‘三國菜恵’ タグのついている投稿

三國菜恵 12年7月15日放送



遊びの話 すぎやまこういち

讃美歌をうたってくれた祖母。
麻雀名人の父と母。
チンドン屋のおにいさん達。

作曲家・すぎやまこういちは
あそびを愛する大人たちに囲まれて育った。

彼は、ロールプレイングゲーム
『ドラゴンクエスト』の音楽を担当し、
そのメインテーマ曲ができたときのことを
みずからの半生に感謝するかのように
こんな言葉でつづっている。

 あれは、五十四年と五分でできた曲だ



遊びの話 岩谷徹

1980年にヒットしたゲーム、パックマン。
あの特徴的なキャラクターは
ある食べものがきっかけで生まれた。

その食べ物は、ピザ。
開発者の岩谷徹(いわたにとおる)
一切れ食べたときのかたちを見て
「これだ!」と思ったのだという。

最初に女性をターゲットにしようとは決めていて、
「女の子って、ケーキとかデザートとか好きだよなあ」と。
じゃあ“食べる”ことが、なんかゲームにならないかなって。

誰に届けたいだろう。
何をやればその人は喜ぶだろう。
それを四六時中考えていたから、
岩谷には、シェーキーズのピザがパックマンに見えたのだと思う。

topへ

カンヌレポート 勝浦雅彦 & 三國菜恵

三國菜恵がやっと去年の「カンヌの話」を再開する一方で
Tokyo Copywriters’ Street では
勝浦雅彦さんのカンヌレポート「リメンバーカンヌ」が
はじまりました。

去年と今年の違い、男女の違い、
公費(三國)と私費(勝浦)の違い、
読みくらべるとさまざま面白いことがあると思います。
みなさま、ぜひぜひ(玉子)

三國菜恵のカンヌレポート:http://www.01-radio.com/vision/category/cannes_mikuni/
勝浦雅彦のカンヌレポート:http://www.01-radio.com/tcs/archives/category/cannes_katsuura

