澁江俊一

松岡康 13年7月21日放送



沖縄と建築家

沖縄県糸満市摩文仁の丘。

青い海と空を背に、
どっしりとした沖縄赤瓦の屋根が
静かに浮いている。

ここは、沖縄戦没者墓苑。

20万人超といわれる沖縄戦犠牲者のうち
18万人余の遺骨が
琉球墳墓風の納骨堂に納められている。

設計したのは、
昭和近代建築の巨匠である谷口吉郎。

墓苑を構成する素材は、すべて地元沖縄産。
谷口は平和の礎となった人たちを温かくいだくように
納骨堂を片仮名の「コ」の字の形に設計した。

1979年2月2日に完成。
そのわずか1日後の2月3日、
戦没者墓苑の完成を見届けるように
谷口はこの世を去った。

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澁江俊一 13年7月21日放送


bluegreen405
沖縄と芸術家

縄文土器の魅力を発見して以来、
日本文化の根源を探る旅を
続けていた芸術家・岡本太郎。

「わび」「さび」の伝統形式を、
生命力がないと否定した太郎は
沖縄の聖地・御嶽(うたき)が、
礼拝所もご神体もない空き地であることに、深く感動する。

沖縄には、何もない場所にこそ、神の存在があったのだ。

本土復帰にあたり、沖縄の人々に太郎が記した言葉。
「島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという
人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしいのだ」

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奥村広乃 13年7月21日放送


butterforfilm
沖縄の詩人

白い砂浜が、ゆるやかなカーブを描き、
エメラルドグリーンの遠浅な海がきらめく。
うっそうと茂る緑の木々が、心地よい木陰をつくる。
沖縄県 石垣島 底地(すくじ)ビーチ。

その傍らに、1つの石碑がある。
石垣島出身の詩人、伊波南哲(いば なんてつ)の詩碑だ。

ふるさとは
わがこころのともしび
のぞみもえ
こころはほのぼのと
とめるふるさと

彼は明治35年石垣島に生まれ、
その生涯を閉じるまで
沖縄や石垣島をうたいつづけた。

知り合いがいるわけでもないのに
甲子園では、地元の高校を応援してしまう。
ワールドカップでは、自分の国を応援してしまう。
人には、生まれた場所を愛してしまう
DNAが流れているのかもしれない。

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奥村広乃 13年6月16日放送



天文学の父

天文学の父、ガリレオ・ガリレイ。

彼が、地球は太陽の周りをまわっていると主張し、
宗教裁判にかけられたのは有名なお話。

結果にはすべて原因があると考えたガリレオ。
実験や観察を通じて、
様々な「なぜ」を解き明かしていった。

インターネットが普及した今、
ちょっとした疑問はネットで検索することが
当たり前になった。
そのぶん、「なぜ」と考えることが減ってしまった気もする。

君は、報告を信じるだけで、自分で確めないのか。

ガリレオが残したといわれるこの言葉は、
現代のビジネスマンにも少し耳が痛い。

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礒部建多 13年6月16日放送


Amakuha
テクノポップの父

1978年、「人間解体」のアルバムと共に
日本に強い衝撃を残した、クラフトワーク。
後に、テクノポップという新しいジャンルを確立させた。

シンセサイザーなどの電子楽器で作り上げられる
単一的なメロディーで、無機質な世界観。
彼らが、その音楽に込めたこだわりは
徹底的にシンプルに。無駄を削ぎ落し、
音楽から人間らしさをなくす事。

