澁江俊一

澁江俊一 13年12月15日放送



電話嫌いの作家2

日本の作家、夏目漱石と
「トムソーヤーの冒険」を書いた
アメリカの作家、マーク·トウェイン。
2人の共通点は、電話嫌い。

電話を発明したグラハム・ベルは
トウェインにもぜひと勧めるが、
聞きたくもない音を聞かされ、
話したくもない人と話す、失礼な機械である、
と断られた。

しつこく勧めるベルに嫌気がさし、
トウェインはある文を新聞に発表する。
「ハートフォード市民には今年も全員に
クリスマスカードを贈るが、ベルには絶対贈らない」

数日後、
トウェインが病気で寝ていると、親戚の訃報が届いた。
葬式に出席できず落胆するトウェインのために
ベルは家と教会を電話でつないだ。

葬儀の出席者と心ゆくまで語らい、
電話の便利さを知ったトウェインが
「料金は払わせてほしい」と申し出ると、
ベルは、笑ってこう答えた。

「料金は結構ですから、私にもクリスマスカードをください」

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松岡康 13年12月15日放送



葬儀屋と電話

1889年、
カンザスの葬儀屋アーモン・ストロージャーが、
革命的な発明をする。
ダイヤル式の電話だ。

なぜ葬儀屋の彼に、
このような大発明ができたのか?

当時の電話は、
電話局の交換手を呼び出して、
番号を告げ、人の手で接続してもらうものだった。

ある日ストロージャーは、自分が経営する葬儀屋への
電話注文が少ないことに不信を抱く。
原因を調べると、電話交換手が別の葬儀屋の女房で、
仕事の電話をすべてそちらにつないでいたことが判明。
そこから「人の手を介さない回線交換」を思いついたのだ…

強い意志で
日常に転がっている発明の種を見つけ、
育てることで、偉大な発明が生まれる。
葬儀屋ストロージャーの逸話は、
わたしたちにそう教えてくれる。

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礒部建多 13年12月15日放送



五輪ポスターと電話

堂々と佇む日の丸。
それを支える様に、
金の輝きを放つ五輪マーク。
亀倉雄策がデザインした
1964年東京五輪のポスターだ。

日本のデザインの発展に寄与した功績を認められ、
五輪ポスターのコンペに招かれた亀倉だが
〆切当日、委員会から催促の電話を受けるまで
提出期限を忘れていた。
その電話から、わずか2時間で彼は
あのダイナミックなデザインを仕上げたのだ。

シンプルで力強い、そのポスターは
20点以上の案から満場一致で選ばれた。

もしあの時、
電話に出られなかったら、
この歴史的デザインは、
幻になっていた。

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奥村広乃 13年12月15日放送



電話と不自由

ピンク・レディ『UFO』、
都はるみ『北の宿から』など
名曲の数々を手掛けた作詞家、阿久悠。

愛する人に会えない切なさ、
新しい愛に気が付いた胸のときめき、
愛を失った悲しみなど、
さまざまな愛の形を、言葉で紡いだ彼は
こんなエッセーを残している。

「若者よ、自由を欲するなら、まず電話を手放せ!

僕らは、逢って、語って、別れてから、
その次に逢うまでの時間は、完全な祈りであった。
心変わりの心配も、祈るしかない。それが恋愛であろう。

24時間電話を掛けつづけ、
完全に相手の行動を把握しようとする心に、
恋愛はたぶん芽生えない。

電話を悪役にするつもりはないが、
人間はもっと人間らしさを恋しがり、
人間を主張する必要はあるだろう。」

24時間つながれる。
この安心と便利さは、
自由を犠牲にしているのかもしれない。

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奥村広乃 13年11月23日放送



OLという言葉

モダンガールに、サラリーガール。
ゴルフ場で働けば、ゴルフガール。
ガソリンスタンドなら、ガソリンガール。
大正から昭和にかけて、
働く女性は「ガール」と呼ばれていた。

OLという言葉がこの世に登場したのは、
東京オリンピックの前年、1963年11月25日。

当時、働く女性はBG‐ビジネスガールと呼ばれていた。
これは和製英語で、直訳すると商売女となってしまう。
このままでは、オリンピックで訪れる欧米人の誤解を招く。
そこで、櫻井秀勲(さくらい ひでのり)が編集長を勤める婦人画報で
新しい呼び方が募集された。

