コンラート・ローレンツ
– 保持壮太郎 –
夏。
あちこちの玄関先に、
アサガオの鉢植えが並ぶ。
いままで
どれだけの小学生が
自由研究と称して
アサガオ観察をしたことだろう。
もはや研究され尽くしたと
言ってもいいはずなのに。
また、この夏も。
でも動物行動学者の
コンラート・ローレンツの
言葉を聞いてちょっと納得する。
誰もが見ていながら、
誰も気づかなかったことに気づく、
研究とはそういうものだ。
ことしも
新しい研究成果に
期待しよう。
ロバート・ソロー
– 保持壮太郎 –
天才たちの生きる世界を、
しばしば僕たちは想像する。
ゴッホの目から見た風景は、
きっと鮮やかな色彩に満ちている。
フェルマーだったら、
世界にいくつもの数式を見るだろう。
ラフマニノフならば、
そこに美しいメロディを感じるはずだ。
経済学者はどうだろう。
マクロ経済学の巨匠、
ロバート・ソローはこう答えた。
私は何を見てもセックスのことを連想してしまう。
極力、私の論文からはそのことを排除するようにしているが。
なるほど。
オスカー・ハマースタイン2世
– 小野麻利江 –
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、
主人公のマリア先生が
雷を怖がる子供たちのために歌う、
「My Favorite Things」。
子猫のひげや、銅の光るケトルなんかのことが歌われる
風変わりな歌詞だけど、
わたしが、オスカー・ハマースタイン2世の代わりに
歌詞を付けたとしたら、
「お気に入り」たちに、何を選ぶだろう。
柴犬のしっぽ。
良く冷えた牛乳瓶のふち。
ぎょうざの羽のパリパリ。
水たまりに浮いた虹色の油。
飛行機から見る雲。
東京タワーの明かりが、消える瞬間。
挙げるときりが無いから、もうやめておくけど、
これだけは歌詞のとおりだ、ってことが、
いま、はっきりとわかった。
悲しい気持ちになるときは、
私はただ 自分のお気に入りを思い出す
そうすれば、そんなにつらい気分じゃなくなる。
ディック・ブルーナ
– 小野麻利江 –
いつも正面を向いている白いウサギ、ミッフィー。
自転車に乗るときも
自転車は右に向かって進んでいるのに
ミッフィーは顔をこちらに向けている。
前を向いて歩きなさい!
お母さんにいつも叱られていた小さな女の子は
ミッフィーが不思議だった。
ウサギさんはよそ見をしてもいいの?
そんなミッフィーの生みの親は、
ディック・ブルーナ。
キャラクターはいつも、
本と向き合っている、あなたのことを見ている
歩くとき、いつもこちらを見ているミッフィーには、
そんな深い愛情のこもった意味が、あるのだという。
小さな女の子もオトナになったら
絵本作家の愛情が、きっとわかります。
メイナード・ファーガソン
– 小野麻利江 –
トランペットを手にした少年や少女が
まずぶち当たる困難な壁、
それは高い音をいかに正確に出すかということだ。
唇はやわらかく
息を早く吹き込み
横隔膜でしっかり支える。
理屈ではわかっていても肩や喉にチカラが入る。
演奏会の3週間前になってもまだ出ない音がある….
そんな悩みを経験した人にとって
メイナード・ファーガソンの高音は
この世の自由を謳歌しているように聞こえる。
どんな理屈もテクニックも
彼の高音の前に平伏する。
空気を切り裂くハイノート、ダブルC.
3年前の今日
天才トランペッター、メイナード・ファーガソンの死とともに
空へ駆け上がるあの高音が失われてしまったのが
惜しまれてならない。
キース・ムーン
– 保持壮太郎 –
楽器を壊しながら演奏する
それが、ロックバンド「ザ・フー」のスタイルだった。
なかでも過激だったのが
ドラマーのキース・ムーン。
キースの破壊力はステージだけにとどまらず
ホテルの窓からテレビを放り投げたこともあるし
プールにクルマを沈めたという噂もあった。
しかし彼のドラムは天才的で
音と音の隙間に極限まで装飾音を詰め込んだ
アドリブだらけの演奏はコピー不可能といわれた。
計算なんてどこにもなかった。
32歳という若さでキースが亡くなって
いま、「ザ・フー」のドラマーは
リンゴ・スターの息子、ザック・スターキー。
ザックは自分の父ではなく
キース・ムーンにドラムを教わっている。
アドルフ・ロース
– 保持壮太郎 –
装飾がないということは、
精神的な強さのしるしだ。
と、かつて
建築家アドルフ・ロースは言った。
装飾は罪であり、
装飾の多さは文化水準の低さをあらわすと主張した。
この言葉はさまざまな誤解を生んでいるけれど
本人の著書からその解釈を見出すことができる。
我々が森の中を歩いていて、
ピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。
それは我々の心の中に語りかけてくる。
「ここに誰か人が葬られている」と。
これが建築なのだ。
彼は、建築を見る人が自分の気持ちを入れることのできる
余白をつくったのだ。
クリフォード・ギアツ
– 小野麻利江 –
文化人類学者、クリフォード・ギアツは、
インドネシア・ジャワ島の文化や習慣を書き記していく中で、
ひとつの強い確信に、たどりつく。
われわれは誰かから目配せをされても、
文脈がわからなければ、
それがどういう意味か理解できない。
愛情のしるしなのかもしれないし、
密かに伝えたいことがあるのかもしれない。
あなたの話がわかったというしるしなのかもしれない。
文脈が変われば、目配せの意味も変わる。
でも、幸せな片思いをする人は言うだろう。
「あなたの文脈」を、「わたしの文脈」に勝手に置き換える。
そんなカンチガイがなかったら
恋もはじまらない。