薄組・熊埜御堂由香

熊埜御堂由香 12年12月23日放送


そのまんま狸
愛のはなし 100万回生きたねこ

作家・佐野洋子のベストセラー絵本
100万回生きたねこ。
主人公のねこはいろいろな飼い主に愛されながら、
100万回死んで100万回生きかえる。
100万回目の生で
はじめて恋をして愛することを知った。
野良ねこと結婚し、子どもをつくり、そして老いていく。
ラストの一文はこうだ。

 ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。

分かりやすいハッピーエンドではないのに
なぜか心が温まる。それは愛の一番美しい形が
描かれているからかもしれない。

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熊埜御堂由香 12年11月04日放送



空のはなし 横尾忠則 天空からの視線

生まれてすぐに養子になり、
50代の両親にひとり息子として
大切に育てられてきた。
自分がいかなる星のもとに生を受けたのか
少年はよく空想した。

アーティスト、横尾忠則。
イラストレーター、グラフィックデザイナー、小説家など
自分から湧き出る表現の限りをつくしてきた。

70年代のはじめに
横尾は超常現象に深く興味をもつようになる。
UFOが見たい、そう心に決めて以来
何年もただひたすら空を見上げていた。
あるとき、やっとUFOが見えた。
見えだしたら、もうやたらと
見えるようになった。
友人が、僕もUFOを、探しているけど見えないな
とからかうと、横尾は真面目にこう返した。
1年や、2年じゃ話にならないよ、と。
祈りをこめたのか、無心なのか、とにかく横尾は空を見上げた。
この徹底的な繰り返しはのちに横尾の芸術スタイルにもなった。

そして現在76歳。
横尾忠則はこう言う

 ぼくは常に星からの視線を感じながら生きている。
 あの宇宙から出発してあそこへ還るのだなぁという実感である。

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熊埜御堂由香 12年10月7日放送


Thomas Hawk
色のはなし  ハッピーホ―リ!

インド全土で、春のあるいち日だけ。
人々が壮大に絵の具を掛けあう
ホーリーとよばれるお祭りがある。
人も車も犬も牛も、街中が
たちまちカラフルに汚れていく。
けれど怒りだすひとなんていない。

その日の合言葉は、
ハッピーホーリー!

色、色、色の世界の中で
みんなが、無邪気に遊ぶ日だ。

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熊埜御堂由香 12年10月7日放送


KYR
色のはなし  生命の色

 どんな色も生命の色だと思う。
作家富岡多恵子は言う。
 だから移ろいゆく
 夕方の空の色を
 いまだにうまく言いあらわせない

と言う。

夕焼けを真っ赤だと、簡単に言わない
77歳の作家は、真摯な言葉を紡ぎ続ける。

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熊埜御堂由香 12年9月2日放送


windyboy
果物のはなし 木村秋則のりんご

葉っぱが真っ白になるほどの農薬を散布してこそ、
真っ赤な美味しいりんごが収穫できる。
それがりんご農家の常識だった。

その常識を変えた男、木村秋則(きむらあきのり)。
青森のりんご農家の婿に入り、
農薬散布に疑問を抱いた。
そして試行錯誤をはじめる。
数年収穫はゼロ。
水道代も払えずメモを取るノートも買えない。
死のうと、ひとり入った山で、ふと気づいた。
一滴の農薬も使わない木々が、葉をつけ生きている。
畑の土を山の土と同じようにしよう。

それから木村は畑の雑草を刈ることをやめ
害虫をむやみに殺すことをやめた。
だんだんと畑は元気を取り戻し無農薬栽培を
はじめて9年後に畑いっぱいにりんごの花が咲いた。
畑には野山のような連鎖がおこっていた。
その実は奇跡のりんごとよばれ、評判になった。
木村は愉快そうに言う。

りんごの花は上を向いて咲くのな。
桜の花は下を向いて花見を
するひとのほうを見て咲くでしょ。
リンゴは人間を気にもしてないの。
ちょっと威張っているのな。

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熊埜御堂由香 12年8月19日放送


donvanone
部活の話 流山児祥の楽塾

演出家、流山児 祥。(りゅうざんじ しょう)
アングラの帝王とよばれ、
国際的な評価も得てきた。

そんなとんがった男が、50歳を前に、
認知症の母親を介護することになる。
演劇から少し離れていて、こう思った。
同世代のふつうのひとたちと
劇場で、遊んでみたい。
そうして1998年に
シニア劇団、楽塾を設立した。
オーディションで
まっさらなおじさん、おばさんがあつまった。

