薄組・小野麻利江

小野麻利江 19年4月28日放送



平成よ、ありがとう。 「平成21年–2009年」

十年一昔(じゅうねんひとむかし)、という言葉がある。

世の中は移り変わりが激しく、
10年も経つともう昔のこととなってしまう
という意味だが、

ちょうど10年前の2009年、
平成21年の政局は、まさにひと昔前という感がある。

この年のはじめ、
アメリカではバラク・オバマ上院議員が、
“Change”と”Yes, we can.”のスローガンを掲げ、
アフリカ系アメリカ人として初の大統領に就任。
「アメリカに変革が訪れた」と、勝利演説を行った。

そこから約8ヶ月後の日本では。
衆議院議員総選挙で、民主党が308議席を確保して、
政権交代を実現。
鳩山由紀夫内閣が発足した。
「政権交代」という言葉は流行語大賞にもなり、
何かが変わっていくのではという期待感が
当初は少なからずあった。

十年一昔。
現在のアメリカの、日本の姿を、
2009年当時の私たちは、
果たして想像し得ただろうか。
しかし、何はともあれ、
平成という時代はもうすぐ終わる。

平成よ、ありがとう。
いよいよ、令和へ。

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小野麻利江 19年4月28日放送


yuki_alm_misa
平成よ、ありがとう。 「平成27年–2015年」

平成27年、2015年3月14日。
北陸新幹線の、長野~金沢間が開業。
もっとも早い「かがやき」での所要時間は、
2時間28分。
金沢を訪れる観光客の数は急増し、
客足は今も途絶えることはない。

そして同じ年の8月23日。
上野~札幌間を運行していた寝台列車、
「北斗星」の運行が終了。
27年半の歴史に幕を閉じた。
上野駅13番線ホームは、
到着の1時間以上前から
ラストランを撮影しようとする
人々で埋め尽くされ、
回送列車が上野駅を発車すると、
「ありがとう!」の声とともに、
拍手が起こったという。

生まれる列車と、去る列車。
列車もそれぞれ、ひとつの時代だ。

平成よ、ありがとう。
いよいよ、令和へ。

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小野麻利江 19年3月31日放送



畑のはなし 秋田の老農・石川理紀之助

幕末から、明治・大正にかけて。
日本全国には「老農(ろうのう)」呼ばれる
農業指導者が何人も存在し、
農村の更生や農業の振興に生涯を捧げていた。

秋田の老農として知られている人物の一人が、
石川理紀之助(いしかわ りきのすけ)。
農村の土壌を調査して
土地ごとに適した作物の指導を行った彼は、
毎朝3時に掛け板(かけいた)を打ち鳴らして
村人たちを眠りから起こし、
まだ夜が明けきらないうちから
農事に専念するよう促したという。

ある猛吹雪の日の、午前3時。
理紀之助が普段通り掛け板を鳴らすと、妻が言った。
「吹雪の朝に掛け板を打ったところで誰にも聞こえない。
ましてこの寒さでは誰も起きて仕事などしないだろう」

すると、理紀之助はこう答えたという。

 この村の人々のためだけに、
 掛け板を鳴らしているのではない。
 ここから500里離れた九州の人々にも、
 500年後に生まれる人々にも聞こえるように打っているのだ

日本の田んぼや畑には、
先人たちのひたむきな想いが埋まっている。

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小野麻利江 19年3月31日放送


Steve A Johnson
畑のはなし 悪魔の作物

ヨーロッパを旅行すると、
かなりの頻度で食べることになるのが、ジャガイモ。
しかしジャガイモはかつてこれらの地で、
「悪魔の作物」と呼ばれ嫌われていた。

ジャガイモがヨーロッパにもたらされたのは、16世紀。
南米からスペイン人が持ち帰ったとも、
アメリカからイギリス人が持ち帰ったとも言われている。

現在よりも小さく黒い姿だった、当時のジャガイモ。
見た目が悪く、聖書に載っておらず、
種ではなく種芋で増える。
「悪魔の作物」と呼ばれたのは、そんな所以であった。
しかし寒冷な気候に耐え、痩せている土地でも
育つことから、
ジャガイモはヨーロッパという広大な畑に、
徐々に根づいていった。

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小野麻利江 19年2月24日放送


KrisNM
雪のはなし ケプラーと雪の結晶

自然の産物であるにもかかわらず、
雪の結晶は、かならず正六角形。
その形がつくる美しさに、
人は古くから魅了されてきた。

雪のスケッチとして最も古いものは、1550年ごろ。
スウェーデン人のマグヌスによる記録。
三日月のような形や、
クラゲのような形のスケッチが残っている。

マグヌスの時代にはまだ、
雪の結晶は、肉眼か虫眼鏡でしか
観察することができなかったが、
1600年代に入ると、顕微鏡が登場。
観察の精度が飛躍的に高まった。
雪の結晶が「かならず」正六角形になることを
発見したのは、
ドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラー。
なぜ六角形になるのか。
その理由の推論を記した小冊子を、
友人やパトロンに送っている。

