薄組・熊埜御堂由香

熊埜御堂由香 14年6月8日放送

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Kemon01
家の話 ドリス・デュークのシャングリラ

ドリス・デューク。
1925年、12歳のときに父を亡くし、
膨大な遺産で、世界一裕福な女の子といわれた。

彼女の伝記にこんな一節がある。


日記を書くように、ドリスは家を建てた。

世界中に6つの家をたて、
自家用ジェットで世界中を飛び回った。
そんな彼女が一番手をかけた家がハワイにある。
イスラム美術を集め、50年かけて内装をしあげていった。
カハラ地区にある、その邸宅はシャングリラと呼ばれる。

2度の離婚に、子どもの死。
最後まで、家族をもたなかったドリスにとって、
家とは、生活の場ではなく、
夢を見る場所だったのかもしれない。

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熊埜御堂由香 14年5月18日放送

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学びの話3 高峰秀子

昭和を代表する女優、高峰秀子。
5歳で子役デビューして、あっというまに人気者になった。

それは彼女を、「学校」から遠ざけた。
小学校はもちろん、いわゆる義務教育を
満足に受けることができなかった。

彼女が26歳のときに発表したエッセイ集、「私の渡世日記」。
文章の巧みさに世が驚いた。
出版社に、ほんとうに本人が書いているのか?と
問い合わせが殺到したほどだった。

高峰は、子役時代から、自分の出演する映画の脚本を、
あたりまえのように読んできた。
さらに、キャリアを積み出演作を選ぶようになると、
より脚本を精緻に読み込むようになったという。
出演作は400作を超えた。

さらに結婚した映画監督、松山善三が病に倒れると、
脚本の口述筆記を一手に引き受けた。
右手の中指に、ペンだこが固まって
指がいびつに太くなっても、
夫の言葉をかきとめ続けた。

彼女は言う。
 私の生きてきた道は常に文章と道づれでした。

女優として、妻として、
読んで、書いて、生きた。
厳しく、清らかな、学びの姿勢がそこには、ある。

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熊埜御堂由香 14年5月18日放送

140518-04
カノープス
学びの話4 谷川俊太郎

 はなののののはな はなのななあに
 なずななのはな なもないのばな

谷川俊太郎の「ことばあそびうた」という
詩集の一節だ。
子どもたちの口から口へと
伝わっていきそうな、素朴な楽しみに満ちた
ことばがならぶ。

学ぶとは、真似るを語源にするが、
そういう遊びと学びのあいだの行為から、
ひとはことばの扉を開けるのだろう。

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熊埜御堂由香 14年3月9日放送

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ercolemarchi
からだの話 ピナ・バウシュの問い

ドイツの前衛的な女性舞踏家、
ピナ・バウシュ。

彼女は若いダンサーたちの指導に当たる時
つねにこう問い続けた。

あなたは、誰ですか?

自分の存在を、身体だけで表現する。
その厳しい問いかけは、彼女が亡き今も、
舞台の上で生き続けている。

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熊埜御堂由香 14年3月9日放送

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komehachi888
からだの話 よしもとばななの健康

作家、よしもとばなな。
小さいときから体が弱かった彼女が、
健康について対談した時にこんな話がでた。

 風邪をひく勇気がないと健康じゃない。
 病気をしても、大丈夫だってどこかで思える、
 そういう魂そのものが健康なんじゃないか。

 
大人になり、いつの間にか、
「よしもとさんは、健康そうですね」と
周りから言われるようになったという。

きっと彼女の中では、
からだと心の歯車がぴたっと合って
ゆっくりでも、きちんと、今日も動いている。

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熊埜御堂由香 14年1月19日放送


kton25
誕生にまつわる話 赤ちゃんの手のひら

生まれたての赤ちゃんには、
握った手に指をいれると握り返す
原始反射といわれる反応がある。

それを見て昔のひとは、こう言った

 赤ちゃんの握った手の中には
 幸せが詰まっている。

無意識の赤ちゃんが、
ギュッと手に力を込めるように。
生まれながらにして、人には、人を
幸福にする力が宿っている。

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熊埜御堂由香 14年1月19日放送


L’s Mommy
誕生にまつわる話 はじめてのおつかい

1976年に発売された、名作絵本
「はじめてのおつかい」。
ある日、赤ちゃんの世話に忙しい母が
5歳の女の子におつかいをたのむ。
細やかな絵とお話で、お姉ちゃんに
なった女の子の心情を描いている。

