澁江俊一

松岡康 14年8月16日放送

140816-01
かずっち
ニコライの迎え火

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
夏の終わりを告げる風物詩として有名なこの行事だが、
実は春に行われたことがある。

明治4年5月9日。
当時大国だったロシアの皇太子、ニコライが京都に訪れた際、
歓迎の意味をこめ五山すべてに火がともされた。

小国だった日本が行った、国を挙げての熱烈な歓迎。

しかしその3日後、訪れた滋賀県で悲劇がおこる。
警備を担当していた警官が、突然サーベルでニコライを斬りつけた。
怪我をおったニコライは、東京訪問を中止し日本を立ち去った。

歓迎のための『迎え火』が、
ニコライにとっては送り火となってしまった。

今年も多くの人たちが、
送り火を見に京都を訪れる。
その火に隠された、皮肉な物語を知るものは少ない。

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澁江俊一 14年8月16日放送

140816-02

金閣寺の炎

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

戦後日本を代表する小説として
世界的にも評価の高い三島由紀夫「金閣寺」。
主人公溝口は、本人にとって
絶対の美であった金閣寺に火を放つ。
実際に起きた事件がモデルとなったこの小説、
なぜ今も世界中で読み継がれるのか。

溝口が燃やしたかった
金閣寺とは、何の象徴なのか?
読者次第で様々な解釈ができることも
国境を超えて読まれる理由だろう。

事件と小説の決定的な違いは
ラストシーンにある。
金閣寺に火を放った後、
溝口の心にふと浮かんだ言葉、「生きよう」。
犯人にはなかった、この生命力にこそ、
この小説がいつまでも愛される理由があるのだ。

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礒部建多 14年8月16日放送

140816-03
Rafael Chu
焼け残った塔

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

世界文化遺産、京都・醍醐寺。
その境内に悠然とそびえ立つ五重塔は
「千年の都」京都の中で、
創建当時の形をそのまま残す、唯一の建造物。
そして、現存する最古の木造建築。

951年、醍醐天皇の冥福を祈るために、
2人の息子、朱雀天皇と村上天皇によって建てられた。
細部までこだわり抜かれた設計だったため、
完成に20年も費やした。

1477年、応仁の乱が起こると
京都は焼け野原と化し、
醍醐寺の下伽藍も灰燼に帰したが、
五重塔だけは、その形のまま焼け残っていた。

何故焼け残ったのか、
その奇跡は科学者たちの研究対象になっている。
焼け跡にたったひとつ残った五重塔は
荒廃の世に醍醐寺の存在を示しつづけた。

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奥村広乃 14年8月16日放送

140816-04

京都の窯

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

京都五条坂。
東大路と交差するあたりに
レンガ造りの四角い煙突がある。
その煙突の下には、登り窯が眠っている。

この京都の地で、色絵陶器を完成させたのは
野々村仁清(ののむら にんせい)だといわれる。

仁清は、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開き、
自ら作った焼き物に「仁清」の印を捺した。
中世以前の陶芸家は、職人であり、芸術家ではなかった。
しかし、仁清は作品に印を捺すことで、
自身のブランドを確固たるものにした。

藤花文茶壺は、彼の最高傑作として名高い。
温かみのある白い茶壺。
その上に咲き盛る藤の花。
一枚一枚葉脈を施した緑の葉。
赤、紫、金、銀で彩られた花弁は、
風がふけばゆらりとそよぎそうだ。

かつての五条坂にはいくつもの登り窯が並び、
もうもうと黒い煙を吐きながら、
多くの焼き物を生みだしてきた。
しかし、いま、登り窯から煙が立ち上ることはなく、
静かに文化の営みを伝えている。

