澁江組・田中真輝

田中真輝 18年6月17日放送

180617-07
Quit007
ニューヨークの蛍

ニューヨーク、マンハッタンの
ど真ん中で蛍を見た、と言ったら、
どうせ新手のイルミネーションか
なんかじゃないの、と思うかもしれない。

だが、実際に蛍はいるのだ。
マンハッタンのど真ん中、セントラルパークに。

日本の蛍とは違い
ニューヨークの蛍は水辺を必要としない。
6月の半ば頃から、煌めく摩天楼を背景に、
セントラルパークの芝生の上を
涼しげな光が舞う。

人と車が忙しなく行き交う街中でも
頼りなげに明滅する蛍を見かける
ことがある。

この街で夢を追う者たちは
小さくも空に飛び立つ姿に希望を託し
その光を『幸運の虫』と呼んでいる。

topへ

田中真輝 18年6月17日放送

180617-08
swh
ニューヨークの名物

今日はニューヨークに
自由の女神が贈られた日。

ニューヨークを代表する
ソウルフードのひとつ、ホットドッグ。
ニューヨーカーの年間平均消費量なんと60本。
ホットドッグを売る移動式スタンドは、
ワンブロック毎にあると言っても過言ではない。

蒸気で温めたパンに、
ボイルしたソーセージとキャベツの酢漬け
ザワークラウトを挟んで、
仕上げにケチャップとマスタードをたっぷり。
シンプルだからこそ、いい。
そのシンプルさこそが、
いつも”on the way”なニューヨーカーにぴったりの
“on the way food”である秘訣なのだ。

topへ

田中真輝 18年4月8日放送

180408-05

さよならの湿度

また逢う日まで 逢えるときまで
別れのそのわけは話したくない

名曲「また逢う日まで」の、
作詞家、阿久悠は著書
「ぼくのさよなら史」の中で
こう語っている。

人間はたぶん、さよなら史が
どれくらいぶ厚いかによって、
いい人生かどうかが決まる。

人の心はいつも少し湿り気を帯びて
いなければならない。
カラカラに乾いていては味気ない。
人の心には、さよならによって
湿りが加わるのである。

阿久悠の歌は、それが底抜けに
明るい歌であっても、いつも少し湿っている。
湿っているからこそ、乾いた心に深く、
染みていくのかもしれない。

topへ

田中真輝 18年4月8日放送

180408-06

おまじない

 だいせんじがけだらなよさ

このおまじないのような言葉は、
寺山修司がカルメン・マキのために書いた
曲のタイトル。

さかさまに読むと、
「さよならだけがじんせいだ」。

井伏鱒二が唐の時代の「勧酒(かんしゅ)」という
詩を訳した、その中にこの言葉はある。

幼い頃父を亡くし、12歳で母とも生き別れに
なった少年、寺山修司は、この言葉をさかさまに
して、おまじないのように、何度も唱えながら、
孤独に耐えていたという。

 だいせんじがけだらなよさ
 だいせんじがけだらなよさ

唱えるたびに、むしろ孤独感が強まるような、
そんな気がしてしまうのは、わたしだけだろうか。

topへ

田中真輝 18年4月8日放送

180408-07
Flickmor
ラストシーン

2016年公開のミュージカル映画「La La Land」、
ご覧になった方も多いのではないだろうか。

アカデミー賞6部門を獲得した名作だが、
その印象的な結末に、見る人の意見は分かれ、
賛否両論の声で世間は賑わった。

この結末について、監督のデミアン・チャゼルは
こう語っている。

愛について語るとき、愛自体が主人公の二人よりも
大きな存在でなければいけないと僕は思う。
二人が一緒にいるいないには関係なく、
愛はまるで3番目の登場人物のようにそこあり続けるんだ。
現実とは全く別の次元でね。主人公の二人の関係が終わって
しまったとしても、愛はそこに永遠に存在するということ。
僕はそれが美しいと思う。