お話を書いた作家の筒井頼子さんは言う。

 物語はつくるものではなく、生まれてくるものだと思うんです。
 つくったお話は、はかなく消えてしまう気がするけど、
 生まれてきたお話は消えないように思うんです。

そう、妹や弟の誕生は、
姉や兄の誕生でもある。
今日も、新しい産声とともに、
物語が生まれる。

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熊埜御堂由香 13年11月17日放送


godamariko
アーティストの話 川上弘美

作家、川上弘美。
普通の生活の中にある不思議を
きりとった小説を多く書いてきた。

大学の時に少し書いていたが
職業として小説を書きはじめたのは36歳の時。
それまで専業主婦をしていた。

ある日、朝からしゃべった言葉を思い返したら
スーパーのレジで「どうも」といった一言だけだった。
そのとき、また何か書いてみようかな、と思った。
けれど、書けない。
そのあと10年ほど書いては棄て、
書いては棄てを繰り返してきた。

では、なぜ書けるようになったか、
そう聞かれて彼女はこう答えた。

生活をしたからだと思う。

そう、どんな芸術も、
生きていくことからしか
生まれない。

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熊埜御堂由香 13年10月27日放送


nurpax
おやつのはなし 小林カツ代 母のフライパンケーキ

料理研究家小林カツ代。
豪快に笑い、優しい味の家庭料理を
つくる、まさに日本のおっかさん。

そんな彼女は、子どもの頃
内気で、小学校も休みがちだったという。
家がなにより好きで、
お母さんも彼女に登校を無理強いしなかった。

そんなある日、お母さんは遠足のおやつに
大きな大きなフライパンケーキをつくった。
その名のとおり卵とバターと小麦粉を
フライパンでこんがり焼いたやわらかなケーキ。
それをまあるいままもっていかせた。
すると同級生たちがワッと集まってきた。
「カツ代ちゃん、ちょっとちょうだい」
「少しでいいからわたしも!」
つぎの遠足も、そのつぎの年も、お母さんは
フライパンケーキを焼いてくれた。

小林カツ代は
のちにこんな子育て論を披露している。

 子どもにはそんなにごたいそうなこと
 伝えなくても、おいしいもの作って育てたら
 スクスク育つんやないでしょうか?

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熊埜御堂由香 13年8月18日放送



山のはなし 金時娘のいる山

箱根にそびえる標高1213メートルの金時山。
その頂上にある金時茶屋には看板娘がいる。
今年80歳になる小宮山妙子さんだ。

妙子さんの父は、北アルプスの白馬岳に、
180キロの巨石をかつぎあげたことで知られる力持ち。
親子ふたり金時山で茶屋を営みながら暮らしてきた。
しかし18歳で父をなくし、
妙子さんはひとりで山に残る決意をする。
気がつけば、その明るい人柄で金時娘として、
登山客に親しまれるようになっていた。

ある日、妙子さんの名声を妬んで、
脱獄犯がナイフを片手に
押し入ってきたことがあった。
自衛のため習得した柔道で、相手を気絶させたが
心は恐怖で震えていた。

けれど、彼女は山小屋の切り盛りを続けた。
わけを尋ねると、
彼女はくしゃくしゃの笑顔で答えた。

 だって、みんなが
 喜んでくれるもん。

登山家のアイドル、金時娘は、
今日も山頂であたたかなうどんを仕込みながら
人々を待っている。

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