澁江俊一

礒部建多 14年5月11日放送

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IsakFotografi
サッカーとジャズ

「サッカーはジャズである。」
元日本代表監督、岡田武史は、
サッカーの理想型をこう語る。

楽譜通りの演奏だけではなく、
瞬間での即興性がある。
それがジャズの醍醐味。
サッカーにも戦術があるが
最後に試合を動かすのは、選手のひらめきだ。
岡田は言う。

「最善は、そのときだけのことであって、
 少しでも局面が変われば、最善の選択もかわってきます」

なるほど、
だからこそサッカーは人を魅了し、
時に、芸術的とも評されるのだろう。

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礒部建多 14年5月11日放送

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日本サッカーの父

日本サッカーの父と呼ばれた男、
デットマール・クラマー。

1964年、東京オリンピックの年。
彼は日本代表初の外国人コーチとして招かれた。
初歩的な練習を繰り返すクラマーに、選手たちは困惑した。
しかし日本はアルゼンチンを破り、ベスト8の快挙を成し遂げる。

クラマーの日本サッカーへの愛は、
自国ドイツをも超えていた。
日本を去った後、
1975年にバイエルン・ミュンヘンを率いて
UEFAチャンピオンズカップで優勝した時でさえ、
こんなコメントを残している。

 人生最高の瞬間は
 日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。
 私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない。

クラマーの最高の瞬間を、
今年の日本代表に超えてほしい。

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澁江俊一 14年5月11日放送

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m-louis
シンボルの理由

日本サッカー協会の
シンボル八咫烏(やたがらす)。

熊野三山にまつわり、
古事記の時代からあがめられた伝説のカラス。
三本の足を持ち、勝利に導くといわれ
まさに日本サッカー協会にふさわしいシンボルだが
なぜ、八咫烏が選ばれたのだろう。

きっかけは、ひとりの男だった。
中村覚之助(なかむら かくのすけ)。
明治11年、熊野に生まれた覚之助は
学生時代にサッカーと出会い
日本初のサッカー指導書「アッソシェーションフットボール」を出版。
日本初のサッカーチームをつくり、
横浜でアメリカのチームと日本初の対外試合をした。
多くの観衆で盛り上がった試合は2対2の引分けだったという。

しかし日本サッカーの普及を見届けることなく
覚之助はわずか29歳で、この世を去る。

後の昭和6年、
覚之助の後輩で、日本サッカー協会の創設に尽力した
漢文学者、内野台嶺(うちの たいれい)が、
覚之助の故郷、熊野にちなんで八咫烏を
シンボルにしたと言われている。

ああ、伝説のカラスよ。
どうか日本を素晴らしい結果へと、
導いてください。

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松岡康 14年5月11日放送

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The 2-Belo
岐阜のラモス

熱いプレーで愛されたラモス瑠偉は、
今年FC岐阜の監督になった。
常に最下位を争っていたチームだ。

2014年の開幕戦。FC岐阜は3-1で快勝する。
開幕戦勝利は実に4季ぶりだ。

しかし、ラモスは激怒した。

 なんで3-0から自分たちのサッカーをやらなかったのか。
 オレは許さん。せっかくこれだけサポーターが来てくれているのに。

勝っても負けても、死ぬ気でやる。
熱い男のまっすぐなコトバ。

岐阜の弱小チームは、
今年、確実に生まれ変わろうとしている。

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澁江俊一 14年5月11日放送

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IsakFotografi
世界を育てたプレー

80年代に一斉を風靡し、
その素晴らしいプレーで世界中を魅了した、
日本人サッカー選手がいる。
ジダンも、デルピエロも、中田も、メッシも、
彼の存在に大きく影響を受けたと公言する。

その日本人の名は、大空 翼。
世界50カ国以上でTV放送された
マンガ「キャプテン翼」の主人公だ。

野球少年だった原作者、高橋陽一は、
当時マイナーだったサッカーをあえて選ぶ。
努力や根性じゃない、サッカーの楽しさを描こう。
それが高橋の狙いだった。

最初の3話、読者の反応は伸びなかった。
第4話、ストーリーをすべて描き直して
生み出した翼の大技がある。
「オーバーヘッドキック」。
読者アンケートは、大好評だった。

