薄組・小野麻利江

小野麻利江 11年10月16日放送



すすきの秋 飯田蛇笏

故郷・山梨の自然風土に根差した
句を詠みつづけた、飯田蛇笏。

なにげなく手折った、枯れすすき。
その意外な存在感にはっとした一瞬を、
こんな風に、切りとった。

をりとりて はらりとおもき すすきかな

いのちを終えた秋の自然にも、
豊かないのちが、つまっている。



どんぐりの秋 青木存義

明治時代の、宮城県松島。
どんぐりが実るナラの木があるお屋敷で
母親が庭の池に、どじょうを放した。
朝寝坊な男の子が、どじょうが気になって
早起きできるようにと。

その男の子は、のちの作詞家・青木存義(ながよし)。
大人になって、幼い日の思い出を
童謡の中の物語に、昇華させた。

 どんぐりころころ どんぶりこ
 お池にはまって さあ大変
 どじょうが出てきて こんにちは
 坊っちゃんいっしょに 遊びましょう

秋とノスタルジーは、
どんぐりとどじょうくらい、仲が良い。



流星の秋 松任谷由実

「女心と秋の空」とは言うけれど、
男心だって、移ろいやすいもの。

10月初旬にみられる、突発的な流星群。
松任谷由実がこれを
気まぐれな男心に重ねて唄ったのが、
名曲「ジャコビニ彗星の日」。

72年10月9日
あなたの電話が少ないことに慣れてく

「今年は流星の雨が降る」と
マスコミが騒然としていた、1972年。
女は男との別れを予感しながら、
オペラグラスで、夜空をのぞく。

淋しくなれば また来るかしら
光る尾をひく 流星群

男からの電話を期待しなくなった女が、
結局訪れなかった流星群に
期待を失わないのは、

うつくしい思い出にすれば、きっと忘れられる。
無意識のうちにそう感じていたから、だろうか。

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小野麻利江 11年9月4日放送



歌のはなし 井上ひさし・山元護久

1964年・初夏の九州。炭鉱が閉山になり、
稼ぐあてを失ったある家族は、一家心中を考えた。

最後の晩餐とばかりに、ごちそうをつくる母親。
そんな時テレビから、能天気な歌が流れてきた。

人形劇「ひょっこりひょうたん島」のキャラクター、
ドン・ガバチョが歌う、「未来を信ずる歌」。


今日がダメなら明日にしまちょ

明日がダメなら明後日にしまちょ

明後日がダメなら明々後日にしまちょ

どこまで行っても明日がある

次の瞬間。父親が突如、
ぽろぽろと泣きだした。
そして子どもたちに「ごめん!」と言って、
一家心中を、思いとどまった

そんな顛末が書かれた手紙を受け取って、
「ひょっこりひょうたん島」の2人の作者、
井上ひさしと山元護久(やまもともりひさ)は、大いに励まされた。
放送を開始したものの、ずっと評判が悪かった「ひょうたん島」。
でも、こういう人たちがいる限り、必死になって書くしかない。

未来を信じたくなったのは、
ガバチョよりも、九州の一家よりも、
井上と山元だったかもしれない。



歌のはなし 谷山浩子

シンガーソングライター・谷山浩子さんの初恋は、
相手の顔を知らずにはじまった。
文化祭で耳にした軽妙な受け答えに、
心ひかれたのだという。

でも驚くべきは、その後。
なんと、その初恋の人と23年ぶりにめぐりあい、
結婚してしまったのだ。

他の人には見えないものを、
感じ取れるのかもしれない。
彼女が書いた「まっくら森のうた」の歌詞も、
奇妙な出来事に、あふれている。

光の中で見えないものが、
闇の中にうかんで見える
まっくら森の闇の中では、
きのうはあした まっくらクライクライ



歌のはなし エディット・ピアフ

「きみはなぜ、悲しい歌を歌う?」
フランスの国民的シャンソン歌手、
エディット・ピアフは
恋人のマルセル・セルダンに尋ねられて、
こう答えた。

「陽気になるためよ」

ピアフの代表作「愛の讃歌」は、
この恋人に捧げた歌だった。

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小野麻利江 11年8月7日放送



「夏」のはなし 淀屋辰五郎

氷も電気もなかったころに
粋な涼み方を考えだした男がいる。

江戸前期の豪商であり遊び人でもあった
五代目淀屋辰五郎。
その広大な邸宅の夏座敷には
金魚が泳ぐ大きな水槽を天井にとりつけ、
それを下から眺めて、暑気払いをしたという。

