澁江俊一

田中真輝 20年1月19日放送



惑わぬ星

1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。

すい、きん、ち、か、もく、どってん、かい、めい。
そのように太陽系の惑星を覚えた人も多いのではないだろうか。
しかし現在、その最後に位置する「冥王星」は惑星ではない、
とされている。

太陽系の果て、冥王星が位置するあたりに、同じようなサイズの
天体が多数見つかり、惑星の定義のひとつ、
「軌道の近くに衛星以外の星がない」という項目にあてはまらなく
なったためだ。

惑星、と言ったのも人間、やっぱり違った、と言うのも人間。
当の冥王星は、悠久の時間の中、ただ巡る。人の手の届かぬ天空の果てを。

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田中真輝 20年1月19日放送


NASA
検証不可能な宇宙

1908年の今日は、
日本天文学会が設立された日。

最新の理論物理学では、宇宙は1つではなく、
複数存在するという「マルチバース理論」なるものが
提唱されている。それが意味するのは、宇宙の全体像は
観測によって検証することができない、という事実。
果たして、理論は正しくとも、検証ができないものを
実在すると言えるのか。

理解が進むほど、わからないことが増えていく。
宇宙はまだまだ限りなく遠く、広い。

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奥村広乃 19年12月15日放送


www.twin-loc.fr
タジン鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

とんがり帽子のような蓋が特徴の鍋が
日本でも売られるようになった。
「タジン鍋」だ。
モロッコがその発祥という。

玉ねぎのように尖った鍋の蓋の形には意味がある。
食材から上がる水蒸気が、
蓋の先で冷やされて水となって鍋に戻るのだ。

これにより食材の持つ水分で蒸し煮をすることができ、
さらには、料理の香りが飛ばず風味豊かに仕上げることができる。
水溶性ビタミンも損なわれにくい。

最小限の水のみを使い、
野菜やお肉自体に含まれている「水」や「脂」を活用するタジン鍋。
飲料水が貴重なモロッコらしい鍋なのだ。

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澁江俊一 19年12月15日放送



鍋ルネッサンス

冬といえば、あたたかい鍋。

日本の鍋料理が花開いたのは江戸時代。
まさに鍋ルネッサンスが起きた。

どじょう、まぐろ、あんこう、
すっぽん、ナマズ、穴子、白魚、ふぐ、
イノシシに、鹿、しゃも、雉・・・

鍋の百花繚乱。
様々な鍋の店が江戸じゅうに軒を並べた。

鍋が一気に広がった理由は「ひとり鍋」。
火鉢や七輪が普及した江戸時代は
底の浅い鍋で、ひとりで食べるのが主流だった。

寒い夜。
大好きな具を煮込んだ鍋を
独り占めする喜びは、
人間が味わえる幸福の中でも
最高に近いものでは、ないだろうか。

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澁江俊一 19年12月15日放送



ちゃんこの味が染みる時

冬といえば、あたたかい鍋。

日本の国技である相撲。
稽古部屋で力士たちが食べる
ちゃんこ鍋はよく知られている。

力士たちにとって
たくさん食べることも稽古のうち。
手間ひまかけず大量に作れて
栄養豊富なちゃんこ鍋こそふさわしい。

1日2回。
激しい稽古の後にみんなで食べる。
具やスープの味を様々に変えることで
毎日でも飽きることがない。
昔は牛や豚など4本足の動物の肉は
土俵に両手をつく姿につながり
縁起が悪いとして鍋に入れなかったほど。
ちゃんこ鍋は、まさに
相撲とは切っても切れないものなのだ。

相撲の世界には
「ちゃんこの味が染みてくる」という表現がある。
新米だった力士が稽古を重ねて
精神的にも肉体的にも成長することで
一人前になり、角界に馴染んできた様を言う。

