薄組・小野麻利江

小野麻利江 12年7月8日放送


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8. 冒険の話 日比野克彦

 口の中をベロで触って、
 どんな形があるか探ってみよう。

 りんごはなぜりんごと言うのか
 いろいろな人に聞いてみよう。

 陽だまりで目をつぶって、
 暖かいのがどこから来るのか
 感じてみよう。

芸術家の日比野克彦は、
日比野自身に、そんな指令を出してみた。

日比野は言う。

 何よりやってはいけないのは、
 つまらないと思いながら仕事をすることだ。

 だから、自分で面白くする努力を常にする。

 小さな大冒険をやってみる。

好奇心が生まれたら、
そこはすべて、冒険の場所。

あしたの朝食べる、トーストの上にも、
ゆううつな気分で乗る、電車の中にも。
あなたの冒険が、
見つかるかもしれません。

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小野麻利江 12年6月17日放送


C Simmons
夫婦のはなし 小川糸

作家・小川糸は、
いつの頃からかなんとなく、
ペンギンと暮らしてみたいと
思うようになっていた。

鳥なのに空を飛べなくて、
ぽってりとしたおなかが愛らしい、
そんなペンギンと。

でもじっさい、
東京でペンギンと暮らすのは、むずかしい。

そう思っていたら、
ペンギンによく似た生き物を、
すぐ近くでみつけた。

いっしょに暮らす、歳の離れた夫。

こうして小川の夫は、
ペンギンになってしまった。

 もうすぐ、ペンギンが帰ってくる。
 お魚が食べたいらしいので、
 マグロのヅケと、酢で〆た鯵を用意した。

きょうも小川は、
自分と、そしてペンギンのために、
楽しそうに、料理をつくる。



夫婦のはなし 向井千秋と向井万起男

両肩に力を入れて生きている女性をみると、
おちょくり、からかいたくなる。

慶應の大学病院で働く医師・向井万起男には、
そんなくせがあった。

その彼が、男まさりでよく笑う、
内藤千秋という後輩をからかった。
彼女はいつしか万起男の親友になり、
一番の親友が女なら、そんじゃ、結婚するしかないな、
という感じで結婚を決めたころ、
内藤千秋は、宇宙飛行士に選ばれた。
日本初の女性宇宙飛行士・向井千秋である。

宇宙を目指しひとりでどんどん進んで行く千秋は、
長い別居生活もいとわない。
こんな妙な女と結婚したのも、運命。
万起男も観念した様子だった。

しかし千秋は、万起男の性格をよくわかっていた。

 マキオちゃんは寂しがり屋だから、ひとりで生きてなんていけないって。
 マキオちゃんは再婚しなきゃだめよ。

1994年7月8日、
いつもの明るい笑顔で宇宙に飛び出した千秋。
発射場の特等席には、
彼女のミッション成功を真剣に願う、万起男の姿があった。

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小野麻利江 12年5月20日放送


Jude Doyland
植物のはなし 狐野扶実子 春のニンジンのスープ

切れない包丁で皮をむしりとったように切っては、
ニンジンが、かわいそう。

出張料理人として世界の要人たちをうならせ、
<フォション>のエグゼクティブシェフを
つとめたこともある料理人・狐野扶実子。

人間にとって心地のいい料理をつくるためには、
食材も心地よくいられるよう
やさしく扱わなくてはいけない。
それが彼女の、料理のやり方。

少しだけミルクの香りがする、春の赤ちゃんニンジン。
その皮をそっとむいて、
玉ねぎの薄切りといっしょに、大切に大切に、火を通す。
沸騰させると味が抜けてしまうから、
その直前くらいの、火加減で。

