薄組・小野麻利江

小野麻利江 17年9月24日放送

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涙のはなし 殷富門院大輔の涙

見せばやな 雄島(をじま)の蜑(あま)の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず

百人一首の中に、こんな恋の和歌がある。
詠み人は、平安時代末期の女流歌人、
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。

海女の袖でさえ、
どれほど波しぶきで濡れても
色が変わらないというのに。

あなたのつれなさを嘆く私の涙は
血の涙となり、
袖の色まで変わってしまった。

涙で袖を濡らすだけなら、
まだまだカワイイものよ。

平安時代の恋愛の先輩の、
そんな声が聞こえてきそうな一首である。

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小野麻利江 17年7月30日放送

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青のはなし 山下達郎「蒼氓」

シンガーソングライター・山下達郎の曲の中に、
「蒼氓(そうぼう)」という、難しいタイトルがある。
蒼氓の「そう」は、
くさかんむりに倉と書く「蒼(あお)」。
「ぼう」は、「亡くなる」の「亡(ぼう)」に
「民(たみ)」と書く、見慣れない漢字。

「名も無き人々」を、
道端に生える「名も無き青草」に喩えた言葉で、
作家・石川達三の芥川賞受賞作を
頭に置いてつけたという。

山下達郎がこの曲で形にしようとしたのは、
「ゴスペルのように、見知らぬ誰かと
喜怒哀楽を共有できるような音楽」。

幼い頃から賛美歌に触れ、
ゴスペルに対する憧れがあった彼の
ひとつの到達点が、ここにある。

 憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない

名も無き草は、花の美しさや葉ぶりの見事さを
称えられることもなく。
黙々と、しかし、青々と生い茂り、拡がっていく。
「蒼」という色には、静かな生命力が宿っている。

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小野麻利江 17年6月25日放送

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日記のはなし 石川啄木のローマ字日記

1909年の4月7日から6月16日のあいだ。
歌人・石川啄木は、ローマ字で日記を書いた。

そこに書かれているのは、
会社をずる休みしたり、
生活を助けてくれる友人をけなしたり、
友人の物を勝手に質に入れて遊郭に通い、
その様子を赤裸々に描写したりという、
彼の歌からは想像もつかない振る舞いの数々。

妻のことは愛しているが、
妻に読まれたくないからローマ字で日記を書く。
そんな身勝手な感情まで、記されている。

実のところ、妻の節子は
ローマ字を読めたのではないかという説もある。
しかし、啄木の死の直前に
日記をすべて燃やすよう命じられても、

 愛着から燃やすことができませんでした。

と、親友の金田一京助に日記を託した。

読まれた人と、読んだ人。
日記は、様々な人情の機微でできている。

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小野麻利江 17年5月28日放送

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Stefan Leijon
ダンスのはなし シルヴィ・ギエムの信条

伝説のバレリーナ、シルヴィ・ギエム。
パリ・オペラ座のエトワールの座をわずか5年で返上し、
その後はどこのバレエ団とも専属契約を結ばず
50歳で引退するまで、39年間踊り続けた。

強靭で、驚くほど柔軟な身体を活かしながら
表現の枠を広げてきたギエム。
芸術監督の言ったことにも「ノン」と断ることから
つけられたあだ名は「マドモワゼル・ノン」。
そんな態度が、非難を浴びることも少なくなかった。

しかし彼女の中には、
自分の表現を高めていくために守ってきた
確固たる信条があった。

 自分の心で感じていない動作をするのは、
 どんな時でも正しくない。

舞台美術家のボブ・ウィルソンとの仕事を通して、
ギエムはそれを学んだという。

自分の心、そして踊りに対して、
誠実であろうとしてきたギエム。
親友にもかつて、こんなお願いをしていたという。

もしも私が、伝えることが何もない
老いぼれのダンサーになっていたら、
私を殺してね

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小野麻利江 17年5月28日放送

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El señor Ubé y el señor Botijo
ダンスのはなし ピナ・バウシュの源泉

