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三國菜恵 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/チャップリンのこどもたち

こどもにとって、
父親の仕事は気になるもの。

チャップリンのこどもたちも、
パパの映画に興味があった。

そんなことを知ってか、
チャップリンは自分の映画の上映会を
よく開いてくれたという。
それも、本人による解説つきで。

「さあきました。ちっぽけ放浪者です」
「さてまいりましたが、足に包帯をしたでっかい野郎といっしょです」

それは、映画の説明と言うより、独演会。
こどもたちはみんな、声をあげて笑った。

上映会が終わると、チャップリンはこうたずねる。

ほんとうにおもしろかったかい?
子供たちを喜ばすことが世界中で一番むずかしいんだよ。

チャップリンにとって我が子は、
いちばん反応が気になるお客さんだった。


チャップリンとあの人/高野虎市

チャップリンが
いちばん信頼していたといわれる付き人は、実は日本人。
名前は、高野虎市(こうの・とらいち)さん。

彼の気遣いは、とてもきめこまやか。

たとえば、チャップリンのポケットに
いつも50ドルを入れておく。

それは、
ボーイさんにチップをあげ忘れることがないように
という配慮から。

気まぐれなチャップリンは、
お金を持たないまま
つい外出してしまう癖があった。

なので、
チャップリンがけちだといわれているのは
まったくの誤解なのですと、高野さんは語る。

いいところも、だめなところも。
ちゃんと「わかって」くれてる人だったから
チャップリンは秘書に選んだのかもしれない。

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三國菜恵 11年4月16日放送


チャップリンとあの人/スイスの新聞社の人

チャップリン80歳の誕生日のとき、
彼の家には報道陣があふれた。
けど、チャップリンは沈黙をつらぬくばかり。

そんなようすを見た、スイスの新聞社は
こんな文章を掲載した。

チャップリンが沈黙を守るのは仕方がない。
八十一本の彼の映画のうち
七十六本はサイレントなのだから。

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三國菜恵 11年03月27日放送


あの人の師/山本かね子

弟子だった人も、
ひとり歩きをしなければならない時がくる。

現代短歌の歌人・山本かね子は心細かった。
師匠、植松壽樹(うえまつ・ひさき)がこの世を去ってから
アドバイスしてくれる人が
いなくなってしまったから。

でも、彼女は思いだすことができた。
困ったときに先生から言われる、いつものことばを。

自分の歌は見えにくいものです。
毎日眺めていてもなかなか良くならない。
そこで、四、五日見ずに置くこと。

師匠のことばを一生の宝に
弟子は今日も、確かな一歩を踏み出していく。


あの人の師/斎藤宗次郎

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の
モデルになったといわれる人物がいる。
彼の名前は、斎藤宗次郎。
『非戦論』をとなえた内村鑑三の愛弟子にあたる青年だ。

雨にも負けず、風にも負けず
毎日新聞配達をつづける彼のポケットには
いつもすこしの小銭とお菓子が用意されていて
それを、行く先々でこどもたちに与えていた。

師匠が晩年、床に伏した時も
必要な薬を駆けまわって探し、
最後まで看病の手を休めることはなかった。

そんな斎藤を弟子に持った内村は、
彼の人柄について、こんな言葉をのこしている。

彼の澄める眼眸(ひとみ)に我等は無量の平和を読めり

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三國菜恵 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/茨木のり子

