二十歳のころ 静かな生活
食卓で気持ちよく晩酌をしていた父に、
二十歳になったばかりの娘がこんな理想を語った。
私がお嫁に行くならね、イーヨーといっしょだから。
そこで静かな生活がしたい。
作家、大江健三郎が、自身の家族をモデルにした小説「静かな生活」は
娘のマーちゃんの視点で、
脳に障害をもって生まれた4つ年上の兄・イーヨーとの生活が語られる。
イーヨーは後年、音楽家として活躍する大江光(ひかり)。
彼は19歳のとき、
妹の誕生日に「バースデイ・ワルツ」という曲をつくり
その楽譜に赤いリボンをかけてピアノの上に置いた。
20秒ほどのメロディだったけれど
大江光がはじめてまとまった一曲を書き上げた記念になった。
結局、マーちゃんは結婚して、実家をひとり離れるけれど
兄と妹の、大人になるすこし前のおだやかな時間が
この曲には流れつづけている。
二十歳のころ 大人と子どもの境界線
しらすの心意気。
作家、川上弘美が子どもの視点を
甘く見ないという自戒をこう名づけた。
しらすがカタクチイワシの稚魚だと知り
仰天したことがきっかけだ。
小さいながらに堂々とおいしい彼らを
「しらす」という完成した種だと思っていたのだ。
たしかに人間にも、子どもと、大人、それぞれに社会がある。
そして川上弘美の小説には、子どもが急に大人びる瞬間や
大人が思わず子どもに戻ってしまう瞬間がよく描かれる。
人間をしらすとイワシに分かつひとつの境界線は二十歳。
けれど、その境界を行ったり来たり迷いながら生きていけるのは
人間の幸福なのかもしれない。