理屈じゃない。
スーパープレーにこそ、サッカーの楽しさがある。

大きな自信を、高橋はつかんだ。
翼とそのライバルたちは
「ツインシュート」「タイガーショット」「スカイラブハリケーン」など
人間離れした大技を、次々と繰り出していく。

子どもたちを夢中にしたその大技が、
世界のサッカーレベルを大きく上げてくれたのだ。

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松岡康 14年5月11日放送

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tamakisono
夢への10年

「10年後にはキャプテンマークを付けて、
ワールドカップのピッチに立つ」
Jリーガー中澤佑二が、高校の卒業文集に書いた夢。

彼の夢を信じる者はいなかった。
サッカーデビューが遅い中澤は
常に下手だと言われ続けた。

高校卒業後、無名の彼を
どのクラブも受け入れはしなかった。
フリーターになった中澤は、
後輩たちと練習を続けた。

ある日、母校のサッカー部と
ヴェルディ川崎ユースとの練習試合に
20才の中澤は年齢を隠して出場。
関係者の目にとまり、ヴェルディの練習生となる。
その後も彼は、凄まじい練習を続けた。

そして文集に書いた通り、
2006年ワールドカップのピッチに中澤は立っていた。

あきらめなければ夢は叶う。
でも「あきらめない」とは、それくらい長い時間が必要なのだ。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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Doha Stadium Plus
リーダーの目標

本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
愛称は、ジーコ。
彼はこんなリーダー論を持っていた。

もっともたいせつなのは、チャレンジする気持ちだ。
とくに、これから組織を作り上げ、
部下を育てていかなければならないリーダーには、
なくてはならない素質だ。
大きな目標に向かっていこうとしないリーダーに、
誰がついていくだろうか。

高い目標を掲げ、
日本代表を数多くの勝利に導いたジーコ。
優れた監督には、学ぶことも多い。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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michibanban
約束 ホルヘ・カンポス

派手なユニフォーム。
小柄な体格に大きなグローブ。
瞬発力、ジャンプ力を武器にゴールを守った。
元メキシコ代表のゴールキーパー、
ホルヘ・カンポス。

彼がメキシコの少年少女たちに、
サッカーの特別授業を行ったときのこと。
授業の最後は、
カンボスのこんな言葉で締めくくられた。

さあ、これで僕のサッカー教室はおしまいだ。
最後にもうひとつだけ憶えておいてほしいことがある。
勝ったチームは、負けたチームにも幸あれ、と祈ること。
プロでもアマチュアでも、
これはキミたちがサッカーを続けていく限り、
絶対に忘れちゃいけない。約束だよ。

サッカーは一人ではできない。
自分のチームがいて、
相手のチームがいてはじめてゲームができる。
そのことに気がついた、
すべてのサッカー少年・少女たちが
身体だけではなく心も
たくましく育っていきますように。

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松岡康 14年4月27日放送

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mitikusa.net
散歩する哲学者

今日、4月27日は哲学の日。

春には満開のサクラのトンネルとなり、
初夏には蛍が舞う京都、哲学の道。

哲学者西田幾多郎が
ここを歩きながら思索をした道だ。

哲学の道の中ほどの橋のたもとに、
西田の歌が刻まれた石碑がある。

 人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり

西田は死ぬまで、
誰の生き方にも影響されず
自分の信じた道を歩みつづけた。

気持ちのいい春。
西田の様に思索をめぐらせ散策しよう。
そこに、自分だけの道が見つかるかもしれないから。

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松岡康 14年4月27日放送

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樽の中の哲学者

今日、4月27日は哲学の日。

その変わった生き方と深い思想から
狂ったソクラテスと呼ばれた
古代ギリシアの哲学者ディオゲネス。

ディオゲネスは欲望から解放されて自足すること、
動じない心を持つことが重要だと考え、
暗闇を恐れず、おいしいものを食べたいとも言わず、
ただ走りまわるネズミの生き方に共感したという。

彼は大きな樽を見つけ、そこに住み、
まるで野良犬の様に広場でメシを貪り食った。

変人にも見えるディオゲネスだが、
古代ギリシア人にはカリスマ的な人気があった。
彼は言う。

 つねに死ぬ覚悟でいる者のみが、真に自由な人間である

自由を突っ走るディオゲネスは、
人類最古のロックンローラーだったのかもしれない。

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