ボーカルをロボット声に変換するなど、
今までの音楽の常識を逸脱した実験的な音楽は
大きな反響を呼んだ。

今や、
多くの人に愛されるテクノポップは
当時とは、印象も大きく変わっている。
しかしいつまでも実験的であってほしい。
テクノポップの本質はそこにあるのだから。

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澁江俊一 13年6月16日放送



宇宙開発の父

小惑星イトカワをめざして
宇宙を旅した探査機はやぶさの活躍は
多くの日本人に夢を与えた。

その小惑星の名前は
日本の宇宙開発の父・糸川英夫にちなんでいる。

若い頃、空に憧れていた糸川は
戦時中の名機とうたわれた、
ある戦闘機の設計にも関わった。
その名もまた、隼。

戦後日本の宇宙開発を
大きく飛躍させたのは糸川がつくった
わずか23センチのペンシルロケットだ。
アメリカやソ連のような大型の実験機がない日本で
小さな物で実験し、それを巨大化して実用にするという
「逆転の発想」だった。

当時日本には
レーダーでロケットを追跡する技術がなかったが
糸川は上空ではなく、水平に発射することで
ペンシルロケットの実験を可能にした。

まさに探査機はやぶさのように
果てしなく遠い夢をめざし
アイデアと実行力で一歩ずつ近づいてゆく。

糸川の業績と、無限の好奇心は
今も日本の宇宙開発者たちの、
大きな目標になっている。

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礒部建多 13年6月16日放送



ヘアヌードの父

和製英語「ヘアヌード」
それは、編集者・元木昌彦が生んだ言葉。

元木は早稲田大学を卒業後、講談社に入社。
やがて、週刊現代の編集長となる。
挑戦的な姿勢から
様々な業界のタブーを記事にしていった。

裸体を紙面に掲載することも、
当時は絶対的なタブーとされていた。
しかし、元木にとってそれは好都合だった。

新聞記者がとりあげない領域を
とりあげることにこそ
僕らの存在理由がある。

今も編集に携わっている元木。
次はどんなタブーを狙っているのか。

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澁江俊一 13年6月16日放送


hobby_blog
怪獣の父

地球の平和を守るウルトラマンが
次々と倒す怪獣たち。
その怪獣たちが
誰が見ても愛せない存在だったら、
ウルトラマンはこんなに
人気者になっていただろうか。

レッドキング、ピグモン、ジャミラ、ゼットン…
主役のウルトラマンより
ファンが多いかもしれない
怪獣たちの着ぐるみを数多く手がけ、
怪獣の父と呼ばれている高山良策(たかやま りょうさく)。

デザイナーの成田亨(なりた とおる)とともに
日本中の子どもたちに恐れられながらも
どこか憎めない怪獣たちを生み出した高山には
恐さではなく、やさしさがあった。

結婚後すぐに入院した妻を
献身的に介護したやさしさ。
怪獣の造形にもこだわりながら
軽さ、安全性を重視し
着ぐるみを着る演技者が怪我しないよう
自由に怪獣を演じられるよう気を配った。

そんなやさしさが
どこか、にじみ出てしまうから
今もみんな高山が生んだ怪獣たちが
大好きなのだ。

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松岡康 13年6月16日放送



植物学の父

日本の植物学の父・牧野富太郎。
彼はまた、多くの子をもつ
大家族の父でもあった。

妻寿衛子(すえこ)との間に
もうけた子供はなんと13人。
研究に没頭する富太郎を
経済的に支えながら子供を育てるため、
寿衛子は料亭をはじめる。
店は大繁盛。
寿衛子は、研究室と書斎を備えた家を建て、
子供たちを立派に育て上げた。

寿衛子が亡くなった年、
富太郎は感謝の意をこめ、
発見した新種の笹にスエコザサと名付ける。

牧野富太郎が植物学の父なら
寿衛子はその業績を支えた母だといえる。

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松岡康 13年6月16日放送



タワーの父

1923年。関東大震災で
多くの建物が被害をうけるなか、
日本興業銀行はほぼ無傷だった。
設計者は耐震構造の父と呼ばれる内藤多仲。

地震国日本において、
独自の構造理論を打ち立て実践した内藤は
タワーの父としても知られている。

名古屋テレビ塔、通天閣、
別府テレビ塔、さっぽろテレビ塔、
東京タワー、博多ポートタワー。

内藤が設計したこれらのタワーは、
タワー6兄弟と呼ばれ、
今も日本各地の人々に愛されている。

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