そんな愛の形を、美しいと感じるか、それとも…。
まだご覧になっていないという方はぜひ、
ご自身で確かめて頂きたい。

topへ

田中真輝 18年4月8日放送

180408-08
Renaud Camus
長い別れ

アメリカ人作家、レイモンド・チャンドラーの小説、
「ロング・グッドバイ」。

以降のハードボイルド小説の典型となった
この作品は、村上春樹をして最も影響を受けた
作品と言わしめた名作である。

主人公、フィリップ・マーロウは、大きな権力と
暴力の中で翻弄され、傷つきながらも、どこまでも
タフに、自分の信念を貫いていく。

そんなタフな頑固者が、ふとつぶやくセリフ。

「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」

一人称で語られる小説なのに、主人公マーロウの
心情が描写されることはほぼなく、だからこそ、
ふとしたセリフに滲む、この頑固者の限りない優しさ、
繊細さが、読む者の胸を衝く。

長い、別れ。そのタイトルが意味するものは、
マーロウの心の中に、いつまでも消えずに
止まり続ける別れの悲しみと切なさ、
なのかもしれない。

topへ

田中真輝 18年1月21日放送

180121-05

未知の発見

歴史上、科学革命の転機となった探検がある。
それは、アメリカ大陸の発見。

中世の地図に、余白はない。
つまり中世には、自分たちが知っていることが
すべてだったのだ。

コロンブスは、未知の大陸を発見したとき、
その地をインドだと信じ、そこで出会った人々を
「インディアン」と呼んだ。
そして彼は死ぬまでそこをインドだと信じていた。

その後、何度かのアメリカ大陸探検に参加した
アメリゴ・ヴェスプッチは、その地をインド
ではない「未知の大陸である」と初めて記した。
そして史上初の「空白のある地図」が発売される。

これによって、ヨーロッパ人は「未知」という
概念に目を向け、それを征服したいという欲望と
ともに、猛烈に新しい知識を求め始めた。

探検による「未知」の発見が、近代科学革命を
もたらしたのである。

topへ

田中真輝 18年1月21日放送

180121-06

探検の時代

誰もが自宅にいながら、ネットで、
地球上の隅々まで見ることができる現代。
この星に探検すべき場所などあるのだろうか。

人類が探検すべき新たなフロンティアは、宇宙ではなく
地球に存在する、と語るのは英国人探検家、
ロビン・ハンベリーテニソン。

彼が考える新たなフロンティアは、
熱帯雨林の樹冠部、洞窟、サンゴ礁の三つ。

彼は言う。
「探検家にとって重要なことは、その場所に
初めて到達することではない。重要なことは、
その場所について深く理解し、学ぶことである」と。

彼は「探検はこれまで以上に求められている」と語る。
なぜなら、探検によって新たな発見がなされる前に、
それらの場所が、急速に破壊されつつあるからだ。

その意味では、現代こそ、かつてないほど探検が
求められている時代なのかもしれない。

topへ

田中真輝 18年1月21日放送

180121-07
pictinas
探検という生き方

「冒険とは生きて帰ること」
日本を代表する偉大な探検家、植村直己の言葉である。
彼は不屈の精神で偉業を成し遂げ続けた。

常に自分の夢に誠実であり続けた植村が、
マッキンリー単独登山で帰らぬ人となる1年前、
野外学校で子供達に語った言葉がある。

「僕らが子供のころ、眼に映る世界は新鮮で、
 すべてが新しかった。やりたいことはなんでもできた。
 ところが年をとってくると疲れてくる。
 世界の美しさを見ようとしなくなってしまう。
 でも、僕はいつまでも子供の心を失わずに
 この世を生きようと思う。
 いいかい、君たちはやろうと思えばなんでもできるんだよ」

彼にとって探検とは、世界の美しさを
常に感じながら生きるための、代替不可能な生き方
だったのだと思う。

topへ

田中真輝 18年1月21日放送

180121-08

探検家という悪魔

探検家は、時に征服者でもあった。
1519年、スペイン人探検家、エルナン・コルテスは
メキシコに上陸する。
先住民族アステカ人に比べ、
コルテスたちスペイン人は、あまりに多くのことを知っていた。
世界には、未知の人々が住む未知の場所があり、その場所を
征服することが、新しい知識と莫大な富を生むことを知っていた。
そして彼らは速やかにアステカの王、モンテスマを捕虜にし、
たった550人足らずで、何百万もの民を擁するアステカ帝国を
内部から引き裂き、征服する。
探検家によって得られた知識や富を抜きにして、近代科学の発展は
なかっただろう。
しかし一方で、探検家は、略奪者であり文明の破壊者でもあったのだ。

topへ


login