ドイツの舞踊家、ピナ・バウシュ。

伝統的な型(かた)にとらわれず
身体ひとつで人間の強さや儚さ、
感情の揺らぎを表現する踊りに、
世界中が魅了されてきた。

そんな踊りの源泉について、ピナは生前こう語っている。

 言葉にならない感情って、絶対にあると思う。
 それを表現することが、ダンスの出発点だわ。

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小野麻利江 17年4月30日放送

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図書館の話  ポルトガルの幻想図書館

ブラジル・リオデジャネイロにある、「王立ポルトガル図書館」。

後期ゴシック様式で建てられ、
天窓のステンドグラスやシャンデリアは豪華絢爛。
そこに、カラフルな背表紙を持った古い蔵書が
天井近くまで積み上がっている。
その光景は児童文学に出てくる「魔法使いの学校」そのもので、
「幻想図書館」とも呼ばれている。

そして、約35万冊もの蔵書を持ちながら、
一般の人が手を触れることは一切禁止されている。

図書館なのに、閲覧できない。
おとぎ話のような図書館のありようが、リオにある。

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小野麻利江 17年4月30日放送

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図書館の話  40年間”延滞”された本

世間一般の『延滞』より
長い期間借りてしまいましたが、返却致します。

昨年、そんな手紙と一緒に
アメリカ・オハイオ州のデイトン・メトロ図書館に
返却された1冊の本。

差出人の住所は、約6800kmも離れたフィンランド。
そして本が貸し出されたのは、何と1970年代。

およそ40年前、差出人の弟が
交換留学生としてオハイオ州にいた時に
借りたようだ、とのこと。

さて。この話を聞いてドキッとした方がいたら、
ご自分の本棚を、確認してみてもいいかもしれません。

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小野麻利江 17年3月26日放送

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風の話 「明日は明日の風が吹く」

 明日は明日の風が吹く。

映画「風とともに去りぬ」を
締めくくる日本語訳として、
あまりにも有名なこのフレーズは、

幕末の歌舞伎狂言作家・
河竹黙阿弥の作品の中の言い回しが
ルーツだと言う説がある。

スカーレット・オハラの前向きさが
江戸っ子の気風の良さとつながるとは、
今になってみると、
実に不思議な、風の吹き回しだ。

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小野麻利江 17年2月26日放送

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手のはなし 柳宗悦の「手仕事の日本」

「手仕事」と呼ばれる、人の手による生活道具。
それはかつて、日本人の暮らしに欠かせないものだった。
その美しさに魅了された
民藝運動家・柳宗悦(むねよし)は、
20年近い歳月をかけて、日本中の手仕事を記録した。

太平洋戦争中に編纂され、
検閲や戦火をなんとかかいくぐり、
戦後に上梓されたのが、『手仕事の日本』。

その本の中で、柳は手が持つ効用を、
このように語っている。

 そもそも手が機械と異なる点は、
 それがいつも直接に
 心と繋がれていることであります。

今や21世紀も、17年目。
テクノロジーが支配する「未来」かと思いきや、
私たちはあらゆる手段を使って、
心の繋がりを求めている。

時がどれだけ経ったとしても。
私たちは何度でも、
柳が説く「手仕事が持つ本質」に
立ち返るのかもしれない。

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小野麻利江 17年1月29日放送

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宇宙のはなし ウイリアム・アンダース

人類史上はじめて
月の周回軌道上を有人飛行した、アポロ8号。

ミッションの途中、クルーたちは
月の地平線上を、青く美しい地球が昇る様子を
目の当たりにした。

「日の出」ならぬ「地球の出」。
その様子を撮影した宇宙飛行士、
ウィリアム・アンダースは、こんな言葉を残している。

 我々は月を探索するためにここまでやってきた。
 しかし、最も重要な発見は地球そのものだった。

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