ガンディーとスマッツ将軍
たとえば、南アフリカのスマッツ将軍。
ガンディーが南アフリカで人種差別の撤廃を求め闘っていたころの、
その闘いの相手だった。
ガンディーは人種差別的なあらゆる法律をわざと破り、
自ら進んで投獄されることによって、
南アフリカのリーダーたちと、世界中に向けて、
いかに人種差別がおかしいことかを訴えつづけた。
1914年、ガンディーたちの運動は
「インド人救済法」の成立へとつながる。
この法律をつくったのが、白人社会のリーダーであったスマッツ将軍だった。
その後、インドに戻ることとなったガンディーは、
投獄中に自らつくったサンダルをスマッツ将軍に贈った。
スマッツ将軍は、後日こう述べている。
わたしは、それ以来いく夏もこのサンダルをはいてすごした。
このような偉大な人物と、おなじはきものをはく資格はないと感じながら。
いかなる暴力にも頼らないこと。質素な暮らしをすること。
その力を信じ抜いたガンディーらしい贈り物だった。
ガンディーと孫アルン
規律に厳しいことで知られたガンディー。
けれど、ユーモアにあふれる人でもあったようだ。
孫の一人アルンが旅に出るガンディーに
サッカーボールのおみやげをねだったときのこと。
おじいちゃんは忙しいからきっとおみやげを忘れるよ
というアルンに対し、ガンディーは言った。
ぜったいに忘れないよ。でももし忘れたら、
おじいちゃんの頭をサッカーボールがわりにして遊んでいいから。
結局おみやげを買ってきたかどうかの記述は残ってない。
けれど、もし忘れたとしても・・・
ガンディーのことである、約束は守ったに違いない。