‘五島の話’ タグのついている投稿

五島のはなし(56)

五島と聞いても、
たいていの人には聞いたことあるようなないような、
な島ですが、
ある特定の人々に限っていうと
すごく有名です。
それは釣り好きの人たち。

「趣味が釣り」という人に出会うと、
もうウキウキしちゃいます。
「へえ、釣りが好きなんですかあ」と言ってるときにはもう
「僕は五島列島出身なんですよー」
「えっ、あの五島!?」
「そうなんですよ~(でへへ)」
「うらやましい。さぞ釣れるでしょう」
「いやあ、まあ、はい、釣れますよ~」
という一連の会話を期待していて、
そして必ず、話をその流れに持っていきます。
「さぞ大物が釣れるでしょう」という質問に対しては、
釣り師の習性で、ついつい上方修正されたサイズを語ってしまいます。

「釣り人同士で話をするときは、両手をひもで縛っておけ」・・・ロシアのことわざ。

五島の釣魚でたぶんもっとも有名なのが「クロ」。
全国では「メジナ」と呼ばれる魚です。
黒いから「クロ」というんでしょう。
でも釣り上げたときは青みがかったキレイな色をしています。
(細かいことを言うと、クロには「クチブト」と「オナガ」の2種類があり、
「オナガ」のほうがより青みがかった色をしている)
冬の荒磯に立ってクロを釣るのは至福の時間です。

写真は今年の正月に五島の磯で釣ったクロ。
大きさは、そうですね4、50センチ、いや60か、
いやいや70か80センチくらいはあったかな。

クロ(オナガ)

クロ(オナガ)

 

こういうとこで釣る。

こういうとこで釣る。

topへ

五島のはなし(55)

私のこの10年来の悩みは、
ふたりの愛する女性の間で
ひきさかれるような思いをしていることです。

ひとりは、私の結婚相手。仮に「T」と呼びましょう。
Tは魅力的な女性です。
知的好奇心を刺激し、夢を見させてくれて、経済的援助までしてくれます。
Tにはおもしろい友人たちがいて、その人たちへのあこがれが
さらにTへの愛を加速させます。

そうしてTとともに、日々の暮らしを送っているわけですが
同時に、いつも私の心の中には「G」がいます。
Gは初恋の相手であり、
やさしくておおらかで、ぎすぎすしていない。
このところ年に1、2回しか会えず、会えたとしても短い時間なので、
会えないときはついつい彼女の良いところばかりがふくらんでしまい、
それがGへの思いを募らせる原因でもあったりします。

悩ましい。
Gのことを思いながら、Tとの結婚生活を送ることは
Tに対して失礼な気がして罪悪感を覚えます。
同時に「いつか君のもとに帰るから待ってて」と約束したGを
長い間ほっぽらかしにしているのにも、罪悪感を覚えます。

Tは東京です。Gは五島です。
・・・「アホくさ」って感じですよね。
わかりますわかります。
恋の悩みはいつも、他人にとっては「知るか」っていう話です。すみません。

ああでも苦しい。
苦しすぎて、こないだ会社の上司に思い切って相談しました。

「Gのことが忘れられません。
 でもTとの関係もダメにしたくない。
 というわけで、これからはGのもとで暮らし、
 でもTとの関係もそのまま・・・特に仕送りとして
 今Tからもらってるお金をGの家に送ってもらうわけにはいかないでしょうか」

上司は言いました。
「虫が良すぎるだろ」

私は言いました。
「ですよねえ」

topへ

五島のはなし(54)

Visionは古今東西の人物にフォーカスをあてる番組です。
それぞれの人物にまつわる事実(とか記憶)に基づいて
話を組み立てるのだけど、
書く人によって事実とか記憶に対するアプローチが違う。
性格が出ちゃうんでしょう。

そんなわけで、
毎回ほんの1分程度の番組ですが、
単なる人物紹介じゃないおもしろさがあると思います。
Jwaveが聴ける場所にいる人は、ぜひ聴いてみてください。
毎週土日の夕方~夜、
だいたい、〇〇時54分あたりからやってます。

・・・いつも五島列島の紹介しかしてないので、
たまには(本筋である)番組の紹介をしてみようと思った次第です。

topへ

五島のはなし(53)

五島を活性化させるプロジェクト(の妄想)その1。

まずは日本中の注目を五島にがつんと集めたい。
思い切った考えだが、島名を変えてしまってはどうか、
と今日電車の中で思った。

たとえば「ウルトラ列島」。
改名したら間違いなくワイドショーをにぎわすだろう。
(五島の名を捨て去るのはいかがなものか、
 という意見が多い場合は「ウルトラ五島列島」でもいい。)
「さて何がウルトラなのか、といいますと!」
テレビのキャスターがフリップをめくりながら話す姿が目に浮かぶようだ。

そして五島市長(いや、ウルトラ市長か)は「五島ウルトラ宣言」を行だろう。
海のきれいさも、浜辺の美しさも、料理のおいしさも、
教育も、観光客をもてなす態度も、
島民みんなでウルトラ(つまり、とってもすごい)を目指そう。という宣言。
やっぱり島民ひとりひとりのモチベーションがなんてったって大事なのだ。

同時に、島へのファンづくりも忘れてはならない。
日本中の子どもたちに五島のファンになってもらう。
なぜ子どもかと言うと、小さい頃に好きになってくれれば
いつかその子どもたちが大人になって、親になったとき
そのまた子どもらを連れて五島に来てくれるからだ。