ニンジンがやわらかくなったら、
バターを加えて、煮汁ごとミキサーへ。

仕上げとしてスープの上に、
バニラの香りをうつしたオリーブオイルを、たらり。

彼女がつくる春のニンジンのスープは、
食べる人間と、食べられるニンジンのことが
同じくらい大切に、想われている。


うちのポチ
植物のはなし 高橋順子 よもぎの葉をつむ時間

よもぎの葉の裏は白い

詩人の高橋順子は子どものころ、
よもぎの葉をつみにいくたびに
くりかえしくりかえし、祖母にそう言われた。

よもぎの葉の裏は白い

そう教えてくれた祖母も、今はもう亡く。
子どもの時間が二度とこないことを
高橋は、ひとりの野原で感じとり、こううたう。

もう間違えることができない
よもぎの葉は白い裏

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小野麻利江 12年4月22日放送


yoti
師のはなし 香川真司とレヴィ・クルピ

ドイツ・ブンデスリーガの強豪、
ボルジア・ドルトムントで活躍する、香川真司。

Jリーグ・セレッソ大阪に入団当初は、
責任感の強さから、
ミスをすると自分を責める傾向があった。

そんな彼に、監督のレヴィ・クルピはこう言った。

人はミスをして当たり前だ
ミスを繰り返すなかで自分を見つければいい
もっと強気な姿勢を見せてくれ

今の香川の活躍の裏には、
才能を見抜き、励ましてくれた
師の存在がある。



師のはなし 野村克也と江夏豊

1976年。望まないトレードによって、
阪神から南海ホークスへ移籍した、投手・江夏豊。
すでに全盛期を過ぎていた彼は
長いイニングを投げられず、
先発として、思うような成績を残せずにいた。

監督であり捕手でもあった野村克也は、
江夏の制球力は健在なことを見抜き、
リリーフ投手への転向を何度も打診する。

しかし当時リリーフ投手の地位は極めて低く、
先発にこだわる江夏は、反発し続けていた。
「トレードのうえ、今度はリリーフ投手への転向か。
何で自分にばかり、恥をかかせるのか」

ある日のこと。
野村は、江夏が新撰組が好きだと知り、
こんな言葉で説得することにした。

二人で野球界に、革命を起こそう。

リリーフ投手の地位をくつがえし、
日本野球界に革命を起こす「師弟」の誕生。
野村の采配は、ここでも功を奏した。

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小野麻利江 12年3月18日放送


Ted Abbott
動物と人 チンパンジーとジェーン・グドール

1960年。26歳のジェーン・グドールは、
類人猿のフィールド調査のため、
タンザニア・ゴンベのジャングルで、
野生のチンパンジーの群れの中に入り
共同生活をはじめた。

徐々に群れのそばまで近づけるようになり、
一頭一頭の顔と特長をつかんだジェーンは、
彼らに名前をつけていく。

だがそれは、当時の動物行動学の世界では、
厳しく禁じられていた。
「個性」や「感情」は人間特有のものと考えられ、
調査対象は客観的に、「番号」で呼ばれていた。

しかし、学位も経験も持たないジェーンは
そんなルールにとらわれなかった。

わたしは子どものころから動物に名前をつけ、
名前で呼んできた。

動物について多くを学んだのは大学ではなく、
犬のラスティをはじめ、代々飼っていた猫たちや
モルモット、ゴールデンハムスターたちからだった。

その後ジェーンは、一匹のチンパンジーが
小枝をつかってシロアリを釣りあげる様子を目撃。
「チンパンジーも道具を使いこなす」という発見は、
ヒトとチンパンジーの境界線にまつわる
通説を、くつがえした。

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小野麻利江 12年2月12日放送


dhistory
おやこの話 お父さんの日記

漫画家で作家の小林エリカは、
実家の本棚で、
父親が16歳の時の日記を見つけた。

戦後すぐの金沢。
なかなか勉強が進まず、
やきもきしている高校生。
友達の名前は旭(あきら)。
好きな女の子は内緒。

「父」でしかなかったその人は、
「小林司」という名を持つ、
ひとりの少年でもあった。

あなたのお父さんがどんな子どもだったか、
あなたは、知っていますか?

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小野麻利江 12年2月12日放送



おやこの話 母と描く花の絵

1日に1時間。
絵を描くために、
ベッドの上で、体を横にする。
それ以上つづけると、平衡感覚が保てず、
体に負担がかかってしまう。

星野富弘。
口に筆をくわえて、野の花の絵を描く。

中学校の体育教師になって、2ヶ月足らず。
クラブ活動の指導中に、頸髄を損傷。
首から下の運動機能を失った。

色をつくるのは、彼の母。
彼が発する小さなニュアンスの違いを聞き逃さず、
たんねんに、絵の具をまぜる。

母子で描いた、花の絵たち。
その中の1枚「なずな」には、
こんな言葉が添えられている。

神様がたった一度だけ
この腕を動かしてくださるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう

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小野麻利江 12年1月8日放送


Ako
表現する男 アル・ジョルスン

1927年に公開された、
史上初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』。

主演のアル・ジョルスンが発した冒頭のセリフは、
その後のジョルスンの舞台でも挨拶がわりに使われ、
終生、彼のトレードマークとなった。

“You Ain’t Heard Nothin’ Yet”
「お楽しみは、これからだ」

トーキー映画時代の幕開けを告げた、このひと言。
映画という「お楽しみ」は、
ここから本当にはじまったと言っても
言い過ぎではないかもしれない。



表現する男 周防正行

「困ったら伊丹さんを撮っとけ」
と思って、撮影していました。
現場にいる監督の姿は
何の抑えにでもなるだろうと思っていたからです。

映画監督の周防正行が
伊丹十三の「マルサの女」の現場に入り、
メイキング番組「マルサの女をマルサする」を監督したのは、
デビュー作を撮って、少し経ったぐらいの頃。
ドキュメンタリー性と娯楽性を見事に融合させた
この番組は、高い評価を得た。

