆる人間を壊していく戦場で、
それでも水木は目をそらさず、すべてを見ていた。
見えない妖怪を見つめる眼差しも、
その時に養われていたのだ。

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奥村広乃 15年3月8日放送

150308-06

水木の高校受験

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

ゲゲゲの鬼太郎、河童の三平、悪魔くん。
数々のヒット作を生み出した水木しげるも
若い頃は様々な失敗をしてきた。

小学生の頃から勉強よりも睡眠を優先。
成績は芳しくなかった。
そこで、受験先に選んだのは、大阪府立園芸高校。
定員50名に対し、受験者は51名。
このうえなく低い競争率だった。

これは間違っても入るだろう。
そうおもった水木しげる。
校長先生との面談で、
将来の夢を画家だと正直に語ってしまう。

しかし、そこは園芸学校。
農業で身を立てる学生が欲しかった。

水木は、その年のたった一人の
不合格者となったのだった。

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