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奥村広乃 14年7月27日放送

140726-01

政治家の髭

11歳の少女からの手紙には、
「ひげをはやせば、あなたがきっと大統領になる」と書かれていた。

ひげをはやせば立派に見え、
ひげ好きの女性たちに応援してもらえるから、とのこと。

こんなことを書いたのは、グレイス・ベデル。
ニューヨークに住む女の子。

手紙を受け取ったのは、エイブラハム・リンカーン。
グレイスのアドバイスにしたがった彼は
16代大統領に、みごと当選。

彼はアメリカ史上初の
ひげを生やした大統領になったのだ。

今日7月27日は、政治を考える日。

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奥村広乃 14年7月27日放送

140726-02

未来の見方

今日7月27日は、政治を考える日。

神はわずか6日で世界を作ったというが、
アメリカ独立宣言の原案も、
たったの17日で書き上げられた。

1776年6月のことである。

その起案者は、
33歳の若き政治家、
トーマス・ジェファーソン。
仲間の中で一番筆がたつという理由で、
独立宣言の起草委員に任命された。

「すべての人間は平等に造られている」と
高らかにうたった前文は、
日本国憲法にも影響を与えている。

ジェファーソンはこんな言葉をのこしている。

 過去をふり返るより、未来を夢見る。

いつの時代も、
世界を変えるのは、
明日へと夢見る希望なのだろう。

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澁江俊一 14年7月27日放送

140726-03

生物学の原則

今日7月27日は、政治を考える日。

かつて政治の原則とは、
まったく違う原則に従って行動した
ひとりの政治家がいる。

社会の習慣や制度は、生物と同様、
相応の理由と必要性から発生したものであり、
無理に変更すれば大きな反発を招く。
現地をよく知り、状況に合わせた政治をおこなうべき。

それが「生物学の原則」。
彼の名は、後藤新平。
岩手に生まれ、医者から政治家になった男だ。

後藤の最初の大きな業績は、台湾の統治だった。
はじめに現地の法制度や風習を徹底的に調査し、
住民の反発を最小限にしながら、
平均寿命がわずか三十歳だった当時の台湾に
農業技術を普及させ、伝染病を減らし、
鉄道や道路やダムをつくった。

それはいわゆる植民地支配のイメージとは
かなりちがったものであり、
現地では今も高く評価されている。

「生物学の原則」
いまこそ多くの政治家に、
もう一度思い出してほしい原則だ。

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澁江俊一 14年7月27日放送

140726-04

大風呂敷

今日7月27日は、政治を考える日。

人を愛し、人に愛された政治家、後藤新平。
時計会社シチズンの命名者であり
NHKの前身、東京放送局の初代総裁でもあった彼はまた
ボーイスカウト日本連盟の初代総裁でもあった。

後藤が描くあまりに壮大な都市計画は、
しばしば「大風呂敷」と揶揄された。
しかし彼は、こんな言葉を残している。

人は日本の歴史に50ページ書いてもらうより、
世界の歴史に1ページ書いてもらうことを心掛けねばならぬ。

その「大風呂敷」は
今の言葉で言うなら「夢」であり「ヴィジョン」だ。
それこそが人々を動かす、最も強い力だと
後藤は誰よりも知っていたのだ。

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奥村広乃 14年7月27日放送

140726-05
LexnGer
政治家の料理人

今日7月27日は、政治を考える日。

ホワイトハウスの料理を、
アメリカ独自の食材をつかったアメリカらしいものに。
それが、ファーストレディ、
ヒラリー・クリントンの願いだった。
いままで出されていたフランス料理を
一新しようとしたのである。

その改革に当たったのが、ウォルター・シャイブ。
4000人に1人という関門をくぐり抜け、
ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフを11年間務めた。

南アフリカ共和国の
ネルソン・マンデラ大統領を迎えた時には、
夏野菜にレモングラスを添えたレッドカレー。
ロシアのエリツィン大統領には、
ウォッカでマリネしたサーモン。
平成天皇には、
北太平洋産イワナのロブスターソーセージ添えを。
彼は、国賓に提供する料理には、
アメリカの食材だけではなく
その会食相手にふさわしい食材を、
必ずつかうことにきめたのだ。

その作戦は大成功。
ホワイトハウスを訪れた
多くの人々によろこばれた。

彼はいう。
シェフの仕事は、
人々に楽しみを与える事である、と。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録された。
世界に認められた日本の食事は、
日本の政治に新しい風をふかせるだろうか。

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礒部建多 14年7月27日放送

140726-06

立ち上がり続ける政治家

ふくよかな風貌、
何度転んでも起き上がる人生から
「だるま」と呼ばれた政治家がいた。
第20代内閣総理大臣、高橋是清。

12歳の時、アメリカへ留学した高橋は、
奴隷として農園に売り飛ばされた。
なんとか帰国を果たし、英語を活かした職に就くが
3回も詐欺に遭い、その度に破産を経験。
しかしあきらめない高橋は、知人の紹介もあり、
日本銀行に就職し、後に日本の財政の舵取りをすることになる。

類希な才覚は、波瀾万丈な人生の産物か。
後に高橋は大蔵大臣となり手腕を発揮。昭和の金融恐慌では
デフレから脱却するため、積極財政を展開。
世界不況から一番初めに日本が抜け出した。

幾多の困難を経験した高橋の言葉には、
得も言えぬ重みがある。

 一足す一が二、二足す二が四だと思い込んでいる秀才に
 生きた財政は分からないものだよ。

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