薄組・小野麻利江

小野麻利江 15年9月27日放送

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お茶のはなし 東海道五十三次と街道の茶屋

江戸時代、宿場町を中心に
「水茶屋」などの名で、数多くの「茶屋」が営まれていた。
そんな茶屋の様子を描いた代表的なものといえば、
歌川広重の浮世絵、『東海道五十三次』。
広重は生涯のあいだに何度も五十三次シリーズを発表しているが、
天保年間に保永堂から出版された
全55図からなる最初のシリーズが、今でも最も人気が高い。

「こめや」という看板がかかる茶屋の軒下に
お伊勢参りの御一行の名札がかかる「戸塚 元町別道」。
「名物とろろ汁」の看板の隣で、客が椀をすする、
「丸子(まりこ)の名物茶屋」。
簡素な葦簀(よしず)掛けの小屋で飛脚が休息をとる
「袋井 出茶屋(でぢゃや)の図」。
鈴鹿川をへだて、岩根山をのぞむ見晴らしの良い峠に建つ、
「阪之下」の茶屋。
京都まであと少し、琵琶湖の南・大津宿の
有名な泉を持つ茶屋を描いた「大津 走井茶屋(はしりいちゃみせ)」。

500キロ近くにおよぶ東海道。普通の旅人は1日40キロずつ、
2週間ほどかけて歩いたという。
一服の茶が、旅の疲れをどれだけ癒したことだろう。

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小野麻利江 15年9月27日放送

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お茶のはなし へそで茶を沸かす

へそで茶を沸かす。
現代風にいえば「腹筋崩壊」といったところの、
このことわざ。

一説によると、「へそを茶化す」が
徐々にもじられていったらしい。

時は江戸時代。
人々は他人に素肌を見せる機会が少なく、
もし、へそまで見えるようなことがあれば、
まわりに馬鹿にされ、大笑いされたという。
それが、「へそを茶化す」。

へそが見えただけで、大笑いする。
江戸時代の人たちはみんな、
「箸が転んでもおかしいお年頃」だったのだろうか。

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小野麻利江 15年8月30日放送

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涼菓の話 二見浦と赤福氷

 玉くしげ 二見の浦に すむあまの
 わたらひぐさは みるめなりけり

三重県伊勢市の二見浦(ふたみがうら)。
古来より和歌にも詠まれ、
お伊勢参りの人々が
穢れを祓ったとされるこの海岸で
海水浴客のために生まれたのが、赤福氷。
赤福の餡と餅は、氷になじむよう特製され
今も多くの観光客の、暑気払いとなっている。

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小野麻利江 15年6月28日放送

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HiroshimaGab
お米の話 田植えにまつわる言い伝え

かつての日本の四季は、今よりもずっと
米づくりと密接につながっていた。
米づくりにまつわる言い伝えが
土地ごとにいくつも存在していた。

田植えに関しても、
五月の婚礼、八月の離れ月
という風習があった。
これは、旧暦の五月と八月に
婚礼をとり行なうのを避けるように、戒めたもの。

旧暦の五月は、田植えの最盛期。
婚礼に人手を出すどころではなく
しかも梅雨時に重なるとあって、
花嫁行列などしようものなら、晴れ着は台無しになる。
実に理にかなった言い伝えであった。

しかし今や旧暦の五月、今の暦で六月は、
「ジューンブライド」として婚礼の最盛期。
欧米の「ジューン」には梅雨などなく
日本にそのまま取り入れるのは
本来は無理がありそうなものだが、
そんな懸念もなんのその。

挙式場所の変化や空調の発達で
梅雨時の晴れ着の心配が減ったこともあるが、
なにより日本の農業人口が減り、
田植えの日取りとの兼ね合いを
気にする人が減ったということも、
普段は気づきもしないが、
実は大きな要因のように思える。

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小野麻利江 15年5月24日放送

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Stefan Berndtsson
あいさつの話 中村メイコの弔辞

究極の別れの挨拶。
それは、亡くなった人へ手向ける
お葬式での弔辞かもしれない。

その中でも深い感動を残したのが、
1989年に亡くなった美空ひばりに向けた
女優・中村メイコの弔辞。

 あなたに会える、そう思うと
 私はもう死ぬことは怖くありません。
 あなたはそんなプレゼントまで
 私に残してくれました。
 私はもう友達は持たないでしょう。
 あなたが最高だったから。
 待っててね。

