澁江俊一

澁江俊一 14年3月2日放送



ロボットと受験

人工知能は今、
どこまで進化しているのだろうか。

人工知能と人間との戦いは
チェスでは人工知能が人間を上回り、
将棋でも日本を代表するプロ棋士だった
米長邦雄を破り、
人工知能が人間を超えたと言われている。

囲碁となると、
まだ人間の方が有利なようだが、
大学入試はどうだろう。

2013年、
「東ロボくん」という名の人工知能が
大学入試センター試験と
東大の2次試験の模擬試験に挑戦した。

結果は、東大は不合格。
しかし私立大学ならばけっこうな確率で
合格する点数を獲得した。

東ロボくん、
苦手な科目は
国語と英語だそうだ。

2021年までに
東大に合格できるよう
人工知能は今日も進化を続けている。

topへ

礒部建多 14年3月2日放送



宝塚受験

定員40名前後の狭き門に、
応募者は全国から1000人を越える、宝塚音楽学校。
天海祐希は、同校を代表するトップスターだ。

当時通っていた高校の先生に薦められ、
宝塚を目指すようになった天海。
バレエや歌のレッスンに通い始めると、
すぐに才能を開花させ、「10年に1人の逸材」とも呼ばれた。

しかし、誰もが天海の受験を後押しする中
レッスンの先生だけは、こう言った。

 「今、あなたが宝塚を受験したら、
  受かってしまうかもしれない。
  それでは入学してから、あなたが大変な苦労をする。」

天海は、その年の受験を見送り、
翌年の試験でトップ通過を果たす。
そして、最年少で月組トップスターに就任するなど
輝かしい実績を収めた。

ゴールは目先の合格だけではない。
ずっと先の人生と、真摯に向き合うこと。
それを受験と呼ぶのだろう。

topへ

松岡康 14年3月2日放送

140302-07

3度目の失敗

彫刻家オーギュスト・ロダン。
「考える人」で世界的に知られ
近代彫刻の父と言われる彼は、
意外にも美大の受験に3度失敗し
入学を諦めている。

その後ロダンは
室内装飾の職人や修道士を経験。
彫刻家として活動を再開するまで
10年以上かかった。

ロダンはいう。

 経験を賢く活かすならば、
 何事も時間の無駄にはならない。

回り道だからこそ、見える景色がある。
考える人は、今日もそんなことを
考えているのかもしれない。

topへ

松岡康 14年3月2日放送



受験の神様

学問の神様、菅原道真。
彼が祀られている太宰府天満宮には、
毎年日本中から何万人もの受験生が
合格祈願に訪れる。

道真はわずか18歳で
国家公務員試験の「進士」の試験に合格、
23歳でさらに上級の「秀才」に合格し、博士となる。
以後、その才を遺憾なく発揮して順調に出世し、
55歳で右大臣に上り詰めた。
絵に描いたようなエリートコースである。

しかしその後、
彼の出世をねたむ藤原時平の陰謀で
太宰府へ左遷。
わずか2年後に無念の死を遂げている。

 難しい試験に受かることが、
 幸せになれることではない。

そう知っている学問の神様は
今、受験生たちを、
どんなふうに見守っているのだろう。

topへ

奥村広乃 14年2月9日放送



東京駅

いまから100年前。
東京駅の開業式典の冒頭で
ときの首相大隈重信は
招待客1,500人余りを前にこう述べた。

「物はすべて中心を欠くべからず。
あたかも太陽が八方に光を放つがごとく、
鉄道も光線のごとく四通八達せざるべからず」

東京駅を太陽に。
そしてそこから延びる線路を
太陽の光に例えたこの言葉。

100年もむかしに大隈は
いまの東京を
思い描いていたのだろうか。

topへ

松岡康 14年2月9日放送



塔の名前

1958年。
新しい電波塔の名称を決める審査会が行われた。
日本全国から86,269通もの応募があり、
一番多い名称は「昭和塔」、続いて「日本塔」「平和塔」だった。