それから数十年
丸い小さなガラスの器に金魚を泳がせ
風鈴のように軒先に吊るす金魚玉が
庶民の間にもひろまったのだが
ガラスの涼しさと金魚の涼しさを組み合わせるアイデアは
淀屋辰五郎のおかげといえそうだ。



「夏」のはなし 清少納言

清少納言も、かき氷を愛していた。

『枕草子』の中の、「あてなるもの」。
上品なもの・良いものを挙げるくだりで、
こんな記述がでてくる。
削り氷にあまづら入れて、
新しき金鋺(かなまり)に入れたる

金属製の器に盛られた、削り氷。
その上に、アマチャヅルの茎の汁をかけた、
平安時代のかき氷。

氷の入った金属の器を手に持つと
当時ならそれだけで汗が引くほど冷たかっただろう。

クーラーなんてなかった夏の「女子の愉しみ」は、
現代にもしっかり、受け継がれている。

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小野麻利江 11年7月30日放送



子どもの時間 チャーリー・ブラウン

チャーリー・ブラウンは、ペパーミント・パティに言った。
安心というものは、車の後部座席で眠るようなことだ、と。
彼は続ける。

きみは何も心配しなくていい。
お母さんとお母さんは前の座席にいる。
何もかも、面倒みてくれる。

無条件に、ただただ守られている。
子どもの時間には、たしかにそんな感覚が流れていた。

でもチャーリーは、
そんな時間がいつまでも続かないことも、知っている。

突然きみは大人になる。
そしてもう二度と、後部座席に乗って
眠ることはできなくなるんだ。

小さな男の子チャーリー・ブラウン、
でも立派な哲学者だ。



子どもの時間 小室直樹

子どものころの記憶の中で、
母が父の文句を言う姿を、見たことがない。

気まぐれで、かんしゃく持ちな父。
そんな父を、はいはい、と軽くいなす母のほうが
一枚上手だなあ。
ぼんやりと、そう思っていたけれど。

最近、評論家・小室直樹の本の中で、
こんな、くだりを見つけた。

 母親が子に、亭主のぐちを
 言っちゃいけない。
 それをやったら、子育ては失敗ですよ。

幼い子供を育てる母は
自然と深い知恵を身につけるのだろうか。

ありがとう。お母さん。

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小野麻利江 11年6月19日放送



1 友達について パリス・ヒルトン

洋服を選ぶときに、
ダサいのとオシャレなのを2つ選ぶの。
それで、友だちに聞くのよ。
「どっちがいい?」って。
それで、ダサいほうを選んだ人とは、
関係を絶つの。