稽古中に『今夜のおかず何にしようかな』なんて考えたり、
曇りの日は洗濯物が気になって。 
発足当初のことを劇団員たちは朗らかに笑う。
まるで部活に打ち込む高校生のように。
激しい檄を飛ばす流山児のもと、活動を続けた。

そして、楽塾はいつしか観客動員1200人を越える
プロの劇団に成長した。

平均年齢59歳、
今年で15周年をむかえる
楽塾のモットーは、
 ひとは元気で楽しいものを見ると
 元気で楽しくなる。



部活の話 長友佑都の太鼓

サッカー日本代表として活躍する長友佑都(ながともゆうと)。

高校時代は、無名選手だった長友。
明治大学サッカー部でも
ケガで試合にでれない日々が続いた。

くさりそうになる気持ちを
長友はサッカーの「応援」にぶつけた。
当時を振り返り彼はこう言った。
 試合の時は太鼓をたたくのが、僕の使命でした。

長友がたたく応援の和太鼓は、
プロチームのサポータ集団から
スカウトされるほどだった。

やがて世界で活躍する長友の、
無名時代のあるひととき。
それはサッカーが、大好きだ、という
プロになっても通用する
強いモチベーションを育ててくれた。

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熊埜御堂由香 12年7月8日放送


llee_wu
4. 冒険の話 高橋源一郎

小説というものは、
広大な平原にぽつんと浮かぶ小さな集落から
抜け出す少年、のようなもの。

前衛的な作風で知られる
小説家・高橋源一郎は言った。

学生運動で大学を除籍になり10年ほど、
土木作業員として各地を転々とした。
長く患っていた失語症のリハビリで書き始めた小説が
高橋を広い世界へ連れ出した。

今日も彼は、ひとり机にすわって
どこまでも遠くへいく。

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熊埜御堂由香 12年6月17日放送


greenkozi
夫婦のはなし 高山なおみとスイセイ

 みいなんかより
 料理がうまいひとは
 ごろごろおるじゃろう?

料理研究家高山なおみの夫スイセイは
雑誌で人気絶頂期の妻のみいにひょうひょうと言った。
その言葉は、妻の人柄も仕事もまるごと理解した
夫にしか言えない最高のエールだ。

高山の力が抜けてリラックスした
優しい味のレシピは
今日も夫婦の食卓から生まれる。

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熊埜御堂由香 12年5月20日放送


さんたす
植物の話 大江健三郎の生まれた森

なぜ学校に行かなければならないのだろう。
そう思い、10歳の少年は学校の裏門を抜け森へ入って
毎日を過ごしていた。

ノーベル賞作家大江健三郎は愛媛県の森林の村で生まれた。
大江が不登校になった年。日本は戦争に負けた。
世の矛盾を敏感な少年は感じていた。
森の中で樹木の性質を学べばひとりで生きていける。
林業を営む父の姿をみてそう考えた。

しかしある日、
森で強い雨に打たれ生死の境をさ迷う。
僕はもう死ぬの?うなされ尋ねると
母親がこう答えた。
私がもういちど産んであげるから、大丈夫。

わけがわからないと思いながらも
静かな心になった少年はこんこんと眠り
回復したら自然と学校に通いはじめた。

それ以来こう思うようになった。
今生きている自分は母にもういちど産んでもらった
新しい子供なのではないか?

少年は森で、もういちど生まれた。
そして森をでて社会の中で生きはじめたのだ。

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熊埜御堂 由香 12年4月22日放送


八犬伝
師のはなし 司馬遼太郎の言葉

歴史小説を通して
人間を描き続けた作家、
司馬遼太郎はこう言った。

食欲と性欲と睡眠欲が三大本能として、
四番目は教育する本能、
そして教育を受けたくなる本能かもしれません。

春、わけもなくわくわくするのは
知的な新しい出会いを
本能が察知しているからだろうか。

お気に入りの本を、親しくなったあのひとに
思わず、すすめるように。
教え、教わり人は生きていく。

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