それから、20年あまり。
周防は映画「ダンシング・チャップリン」の中で、
世界的な振付家ローラン・プティに
演出を拒否されて困惑する自分自身の姿を登場させた。

現場にいる監督の姿は
何の抑えにでもなるだろうと思っていたからです。

「抑え」とは、つまり素材のこと。
現場にあるものはすべて、自分自身さえ
映画をつくるための素材とみなすクールな眼が
美しく叙情的な「ダンシング・チャップリン」に
サスペンスな風味をもたらしている。

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小野麻利江 12年1月8日放送



表現する男 円谷英二

映画の公開前に、
フィクションが現実になることもざらだった、
昭和30年代。

映画監督・円谷英二はそんな中で、
新しい特撮アイデアを考え続けた。

「できますか?」と聞かれたら、
とりあえず「できます」と答えちゃうんだよ。
その後で頭が痛くなるくらい考え抜けば
たいていのことは出来てしまうものなんだ。



表現する男 井上陽水

「『今日は・・・いい・・・・お天気・・・でしたね・・』
それを言うだけで、2分くらいかかってる」
落語家の立川志の輔は、
シンガーソングライター・井上陽水の
ライブでのおしゃべりを評して、こう言った。

井上陽水は、会話の中で沈黙が生まれることを、
まったく恐れていないのだという。
彼は言う。

僕は意識的にというか無意識にというか、
喋らない時間というのを
ときどき持ちたいなと思うんです。
全部言葉で埋めたくない。

「傘がない」「氷の世界」「少年時代」。
独特の感覚で歌詞を紡いでいくことにかけては
日本でおそらく右に出るもののいない、井上陽水。
彼は、言葉を発さない瞬間が、
言葉を浮かび上がらせることを、知っている。

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小野麻利江 11年12月18日放送


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男の美学 穂村弘

私のような性質の人間は、
女性を自分の脳内で、勝手に女神にしてしまう。
そのためのきっかけは、至るところにある。

小心者で、妄想がたくましくて、
常に世界と、ちょっとだけずれている感じ。
歌人・穂村弘のエッセイは、
そんなエピソードに事欠かない。

自身が街で見つけた「運命の女神」を
つぎつぎと紹介してくれる様子も、じつに穂村らしい。

真夏に長袖を着ているひとをみるだけで、おっと思う。
本屋で同じ本に手を伸ばしたひとに、おっ。
電車のなかで立ったまま林檎を齧っていたひとに、おっ。
足首に包帯を巻いたウエイトレスに、おっ。(中略)
世界は女神に充ちている。

矢継ぎ早に「女神」を挙げたあとに、一転。
妙に冷静な、自己分析をはじめる。

結局のところ、自分は女性とのまともな関係を
求めてはいないのかもしれない。そう思う。

恋に恋する乙女のような、
男の美学が見え隠れ。



男の美学 カレル・チャペック

チェコの作家、カレル・チャペックは、
園芸を、土いじりを、こよなく愛していた。

しかし彼は、園芸マニアである以前に、やはり作家。
思いきり楽しみながらも、視線はどこか冷静。

いったい、何のために園芸家は
背中を持っているのか?
ときどき体を起こして、
「背中が痛い!」と
ため息をつくためとしか思われない。

そんなユーモアこそがチャペックの美学。
土を掘り、球根を埋め、水を遣る…
園芸家に課せられた果てしない労働を
笑いながら楽しんでいる。


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男の美学 開高健

開高健はいう。

諸君、男のファッションの究極は、紺なんだ。
いい紺を選びたまえ。

芥川賞作家、戦場のルポライター、美食の釣り師
人並み外れた経験を持つ人のコトバは説得力がある。

開高健が、いわゆる「男のファッション」に
興味を持ちはじめたのは
57歳になってからだというが
男の美学は、時間をかけて熟成されるのかもしれない。

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