つねに世界を騒がせるセレブ・
パリス・ヒルトンが、
ある時、そんなことを言ったという。

(自分のセンスを疑わない。)
彼女の生き方は、ここまでくると、潔い。


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小野麻利江 11年6月19日放送



8 友達について 盛田昭夫

井深大(いぶかまさる)らとソニーを創業した、盛田昭夫。
人とのコミュニケーションを大切にし、
そのための努力を怠らなかった。

オフィスのコンピュータには、
7000人にものぼる友人や知人の
趣味や誕生日を、インプット。
何かあるたびに必ず、カードや礼状を送った。

またある時は、コミュニケーションの本質を、
「電波」にたとえて説明した。

相手の電波が何チャンネルに合っているかを知って
その電波を出せば、ちゃんと受信する。

いかにも「ソニーの父」らしい、行動や発言だ。

しかし、そんな盛田は、
友情について、こう語る。

友情とは、二つの肉体に宿れる一つの魂である。

盛田の「人づきあいのテクノロジー」の中には、
大きな大きな、ハートがあった。

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小野麻利江 11年5月14日放送



希望のことば 「ショーシャンクの空に」のアンディ

希望とは、素晴らしいものだ。
たぶん、なによりも素晴らしい。
そして、それは決して、失われることがない・・・

アンディはそう言って、
決して希望を捨てようとしなかった。
冤罪をかけられ、
「終身刑2回」を言い渡されたにもかかわらず。

1994年に公開された映画、
「ショーシャンクの空に」の話である。

劇場公開時の興行収支は
赤字だったにもかかわらず、
この映画が、年を経るごとに
多くのファンを魅了しているのは、

希望を持ち続けたい。
私たちが無意識のうちに抱いているそんな願いを、
圧倒的なカタルシスとともに、
肯定してくれるから、かもしれない。



希望のことば アラン・ケイ

計算機科学者、アラン・ケイ。
コンピュータがまだ巨大かつ高価なマシンで、
そのため、複数の人間のあいだで「共有」するのが
当たり前だった時代に、
それを「個人ごとに利用する」という環境を構想した
通称「パソコンの父」。

「私たちはこれから、どうなるんだろう?」
そういった、将来に対する
不安や恐れに対しても、
天才的アイデアパーソンである彼が、
ありきたりな回答を、するはずもなく。

未来を予測する最善の方法は、
自らそれを創り出すことである。

こんなあざやかな「解」を
はじき出してしまうのだった。



希望のことば 山本一力

作家・山本一力の小説には、
一生懸命やっている人は、報われなくちゃね。
そんな、あたたかい眼差しがある。

バブル時代に億単位の借金を抱え、
その返済のために、小説を書いた。
しかし、新人賞を獲ってからも、
編集者にペケを出され続ける日々が続く。

そんな「しんどい」の連続の中で、
ずっと支えにしてきた言葉がある、と彼は言う。

『明日は味方』。
誰の言葉かは分かりませんが、
これは、一生の言葉です。
ひたむきにやっていれば、
必ず明日は、味方になる。

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保持壮太郎+小野麻利江 09年8月23日放送

コンラート・ローレンツ


コンラート・ローレンツ

– 保持壮太郎 –

夏。
あちこちの玄関先に、
アサガオの鉢植えが並ぶ。

いままで
どれだけの小学生が
自由研究と称して
アサガオ観察をしたことだろう。
もはや研究され尽くしたと
言ってもいいはずなのに。
また、この夏も。

でも動物行動学者の
コンラート・ローレンツの
言葉を聞いてちょっと納得する。

誰もが見ていながら、
誰も気づかなかったことに気づく、
研究とはそういうものだ。

ことしも
新しい研究成果に
期待しよう。

ロバート・ソロー


ロバート・ソロー

– 保持壮太郎 –

天才たちの生きる世界を、
しばしば僕たちは想像する。

ゴッホの目から見た風景は、
きっと鮮やかな色彩に満ちている。
フェルマーだったら、
世界にいくつもの数式を見るだろう。
ラフマニノフならば、
そこに美しいメロディを感じるはずだ。

経済学者はどうだろう。
マクロ経済学の巨匠、
ロバート・ソローはこう答えた。

私は何を見てもセックスのことを連想してしまう。
極力、私の論文からはそのことを排除するようにしているが。

なるほど。

オスカー・ハマースタイン2世


オスカー・ハマースタイン2世

– 小野麻利江 –

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、
主人公のマリア先生が
雷を怖がる子供たちのために歌う、
「My Favorite Things」。

子猫のひげや、銅の光るケトルなんかのことが歌われる
風変わりな歌詞だけど、
わたしが、オスカー・ハマースタイン2世の代わりに
歌詞を付けたとしたら、
「お気に入り」たちに、何を選ぶだろう。