「わたしがいちばんきれいだったとき」で知られる、
詩人・茨木(いばらぎ)のり子。

彼女はこんなふうに二十歳を実感したという。

鏡見たら、目が真っ黒に光っててねえ。
今が一番きれいなときかもしれないっていうふうに思ったのね。

毎日見てる自分が、
ある日ちょっと違って見えたなら
大人になれてるサインなのかもしれません。


二十歳のあなたへ/金原ひとみ

がんばりすぎるとカッコ悪い。
適当なくらいがちょうどいい。

作家・金原(かねはら)ひとみは
そんな価値観で育った若い世代のひとり。

「蛇にピアス」で芥川賞を獲った二十歳のとき、
彼女はこんな受賞のことばを残した。

がんばって生きてる人って何か見てて笑っちゃうし、
何でも流せる人っていいなあ、と思う。
私はそんな適当な人間だから、小説にだけは誠実になろうと思う。

適当でいいや。
そう思えなかった、ただひとつのものが
彼女の人生を支えるものになった。

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三國菜恵 11年01月09日放送


二十歳のあなたへ/樋口可南子

お風呂つきのアパートに引っ越した。
赤坂見附の近くのラーメン屋さんに寄るのがたのしみだった。

女優・樋口可南子(ひぐち・かなこ)の二十歳は、
はんぶん学生で、はんぶん女優。

ある仕事で、彼女は脚本家の先生に
こんな思いきったことを言ったという。

このヒロイン、もっと悪くなりませんか?