親方に「お前もちゃんこの味が染みてきたな」
と言われることは、新米力士にとって
涙が出るほど、うれしいことなのだ。

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松岡康 19年12月15日放送


Kossy@FINEDAYS
お籠りと鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

東北地方で有名な芋煮会。
河川敷に集まり皆で鍋を囲みつつき合う
心も体も温まる風習だ。

実は芋煮会、
ルーツは東北から遠く離れた愛媛県大洲市にあるという。

300 年以上前の江戸時代、
大洲市では「お籠り」という集会が定期的に行われていた。

各農家が里芋を持ち寄り、
鮎からとった出汁で炊いた鍋を食べる。

人々は籠る様にして一つの鍋を囲みながら、
稲の不作などを話しあい、
親睦を深めたという。

寒い夜に、ひとつの鍋をみんなで囲む。
鍋は、ずっと昔から変わらず、
人と人とをつなぐ、魔法の料理なのかもしれない。

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松岡康 19年12月15日放送


alluréd
諭吉の食い意地

冬といえば、あたたかい鍋。

鍋の代表格であるすき焼きが広まる後押しをしたのは、
福沢諭吉だったといわれている。

そもそも肉が公に食べられるようになってきたのは、
江戸時代末期のこと。
明治初期になると、肉食は国を上げて推進されるようになる。

この文化をより一層広めたのが、
若い頃から食欲旺盛で食に対する好奇心は人一倍強かった、
福沢諭吉だった。

そのエネルギーは尋常ではなく、
肉食の良さをアピールする本『肉食之説』を発刊するほどだった。

今や世界に誇れるものとなった和牛。

肉食の歴史が浅いにも関わらず、
世界に誇れる食文化を生み出すことができるのは、
諭吉の様な先人たちの「食い意地」のおかげなのかもしれない。

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礒部建多 19年12月15日放送



魯山人のすき焼き

冬といえば、あたたかい鍋。

甘辛く煮たすき焼きは、定番とも言える。
しかし、北大路魯山人は、それを「甘くどい、ごちゃ煮」と酷評する。

決して、すき焼きが嫌いだった訳では無い。
魯山人なりのすき焼きの食べ方があったのだ。

まず、霜降りの牛肉を焼き、
すぐに酒を入れ、醤油と僅かなみりんで味をつけて、
焼きあがったら大根おろしを載せて食べる。砂糖は加えない。

その後、昆布と鰹の合わせだしを鍋に足し、
豆腐、白葱、春菊、椎茸などを入れて味をつけて煮込み、
それらに大根おろしを載せて味わう。

肉と野菜を一緒に煮込まずに、焼いては食べる、を繰り返すのだ。

今宵、魯山人の食べ方を試してみるもよし。
あなただけの食べ方を探すもよし。
鍋ほど、自由な料理はないのだから。

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礒部建多 19年12月15日放送


GetHiroshima
水軍鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

日本津々浦々、
風土が生んだ数々の鍋料理がある。

その中でも、
“水軍鍋”という響きは、異彩を放つ。

瀬戸内海の海老や蟹、鯛やサザエに蛤などの魚介類と
海草をふんだんに使い、昆布などを使った出汁で煮込んだ鍋料理。
今も、広島県尾道市や愛媛県今治市周辺で食べられている。

戦国時代にかけて因島を拠点に
活躍した海賊・村上水軍が出陣する際、
必勝祈願と士気向上のために食べていたのがその発祥とされる。

特に「八方の敵を喰う」という意味で、タコは必ず入れたと伝えられる。

鍋で験を担ぐ。
しかしそれ以上に、
一つの鍋を囲むことで、結束を強めていたのだろう。

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奥村広乃 19年12月15日放送



土器と鍋

冬といえば、あたたかい鍋。

土器の発明。
それが、日本の鍋料理のはじまり。

縄文土器の誕生は、今から約1万6000年前に遡る。
世界的にみてもその歴史は古い。

縄文人は肉や魚介、山菜、キノコなどを
土器の中に入れて煮炊き料理を作っていた。
焼いた石を土器の中に入れ、
具を早く煮る工夫もしていたという。

1万年以上前から、この国では鍋の文化が根付いていたのだ。
どうりで食べるとホッとしてしまうわけである。

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