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小野麻利江 15年5月24日放送

150524-05

あいさつの話 畑正憲の「しつけ」論

「ムツゴロウさん」の通称で知られる、
動物エッセイストの畑正憲。

さまざまな動物と触れ合うイメージが強い畑だが、
人間のしつけに関しても、厳しくも覚悟に満ちた
独特の視点があった。

かつて彼の子どもが、魚の命をうばって食べることを
嫌がるようになった際、
それを「表面的な生き物好きの精神」だと感じ、
その虚弱さを払拭させるために
家族で北海道に移り住む決意をしたという。

畑自身も、こんな言葉を口にしている。

 私は「しつけ」とは、「押しつけ」だと考えます。
 挨拶をする、お年寄りを敬う、
 他人に迷惑をかけないなど、
 人として生きていく上での原則をしつけるのに、
 論理的な裏づけが必要でしょうか。

親から押しつけられてするようになった挨拶が、
やがて子どもの心の中に深い根をはり、
人格のひとつとなる。

「おはようございます」「こんにちは」
「さようなら」「おやすみなさい」…。
さて、今日までのあなたは
いったい幾つの挨拶で出来ているのだろう。

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小野麻利江 15年4月26日放送

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眠りのはなし 左甚五郎の「眠り猫」

日光東照宮をいろどる数多の彫刻の中でも
特に人気が高いのが、
江戸時代の名工・左甚五郎作と伝えられる
「眠り猫」。

作り手が謎に包まれているのと同様、
この猫は何を意味しているのか?と
見た者の好奇心をかきたて続けている。

諸説ある中でも一番よく言われるのが
猫の彫刻の裏で二羽の雀が舞う様子から、

 「猫が雀に襲いかからないほどの平和」
すなわち
 「徳川幕府によってもたらされた平和」

象徴しているという説。

もっとも、当の眠り猫は、
「知ったこっちゃない」という風情で
これからも梁の上で、眠りつづけるのだろうが。

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小野麻利江 15年4月26日放送

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DailyPic
眠りのはなし アリストテレスの「眠り」と人生

あと5分、あと10分。
早く起きなきゃという焦りと、
布団の気持ちよさとの間を
行ったり来たりな、春の朝。

でも、予定の無い日くらいは、
アリストテレスのこんな言葉を
言い訳にしてもいいかもしれない。

 勤勉なる者も怠惰なる者も、
 人生の半分は大差なし。
 なぜならば、人生の半分は
 眠っているからなり。

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小野麻利江 15年3月15日放送

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suttonhoo
旅のはなし 旅に出てきた甲斐・沢木耕太郎の場合

旅に出ても、
旅先で何をすればいいかわからない。
そんな人がいたら、
沢木耕太郎のこの言葉を伝えたい。

 これから毎日、朝起きれば、
 さてこれからどうしよう、と
 考えて決めることができるのだ。
 それだけでも旅に出てきた甲斐が
 あるように思えた。

やることが、まだ決まっていない。
それだけでも、旅は冒険になる。

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小野麻利江 15年3月15日放送

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旅のはなし 旅に出る理由と、くるり「ハイウェイ」

 僕が旅に出る理由は だいたい百個くらいあって

ロックバンド・くるりの
代表曲のひとつ、「ハイウェイ」。
歌い出しのこの歌詞は、
旅のはじまりに感じる静かなワクワクを
記憶の中から連れてくる。

 ひとつめはここじゃどうも 息も詰まりそうになった

「だいたい百個くらいある」らしい
旅に出る理由を
ボーカルの岸田繁が、ぽつりぽつり紡ぐ。

 ふたつめは今宵の月が 僕を誘っていること
 みっつめは車の免許 とってもいいかな なんて 思って いること

でもどの理由も、本当の理由じゃないように聞こえる。
旅を愛する人なら、聴けばわかるはずだ。
歌の終盤で、岸田もこう言っている。

 僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

旅に出たい、旅に出ようという衝動。
くるりの「ハイウェイ」には、
その衝動が、濃縮された原液みたいに詰まっている。

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