大もめの審査会で、
審査委員の一人、漫談家の徳川夢声は、
自信満々にこう言った。

「ピタリと表しているのは『東京タワー』を置いて他にありませんな」

コトバのプロである徳川が推したのは、
普通すぎる名前だった。
彼の推薦により、塔の名称は東京タワーに決まる。

もしも、昭和塔という名称になっていたら。
東京タワーはこんなにも愛されていただろうか。

今日もその塔は、
東京の空にまっすぐ立っている。

topへ

澁江俊一 14年2月9日放送


glowingstar
東京の愛し方

東京は、
どんなふうに愛しても許される街。

日本を代表する写真家、荒木経惟。
花や人妻ヌードと並んで、
彼が永年撮りつづけるのが東京の風景だ。

1984年発行の、
特に愛されている写真集がある。
「東京は、秋」。
数年後に亡くなる最愛の妻、陽子と
東京を散歩するように撮った一冊だ。

妻:建物の裏側を撮るのが好きでしょ?
夫:裏側ってのはね、ディテールとか、染みとかがある。
  裏へ行くまで気づかなかったとか、そういうのがある。
  東京の裏側っていうか、それが見える。

どの写真にも
妻、陽子との何気ない会話がつけられている。
昔と今が混ざり合い、急激に変わり続ける街を、
愛する人と歩きながら、いつくしむように、
荒木はシャッターを押した。

いつかは別れる大切な人と、
こんなふうに歩いてみたくなる。
それが、東京。

topへ

礒部建多 14年2月9日放送


Dick Thomas Johnson
日本武道館

東京都九段下にある、日本武道館。
1966年6月30日を境に
ロックの殿堂と呼ばれるようになった。

その日、
初めて武道館でライブを行ったのは、ビートルズだ。
それまで、厳粛な武道の場であったため管理側は猛反対。
しかし、ライブの企画担当だった
読売新聞の鈴木啓正(すずきひろまさ)は、
こう説得した。

 「英国女王陛下から
  勲章をもらった芸術家に
  貸してもらいたい。」

その一言が、
武道館を日本一のライブ会場に変え、
東京を日本の音楽の中心にした。

今日もたくさんのミュージシャンが、
そこで演奏する日を、夢見ている。

topへ

奥村広乃 14年1月12日放送


sifone
大人にならない少年

永遠に大人にならない少年、ピーターパン。
彼が、人間界の少女ウェンディと、
ネバーランドで繰り広げた冒険物語は
今も世界中の子どもたちを惹きつける。

ピーターパンの作者、
ジェームス・マシュー・バリーは
こんな言葉を残している。

 幸福の秘訣は、
 自分がやりたいことをするのではなく、
 自分がやるべきことを好きになることだ。

人はいつか成長し、大人になってしまう。
子どものままでいたかったと嘆くのではなく、
大人になった自分を好きになる。
それが、ジェームス・マシュー・バリーの考える
幸せの姿なのかもしれない。

topへ

礒部建多 14年1月12日放送


epiclectic
大人の歌声

渋くも、
艶のある大人の歌声。
ボズ•スキャッグスのそれには、
男女問わず魅了する魔力がある。

楽曲は、クロスオーバー的で大人な旋律。
1976年に発表した「Silk Degrees」では、グラミー賞を獲得。
このアルバムがきっかけとなり、
AOR(adult oriented rock)という
新しいジャンルさえ生まれた。

以降、
TOTOやボビーコールドウェルなどの
AORの名アーティストが誕生するも、ボズは別格だった。
ブルースのようでいて、ソウルフル。
ボズの声を越えるAORアーティストは、
未だ現れていない。

来年には70歳を迎えるボズ。
年を重ねる度、その声は渋みを増し、新たな魅力を携える。
こんな大人に、なってみたい。

topへ


login