そこから選ばれたのが、
オフィスレディ―、OLだった。

OLという言葉が登場して半世紀。
働く女性たちの姿は大きく変化している。
次の東京オリンピックが開催される頃、
彼女たちはなんと呼ばれているのだろう。

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松岡 康 13年11月24日放送


darrenleno
OLからの転身

明日、11月25日はOLの日。

かつて、『月曜日はOLが街から消える』
とまで言われたドラマがあった。

1996年にオンエアされた「ロングバケーション」。
婚約破棄された落ち目のモデルと、
自分の才能に自信が持てないピアニストの物語だ。

脚本をかいたのは北川悦吏子。
彼女自身、もともとは広告代理店に勤めるOLだった。
雑用ばかりの日々に嫌気が差し、
心機一転脚本家を志したという。

ドラマから16年たって、
久しぶりにロングバケーションを見た彼女はこう語った。

古いよ、ちゃんと。
1996年の気分をたっぷりしょってます!
それが、いいと思う

彼女が描く女性は、時代の空気をまとっている。
古くなっていることが、それを証明していた。

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澁江俊一 13年11月24日放送



ふつうのOL

明日はOLの日。
1963年に初めて「OL」という言葉が
週刊誌『女性自身』11月25日号に載ったから。

日本の主婦を描き続けた漫画が
サザエさんなら
日本のOLを描き続けた漫画は
OL進化論だ。

1989年から連載が続く
長寿作品で、作者は秋月りす。
それまで男性が多かった
4コマ漫画界での
女性作家のはしりでもある。

移り変わる時代を捉える
鋭い切り口がありながら
読んでいる人を少しも傷つけない。
リアルで、共感できる
ふつうのOLたちの日常が
ほのぼのと描かれるこの作品。
手塚治虫文化賞も受賞している名作だ。

秋月は語る。
ふつうと、平均的は、違う。

そう、平均的な人間なんて、
どこにもいないのだ。
OL経験のない自分の
ふつうの感覚を信じて
秋月はこれからもOLを描き続ける。

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松岡 康 13年11月24日放送



OLって変わらない?

明日、11月25日はOLの日。

仕事に。趣味に。恋に。悩み多き彼女たち。
そんなOLたちの複雑な悩みを
いち早くとらえていた評論家、石垣綾子。

マリリン・モンローが来日した1954年。
彼女は文藝春秋に「職業婦人と婚期」
というエッセイを寄せた。

 男なら誰でもより好みしない、というなら、
 結婚もたやすいだろうが、働く近代女性ともなれば、
 注文も難しくなるから、おいそれと、理想の夫はみつからない。

石垣がエッセイを書いてから60年。
職場の環境も大きく変わった。
しかし働く女の悩みの種は、
60年経っても、変わっていないのかもしれない。

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澁江俊一 13年11月24日放送



悪魔のOL

半世紀前のロンドンに
ファッションが誰より好きな
アナという少女がいた。

保守的な名門高校に、
制服のスカートを超ミニにして
通い続けたあげく、校長に激怒され中退。
アナは勉強に、まったく興味を持てなかった。

流行の服を身にまとい、
夜遊びを繰り返すアナには
大好きな服を仕事にしたいという夢があった。

大人になったアナは、
ファッション誌の編集の道へ。
たちまちのし上がり、保守的な雑誌だった
「ヴォーグ」の編集長として斬新な改革をおこない
最先端のトレンド雑誌に変身させた。
1600億ドルのファッション業界を
ひとりで動かしているとも言われている。

誰に嫌われようが、愛されようが
ファッションのために激務をこなす。
好きでもないことを仕事にするなど
彼女には考えられないのだろう。

2008年、アナ・ウィンターに
大英帝国勲章が授与された。
OLたちに大ヒットした映画「プラダを着た悪魔」の
モデルと言われているのも彼女である。

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礒部建多 13年11月24日放送


mrhayata
OLを描く 中園ミホ

「やまとなでしこ」や「スタアの恋」。
脚本家、中園ミホの作品は次々ヒットを飛ばす。

中園のこだわりは、
時代と共に移り変わる、
働く女性像の描き方だ。
彼女たちをリアルに表現するためなら
努力は厭わない。

「取材の中園ミホ」と呼ばれるほど、
自分の足を使って、徹底的に取材を行う。
「ハケンの品格」を書く際には
何人もの女性派遣社員に会いに行った。

取材を受けてくれた人の
生の声を届けなければ。

中園はセリフを書くことで、
働く女性たちの声にならない声を
代弁している。

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