柴犬のしっぽ。
良く冷えた牛乳瓶のふち。
ぎょうざの羽のパリパリ。
水たまりに浮いた虹色の油。
飛行機から見る雲。
東京タワーの明かりが、消える瞬間。

挙げるときりが無いから、もうやめておくけど、
これだけは歌詞のとおりだ、ってことが、
いま、はっきりとわかった。

 悲しい気持ちになるときは、
 私はただ 自分のお気に入りを思い出す
 そうすれば、そんなにつらい気分じゃなくなる。

ディック・ブルーナ


ディック・ブルーナ

– 小野麻利江 –

いつも正面を向いている白いウサギ、ミッフィー。
自転車に乗るときも
自転車は右に向かって進んでいるのに
ミッフィーは顔をこちらに向けている。

前を向いて歩きなさい!
お母さんにいつも叱られていた小さな女の子は
ミッフィーが不思議だった。
ウサギさんはよそ見をしてもいいの?

そんなミッフィーの生みの親は、
ディック・ブルーナ。

キャラクターはいつも、
本と向き合っている、あなたのことを見ている

歩くとき、いつもこちらを見ているミッフィーには、
そんな深い愛情のこもった意味が、あるのだという。

小さな女の子もオトナになったら
絵本作家の愛情が、きっとわかります。

メイナード・ファーガソン


メイナード・ファーガソン

– 小野麻利江 –

トランペットを手にした少年や少女が
まずぶち当たる困難な壁、
それは高い音をいかに正確に出すかということだ。

唇はやわらかく
息を早く吹き込み
横隔膜でしっかり支える。

理屈ではわかっていても肩や喉にチカラが入る。
演奏会の3週間前になってもまだ出ない音がある….

そんな悩みを経験した人にとって
メイナード・ファーガソンの高音は
この世の自由を謳歌しているように聞こえる。

どんな理屈もテクニックも
彼の高音の前に平伏する。
空気を切り裂くハイノート、ダブルC.

3年前の今日
天才トランペッター、メイナード・ファーガソンの死とともに
空へ駆け上がるあの高音が失われてしまったのが
惜しまれてならない。

キース・ムーン


キース・ムーン

– 保持壮太郎 –

楽器を壊しながら演奏する
それが、ロックバンド「ザ・フー」のスタイルだった。
なかでも過激だったのが
ドラマーのキース・ムーン。

キースの破壊力はステージだけにとどまらず
ホテルの窓からテレビを放り投げたこともあるし
プールにクルマを沈めたという噂もあった。

しかし彼のドラムは天才的で
音と音の隙間に極限まで装飾音を詰め込んだ
アドリブだらけの演奏はコピー不可能といわれた。
計算なんてどこにもなかった。

32歳という若さでキースが亡くなって
いま、「ザ・フー」のドラマーは
リンゴ・スターの息子、ザック・スターキー。

ザックは自分の父ではなく
キース・ムーンにドラムを教わっている。

アドルフ・ロース


アドルフ・ロース

– 保持壮太郎 –

装飾がないということは、
精神的な強さのしるしだ。
と、かつて
建築家アドルフ・ロースは言った。

装飾は罪であり、
装飾の多さは文化水準の低さをあらわすと主張した。

この言葉はさまざまな誤解を生んでいるけれど
本人の著書からその解釈を見出すことができる。

我々が森の中を歩いていて、
ピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。
それは我々の心の中に語りかけてくる。
「ここに誰か人が葬られている」と。
これが建築なのだ。

彼は、建築を見る人が自分の気持ちを入れることのできる
余白をつくったのだ。

クリフォード・ギアツ


クリフォード・ギアツ

– 小野麻利江 –

文化人類学者、クリフォード・ギアツは、
インドネシア・ジャワ島の文化や習慣を書き記していく中で、
ひとつの強い確信に、たどりつく。

われわれは誰かから目配せをされても、
文脈がわからなければ、
それがどういう意味か理解できない。
愛情のしるしなのかもしれないし、
密かに伝えたいことがあるのかもしれない。
あなたの話がわかったというしるしなのかもしれない。
文脈が変われば、目配せの意味も変わる。

でも、幸せな片思いをする人は言うだろう。
「あなたの文脈」を、「わたしの文脈」に勝手に置き換える。
そんなカンチガイがなかったら
恋もはじまらない。

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小野麻利江

朝はやく起きて、夜はやく眠くなります。

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