そのひと言で、
旅館のおかみさん役の彼女に
お客さんと不倫するシーンが加わった。

強気な性格がそうさせたのか、
それとも、若さのせいか。

いずれにせよ、
若者のひと言が、
物事を思いきった方向に運ぶことってあるみたいです。

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三國菜恵 10年12月05日放送



つくる人のことば/菊池敬一

こんな本屋、アリなんだ。

そんな声が聞こえてきそうな本屋、
ビレッジバンガード。

創始者である菊池敬一さんは、
自らの店を「遊べる本屋」と称する。


 棚を作っていくことを「編集」と呼んでいます。

SFマンガのとなりに、星座の本。
その隣には、地球儀。

連想ゲームのような本棚に、最初は拒絶を示す人もいた。
けれど、今では全国に300店舗。

誰かのルールで並べるのではなく、
自分のルールであたらしくつくる。

そんな本棚は、みんなの心をたのしませた。



つくる人のことば/萩尾望都

「ポーの一族」などで知られる
少女漫画家・萩尾望都(はぎお・もと)。
彼女は、漫画についてこんな考え方をしている。


 少年漫画のほうが、比較的ドラマの起伏、事件が起こることが大事。
 でも、心理が細かくないと女の子は読んでくれない。

彼女はきっと
男女の違いに気づいてるからこそ、
女の子のための漫画が描ける。



つくる人のことば/藤牧義夫

その人は、東京を描いた。
毎日のように、同じ場所から。

群馬県・館林生まれの版画家、藤牧義夫。
故郷を離れ、出てきた東京で
いくつかの版画を残している。

鉄橋、給油所、沈む夕陽。
その多くは、隅田川からの景色ばかり。

彼は、こんな言葉を残している。


 強烈な光が、音響が、色彩が、間断なく迫るその中に、
 不安な気持ちで生存する事実
 それを唄いつつ 自分は常に強く行く。

生きていることを実感できる景色。
それは、故郷を出てはじめて出会うものなのかもしれない。

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三國菜恵 10年11月14日放送



人と石/南アフリカの少年

1860年代、南アフリカ。
オレンジ川のほとりであそんでいた少年が
光る石を見つける。

それが、南アフリカ最初のダイアモンド。
のちに「ユーレカ」と名付けられる。
その意味は、ギリシャ語で「我、発見せり」。

少年の発見は、世界最大の
ダイアモンド鉱脈の発見につながった。



石について/夢の浮橋

数奇な運命をたどった石がある。

その石は、
南北朝時代に、後醍醐天皇が肌身離さず持ち歩いていた。

戦国時代には、豊臣秀吉、
江戸時代には、徳川家康の手に渡り、
「お守り」の石とされてきた。

この石が彼らの命を
本当に守ったかは定かではない。
けど、心をなぐさめていたことは間違いない。
だって、名前がとても美しいから。

石の名前は、「夢の浮橋」。
現代人の私たちは、徳川美術館に行けば観ることができる。



人と石/中島誠之助

「いい仕事してますねえ」のセリフでおなじみの
人気鑑定士、中島誠之助。
彼は、小学生たちにこんな宿題を出したことがある。


 自分の宝物を見つけて、持っていらっしゃい。

思い思いのものを持ってくる生徒たち。
彼自身も生徒に混ざり、
一番の宝物を持ってきてみんなに見せた。

それは、小さな石。
8歳のときに河原で拾って以来、ずっと大事にしてきたという。

高価なお宝はたくさん知っていても、
ほんとの宝物は石ころひとつ。

「お宝」に対する、彼の心がうかがえる。

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三國菜恵 10年10月09日放送


ジョン・レノンと、バンジョー

バンジョーはアメリカ生まれの楽器。
ギターよりも弦の数が少なく
まるい形をしている。

それが、ジョン・レノンが初めておぼえた楽器だった。

手ほどきをしたのは、生みの母である、ジュリア。
訳あって離ればなれに暮らしていた二人だったが
コードを覚えたくて仕方なかったジョンは、
バンジョーが得意だった母のもとへ通った。

母と子の絆になったバンジョーがきっかけで
ジョンはミュージシャンへの道を歩きはじめるが
同時にそれは、ギタリスト ジョン・レノンに
ある癖を残すことになった。
その頃の演奏についてジョン自身が語る。

 6本めの弦の使いかたがわからないままギターを弾いていた

正しく弾けることが、人を魅了する音楽になるとは限らない。


ジョン・レノンと、主夫業。

ジョン・レノンは、
ロックスター最初の「主夫」でもあった。

1975年、35歳の時に
息子 ショーン・レノンが誕生。
彼は、音楽活動を休止して
育児にいそしむことを選んだ。

僕には、仕事と家庭は両立しないように思えた。
ヨーコとの関係や子どものことの方が
ずっと大事に思えたんだ。

息子の骨格の変化を気づかったり、
どんなテレビを見せようか悩んだり。
パンを焼いてヨーコの帰りを待つ日もあったという。

そんな「主夫」生活にも、ピリオドが。
きっかけは、5歳になった息子が
友だちの家から帰ってきた時に発した、こんなひと言だった。

パパって、ビートルズだったの?

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三國菜恵 10年10月09日放送


ジョン・レノンと、俳句。

わび、さびを理解しようとしたジョン・レノン
仏教の修業もこころみたジョン・レノン
日本との結びつきはそれだけではなかった。

俳句は僕が今まで読んだ詩の形式のなかでいちばん美しいものだと思う。

自然、且つ簡潔な言葉で
自分も詞を書こうとしたジョン・レノン。
1969年に発表された「ラヴ」という曲には、
俳句の美意識が生きている。

愛とは感じること
感じることが愛

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三國菜恵 10年09月12日放送


人と、壁。/坂口弘

坂口弘は
死刑を言い渡されて7年が過ぎようとしている。

彼は、拘留所のなかでペンを執り
短歌を書きつづけた。
そしてそれを、新聞の寄稿欄に投稿していた。

定期的に届く歌に
多くの人がハッと心を動かされ、
気づけば、彼は歌壇の「常連」になっていた。

紙を滑る筆ペンの音の心地よさよ 房(ぼう)にも秋はひそやかに来ぬ

彼の短歌は一冊の本になって
壁の外で、ささやかな脚光を浴びている。


人と、壁。/ピーター・ブルック

イギリスの舞台演出家、ピーター・ブルック。
彼は、なにもない空間に可能性を見出すことによって
伝統の壁を軽々と超えた。

 どこでもいい、なにもない空間―
 それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。
 ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、
 もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、
 これだけで足りるはずだ。

いままで誰も見たことがなかったピーター・ブルックの演劇を
言い表す言葉はどこにもなかった、
それはいま、ふたつの言葉で表現されている。
「古典的、かつ、前衛的」


人と、壁。/中村一義

自らつくった心の壁が、
自らを閉じ込めてしまうこともある。

ミュージシャン・中村一義にもそんな時期があった。
自分の部屋をスタジオにして閉じこもり
壁のように閉ざしたドアの向こうで
ひとり聴きつづけた心の声。

自分の心に光をあてたその歌に救われた若者は多い。

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