唐山健志郎
生きる座標
修験道とは、日本古来の山岳信仰が
仏教などの影響のもとに習合された
日本独特の宗教のこと。
自然の中で、極めて厳しい修行を通じて
自ら悟りに至る修験道。その厳しさは、
あえて極端な体験をすることによって、
「中道」つまり「真ん中」を知るため
であるという。
それは自らの体験を通して、
生きることの「座標」を手に入れること
なのかもしれない。
唐山健志郎
生きる座標
修験道とは、日本古来の山岳信仰が
仏教などの影響のもとに習合された
日本独特の宗教のこと。
自然の中で、極めて厳しい修行を通じて
自ら悟りに至る修験道。その厳しさは、
あえて極端な体験をすることによって、
「中道」つまり「真ん中」を知るため
であるという。
それは自らの体験を通して、
生きることの「座標」を手に入れること
なのかもしれない。
WolfgangMichel
死を体験する
奈良、吉野から和歌山、熊野にかけて
のびる「大峰奥駆道(おおみねおくがけみち)」は
修験道の修行の場。
その途上にある「山上ヶ岳」はその聖地である。
一般人も一日修行体験をすることができるこの山の
頂上には「西の覗き」と呼ばれる修行場がある。
両肩に紐をかけ急峻な崖からぶら下げられる捨て身行は
まさに死の疑似体験。
生きているという濃厚な実感が欲しいなら、
このショック療法を、一度体験してみることを
お勧めする。
DNAに刻まれた物語
世界中には、様々な文化、民族に
個別の神話が数多存在する。
しかし不思議なことに、それら別々の神話に
多くの共通性が見られることをご存じだろうか。
例えば、イザナギが死んだイザナミを求めて冥界に
赴くが、イザナミがタブーを犯したために二人は
引き裂かれるという日本神話にあるエピソード。
これに酷似したエピソードが、ギリシャ神話や
ゲルマン神話、メラネシアの神話にも存在する。
一体、これはなぜなのか。
一説には、人類は文化や環境が違っていても
無意識の深いところを共有しているからだという。
神話のルーツは固有の民族や文化が生まれるよりも
はるか昔、ヒトが進化する長い時間の中で
その濃度を増していった記憶の残像に違いない。
神話とは人間のDNAに刻まれた物語なのだ。
どこからきて、どこへいくのか。
神話はなぜ生まれたのか。
それは「我々はどこからきて、
どこへいくのか」
という問いへの答えを
求めたから、と言えるだろう。
例えば、アフリカのズールー族の神話では、
大きな葦から最初の人間、
ウンクルンクルが生まれ、万物を作った。
ウンクルンクルは新たに生み出した人間の元へ
カメレオンを使いに出し、
「人は決して死ぬことはない」と伝えよと命じた。
しかし、カメレオンはあまりに歩みが遅く、
しびれを切らしたウンクルンクルは新たな使者、
バッタに「人は死ぬ」というメッセージを託し、
後を追わせた。
結果、バッタはカメレオンを追い越し、
人は必ず死ぬ存在となった。
古代の人々は、神話に大いなる謎に対する
答えと慰めを見出していた。
非科学的なほら話、と笑うだろうか。
しかし、そうした神話をもたないわたしたちが
彼らより幸せかどうかは、疑わしい。
現代の神話
神話は、その時代を生きる人々の行動規範として機能した。
その意味において、現代最も機能している神話は
「資本主義経済」かもしれない。
資本主義経済とは、
「今日よりも明日がより豊かになる」というある種の
楽観論を信じることによって成り立っている。
資本主義社会が生まれる前までは、誰もそんな楽観論を
信じてはいなかったのだ。
世界は、4頭のゾウに支えられた巨大な亀の上に存在している。
かつては信じられていたそんな神話を、今、信じる人はいないだろう。
しかし一方で、昔の人々からしてみれば「資本主義」もまた、
疑わしい神話に見えるに違いない。
現代人にとっても、その神話はやや
疑わしさを増しているかもしれないが。
科学による世界創生神話
はじめに、エネルギーありき。
エネルギーはやがて素粒子を生み出し、
素粒子から、原子が生まれた。
原子は集まって星となり、星からさらに
新しい原子が生まれた。
新しい原子は宇宙に散らばってゆき、
また集まり地球が生まれ、大地が生まれた。
やがて原子同士が組み合わさって、生命が
誕生した。生命は進化し、複雑化し、やがて
人類を生み出した。
これが、近代科学による世界創生の神話。
信じるも信じないも、あなた次第。
世界最低気温
暑い夏こそ、寒い話。
今日7月21日は、1983年、南極のボストーク基地で
史上最低気温である-89.2度を記録した日。
気温ではなく、地表面温度の最低記録は、2010年に
地球観測衛星が南極で観測した―93.2度である。
これは人間が数回呼吸しただけで、肺から出血し
即死するレベルだという。
これほどの低気温を記録するためには、
まず太陽が昇らない真冬の南極であること、
空が完全に晴れ渡り、ほぼ無風であること。
加えて湿度も極めて低い、といった条件がすべて
揃わなければならない。
これらの条件が揃った場所をイメージしてみる。
極めて死に近い過酷な環境にも関わらず、どこか
静謐な美しさを想像してしまうのは、わたしだけ
だろうか。
宇宙空間、寒い?暑い?
暑い夏こそ、寒い話。
宇宙空間の温度は、-270度。
さぞかし寒いだろうと想像しがちだが、
実はそうでもないらしい。
その証拠に、宇宙服には、冷房装置こそついているが、
暖房装置はついていない。
人が寒さを感じるのは、周囲の空気が体の熱を奪うから。
つまり、周囲に空気がなければ、熱は逃げていかない。
宇宙服を着ていると、人の体が発する熱が内部にとどまり、
空気のない外部へと逃げていかないため、ほっておくと、
とめどなく温度が上昇してしまうのだ。
だから、宇宙服には冷房装置こそ必須。
―270度という極寒の中で作業する宇宙飛行士、
実は、クーラーがないと暑くてやってられない、
ということらしい。
津田梅子の志
五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。
1871年、岩倉具視をリーダーに欧米先進国視察のため
結成された岩倉使節団に満6歳という若さで参加。
アメリカで初等、中等教育を受け、11年後に帰国。
その後、伊藤博文の勧めで華族女学校で教鞭をとる一方、
ヘレン・ケラーを訪問したり、ナイチンゲールと会見するなど
精力的に活躍。
1900年、津田梅子は、国際的教養のある女性の育成を目指し、
「女子英学塾」を創設する。
開校の式辞で彼女は、学生に向けて、英語の専門家になろうと
するだけではなく、まったき婦人、すなわち、all-round womenに
なるよう心掛けねばならないと語ったという。
彼女が作ったその学校は「津田塾大学」と名を変えて
100年以上経った今も、彼女の志を受け継いでいる。
葱
梅の花
五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。
日本初の高等女子教育を目指して津田が
創設した「女子英学塾」、後の「津田塾大学」だったが、
彼女が現場への介入を嫌って外部からの資金援助をほとんど
断ったため、その経営は困難を極めた。
しかし、津田は実学重視の教育方針を貫き通す。
授業中の津田は、突進するように動き回り、
机をバンバンと叩きながら討論し、また
ときには豪快にハハハと大笑いすることも
あったという。
第1期の卒業生8名は、卒業にあたって
津田にある歌を送っている。
雪霜のうちに さきがけ匂ふ 梅の花の そのみさをこそ いとゆかしけれ
津田梅子の凛とした美しさを称えた歌には、
深い感謝の気持ちが宿っている。
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