topへ

三國菜恵 12年6月24日放送



美空ひばりと舞台衣装

昭和21年9月。
横浜にある「アテネ劇場」というちいさな舞台に
美空ひばりは立った。

そこでの公演は、ある意味で歴史的な舞台だったという。

ステージの1曲目 『旅姿三人男』という曲で
ひばりは三度笠をかぶって登場。
そして、パッ!と笠を取ると同時に、
パッ!とスポットライトが彼女を照らしだした。

この演出を考えたのは、ひばりの母、加藤喜美枝。

実は、当時
「歌手が扮装して歌をうたう」ということは前例がなかった。

親子二人三脚で「お客さんをたのしませよう」とした気持ちが
結果として、戦後の日本ではじめての試みを生んだのだった。

topへ

三國菜恵 12年6月24日放送



美空ひばりの信念

歌手・美空ひばりは、
大人の歌を大人顔負けにうたいあげる
めずらしい少女だった。

けれども、中にはそれをこころよく思わない人もいた。

たとえば、
『買い物ブギ』などで一世を風靡していた歌手・笠置シズ子からは
「私の歌をカバーしてはなりません」とクレームがあった。

さらには、新聞のコラム欄で、
「こどものくせ大人の歌をうたうな」と叩かれたこともあった。

けれども、ひばりは、どんな言葉にもぐっとこらえた。
そこには、こんな思いがあったという。

喧嘩したってろくなことにはなりません。
とにかく仕事をしちゃった方が勝ちなのです。

「不言実行」の精神で、
彼女はひとつひとつ確実に自分の居場所を手に入れていった。

topへ

三國菜恵 12年6月24日放送


KYR
美空ひばりと詩

歌手・美空ひばりは
歌うこと以外にもうひとつ好きなことがあった。
それは詩を書くこと。

詩というものは、
相手に自分の気持を、
わずか四行ぐらいでわかってもらえるので、
こんなにいいものはない

彼女にとって自分の思いを詩にすることは
歌手として過ごすときとは別の、
何か特別な解放感があったのかもしれない。

topへ

三國菜恵 12年5月13日放送



カクテル・ストーリーズ/フランシス・ニーガス大佐

1720年代、イギリス。
とフランシス・ニーガスいう陸軍大佐がいた。

ある寒い夜、
彼の邸宅に同僚たちが集まり、
いつになく白熱した政策論争をくりひろげた。

しかし、議論はなかなか結論に達せず、
ヒートアップしていくばかり。

そこで、ニーガス大佐は
彼らにこんなものをふるまった。
甘みの強いポートワインを
熱湯で割ってつくった、ホット・カクテル。

からだが温まれば、頭のホットさは収まるだろう

彼の作戦は、見事成功。
のちにこのカクテルは
クールな彼に同じ「ニーガス」と名付けられる。

カクテル・ストーリーズ#2
「ニーガス」

topへ

三國菜恵 12年5月13日放送



カクテル・ストーリーズ/ヘミングウェイ

1932年、パリ。
アメリカの文豪、ヘミングウェイは
ボクシング・ジムの帰り道に、
ある行きつけのバーに立ち寄った。

ハリーズ・ニューヨーク・バー。
顔なじみの店主に対し、彼は
「運動後の気付けの一杯を」と注文した。

それを聞いたバーテンダーは、こんな一杯をさし出した。
ペルノと言うリキュールを、シャンパンで割ったカクテル。

ペルノは後悔の味がする

ヘミングウェイがいつもそう漏らしていたのを思い出し、
その後悔の味を、シャンパンで慰めてみようと考えたのだった。

このカクテルは後に、
「デス・イン・ジ・アフタヌーン」と名付けられる。
それは、ヘミングウェイが当時書きあげたばかりの作品の名前。
いかにお気に召したかが、うかがえる。

カクテル・ストーリーズ#4
「デス・イン・ジ・アフタヌーン」

topへ

三國菜恵 12年5月13日放送


ReeseCLloyd
カクテル・ストーリーズ/福西英三

1976年のある日、
バーテンダー協会にこんな問合わせがあった。

「ある女性デュエットを、カクテルと同じ名前で売り出したいのですが」

その電話を受けた役員、
福西英三(ふくにしえいぞう)はこんなふうに答えた。

カクテルに著作権はありません。
それよりも、デビューのご成功をお祈りします。

このひと言がなければ、
ピンク・レディーというアイドルはいなかったかもしれない。

カクテル・ストーリーズ#8
「ピンク・レディー」

topへ

三國菜恵 12年4月15日放送


imajou
いつまでも素敵な女性/宇野千代

今年も、山口県の岩国市に桜が咲いた。
作家・宇野千代の生家にある2本の桜。

生前、

私は幸福を撒き散らす、花咲かばあさんになりたい

と言った、宇野千代。

たしかに彼女は、
いつも春のなかを生きているような人だった。

次から次へと、恋をする。
新しい興味が、次々に湧く。
作家。編集者。着物デザイナー。
その肩書の多さは、好奇心の証し。

彼女の人生訓を、ひとことで言うと、こうなるのだという。

人生は、行動である

topへ

三國菜恵 12年4月15日放送



いつまでも素敵な女性/ココ・シャネル

世界のファッションブランド
「シャネル」の創始者、ココ・シャネル。
彼女はデザイナーとして人生で二度、開花した。

その二度目は71歳、
誰もが引退を考える年齢になって
彼女はシャネルスーツという新しいスタイルを
世界に発表したのだ。

シンプルで動きやすい上着と膝丈のスカート
それは当時のミニスカートブームに挑戦するかのような
保守的なデザインにも見えた。

けれども、シャネルはこう考えていた。
誰もが15歳ではない、
40を過ぎてから似合うエレガンスもあるのだ、と。

その考えに賛同するかのように、
シャネルスーツは世界の女性のあこがれになり
ココ・シャネルはモード・オスカー賞を受賞した。

いくつになってもチャレンジする人は素敵だ。

topへ


login