望遠鏡で、はるか宇宙を観測しながら。
ケプラーは、顕微鏡のレンズの先にも、
小さな宇宙を発見していた。

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小野麻利江 19年2月24日放送


nyanchew
雪のはなし 雪と花

平安時代の歌人、
素性法師(そせいほうし)が詠んだ、雪の和歌。

 春たてば 花とや見らむ 白雪の
 かかれる枝に うぐひすぞなく

白雪が降りかかった枝で、うぐいすが鳴いている。
立春も過ぎたので、
白い雪が、花に見えているのだろうか。

雪を散る花に例えるのは、和歌の通例だが、
春を待ちわびる気持ちを、
素性法師が、せっかちなウグイスに
託したように思える、そんな和歌。

今日は2月24日。春はきっと、遠くない。

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小野麻利江 19年1月27日放送


Patrick Vierthaler
お茶のはなし 千利休のコミュニケーション論

茶人・千利休。
茶道の祖として日本の伝統に
大きな影響を及ぼした彼は
戦国武将をはじめ、
数多くの弟子を抱えていた。
そんな利休の言葉は、
今もなお含蓄に富んでいる。

 何にても 道具扱ふたびごとに
 取る手は軽く 置く手重かれ

茶道具を持つ時は、軽やかに。
置く時は、丁寧に。
道具を大事に扱いながら
優美な所作を心がけることが、
ともに茶を嗜む人への、
もてなしにも通じる。
茶席におけるコミュニケーション論の、
核心をつく一言だ。

もしも利休が、現代に生きていて。
ビジネス書を出版したとしたら、
きっとベストセラー間違いなしだろう。

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小野麻利江 18年12月23日放送

181223-03

愛のことば ディケンズの「単純な真実」

イギリスの文豪、チャールズ・ディケンズの
代表作のひとつ『クリスマス・キャロル』は
1843年の、ちょうどこの時期に出版された。

並外れた守銭奴のスクルージという男が
クリスマス・イヴの日に、かつての盟友の亡霊と対面。
自らの過去・現在・そして未来を見せられ、
結果、改心するというストーリーだ。

ディケンズが生きたヴィクトリア朝のイギリスは、
産業革命によって大きく発展を遂げた一方で、
国内の貧富の差が拡大していった時代。

ディケンズ自身も、父親が借金返済できずに投獄され、
12歳の時から、靴墨工場で過酷な労働を強いられたという
不遇な少年時代を送っている。

その影響があってか、ディケンズが紡ぐ物語は、
社会の底辺にいる貧しい人々に目を向け、
たとえ暗いテーマを扱っていても、
最後には、一縷の希望を感じさせるものが多く、
「人生の危機において、『単純な真実』ほど強く安全なものはない」
という彼の主張が、色濃く反映されている。

ディケンズがたどり着いた「単純な真実」とは何か。
それは、このような言葉で遺されている。

 A loving heart is the truest wisdom.
 愛する心は最も真なる知恵である

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小野麻利江 18年12月23日放送

181223-04

愛のことば いろんな「愛」

愛って、なんだろう。
歴史的にも地理的にも、愛にはいろんな姿がある。

古代ギリシアにおける愛は「エロス」と呼ばれ、
肉体的な交わりから、さらに真理へ至ろうという衝動を含んでいる。

キリスト教における愛は「アガペー」。
隣人との人格的な交わりと、神への愛を強調している。

仏教での愛は「渇愛(かつあい)」。
「喉が渇いている時に水を飲まずにはいられないような、根源的欲望」
に例えられ、煩悩のもととして否定的に見られている。

日本ではかつて、「愛」という文字は「かなし」と読み、
相手をかわいいといとおしみ、守りたいという気持ちを意味していたが、
明治に入り、ギリシャやキリスト教的な概念が
同時に輸入されたことで、
「愛」が、より多くの意味を含むようになってしまった。

ロマンチックなムード高まる、この季節。
もし愛のことばをささやく予定がある方は、
その「愛」が、どんな気持ちから来ているか。
ちょっと考えてみるのも、面白いかもしれません。

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小野麻利江 18年11月25日放送

181125-06
Prioryman
靴のはなし 「小さな軍靴」というあだ名で呼ばれた皇帝

「靴」という意味をあだ名に持つ、ローマ皇帝がいた。

ローマ帝国第三代皇帝・カリグラ。
本名は、ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
皇帝に即位してしばらくは穏健な君主だったが、
その後、暴君へと変貌し、
「残忍で狂気じみた独裁者」として、後世に伝えられている皇帝だ。

彼のあだ名「カリグラ」は、「小さな軍隊用の靴」という意味。
カリグラは2、3歳の頃から、父ゲルマニクスの軍事作戦に同行。
そのさい、甲冑から靴にいたるまで、
特別仕立てのミニチュアの軍服を身につけていたという。
「小さなローマ兵」の姿をしたカリグラの様子を
兵士たちが面白がり、
軍のマスコットとして愛された、という逸話が残っている。

古代ローマ時代の靴は、足首を革紐で固定させる
サンダルの形をしているものが主で、
軍隊用の靴は、1000キロ以上の行軍にも耐えうるよう、
靴の底に、100個近くもの鉄の釘が打ち込んであったそう。

幼いカリグラが履いていた靴に、
そこまでの大掛かりな補強が施されていたかはわからないが、
その後の彼の人生が、
壮絶な道を歩むことになったことは、確かである。

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