具体策としては、ウルトラ列島だけに、ウルトラマンだ。
円谷プロにお願いして、地球では3分しか活動できないウルトラマンにも
実は地球上に一か所だけ3分過ぎても活動できる安全地帯がある、
というストーリーにしてもらう。もちろんそこは五島(ウルトラ列島)だ。

そして、ウルトラマンの等身大の像を、島の真ん中に設置したい。
ウルトラマンって確か50メートルくらいあるはず。
ぜったい話題になる。
しかも、よくありがちな堂々としたかっこいいウルトラマンではない。
戦いにつかれ、手を膝についてぜえぜえあえいでいる、
地球に来て2分58秒後くらいの、ぎりぎり安全地帯にたどりついた瞬間の
ウルトラマンの姿だ。
その人間的な姿に、大人たちも心を打たれるだろう。

さらに。
このウルトラマンのあえいでいる像は
島を離れ、都会で暮らす五島出身者たちへの強いメッセージにもなる。
「都会での戦いに疲れたら、いつでも帰ってこい」

・・・どうだろう。
ハードルは高いがやってみる価値がありそうな気がする。
あ、さらにさらにウルトラマンの像であるが、
手を膝についているということは、巨大な背中は一面空に向かっていることになる。
ここをすべて太陽光パネルで覆おう。
その電力で、島のエネルギーを補う。
エコの島としても世界から注目を集めるのだ。

(妄想つづく)

topへ

五島のはなし(52)

21世紀の幕が開けたその日、
つまり2001年の元旦、
僕の五島の実家に16年前の僕からハガキが届きました。

2001年の16年前といえば1985年。
科学万博があった年。
僕は中1でした。
記憶にないのですがその年、
五島の中学校では「21世紀の自分」に
手紙を書くイベントがあったようなのです。

2001年の正月はまだ就職もしておらず
横浜の日吉という町のボロアパートにもんもんと暮らしていて、
五島に帰省していた兄からの電話で
そのハガキの存在を知りました。
「そっちに送るけん」
そう兄は言いました。

16年前の自分からの手紙。
わくわくしました。
どんな字を書いていたのか。何を考えていたのか。どんな夢を持っていたのか。
そして、きっと思い描いていたような人間にはなれていないぞ、
16年前の僕くん・・・となんとなく切ない気分にもなりました。
そんな高ぶる気持ちでハガキを待ったわけです。

数日後。
届きました、ハガキ。
高鳴る胸の鼓動。
そしてひっくり返してみたら・・・
ひとことスケベな英単語(あえて、というか恥ずかしくて、具体的には書きません)
が書かれてました。

・・・・・・。

いやあ、情けなくてどうしようかと思いました。
「目が点」ってこういう状態なんだと知りました。
でも同時に、ほんとにほんの少しだけですが、
「やるなあ、アナーキーだなあ、13歳の俺」
とすがすがしい気分になったのも、事実。

topへ

五島のはなし(51)

かつて五島はクジラ漁の基地だった。
・・・という事実は知っていたのですが
その歴史が江戸時代初期にさかのぼり、
さらにその発展に尽力した一人の薩摩藩士がいたことは
まったく知りませんでした。

ああ。多くの人にとって興味のわかなそうな書き出しだなあ。
少しでも興味がわくように、
今日の文章のしめくくりを先に書くと
「五島みたいな隔離された印象のある場所でも
実は活発な人材の交流があって、しかも歴史的に
名の知られない人々の営みが複雑にからみあって
歴史がつくられてるんだなあ」
です。
・・・書いてみたけどやっぱ興味わかなそうだなあ。

先に書いた薩摩藩士。名を山田茂兵衛。
島津家の家臣として、
薩摩藩で豊臣秀頼に仕えた男。
薩摩藩で秀頼に?
というところが不思議なのですが、
山田茂兵衛の伝記によれば、
(現在は、大阪夏の陣で大阪城において自害したとされる)
秀頼は島津家によって救い出され、薩摩に逃げ延びたとなっています。
その後、秀頼をかくまっている事が徳川家にばれて、
秀頼は(薩摩にて)自害、仕えていたものの多くも自害するのですが、
薩摩生まれの家臣たちはそれほどつながりも深くなかったことから
自害を免れ、ただそのまま薩摩藩に残るわけにもいかず、
いろんな地域へと移り住んだ、のだそうです。

で、山田茂兵衛、です。
彼は五島の宇久島に移り住みました。
そこからしばらく後、江戸に住んだりもするのですが
また五島に戻り、「クジラ漁」の発展に尽力します。
小さな船でクジラをとるための技術とは大変なもので、
そのために、山口県から船大工を呼ぶなど、
全国のエキスパートたちを集め、創意工夫を重ねた結果、
多くのクジラをとるようになり五島はぐんぐん発展することになった
のだそうです。

この話は全部、宮本常一という民俗学者の
「日本の村・海をひらいた人々」(ちくま文庫)に
書かれていることなのですが、
いやあほんとに、
五島みたいな隔離された印象のある場所でも
実は活発な人材の交流があって、しかも歴史的に
名の知られない人々の営みが複雑にからみあって
歴史がつくられてるんだなあ。
と思ったです。

topへ

五島のはなし(50)

音楽のジャンルに「GOTO-POP(五島ポップ)」
というものがあります。
あるのか?
って思うでしょう。
あるんです。
・・・僕もさっき知ったんですが。

五島人の五島弁による五島のためのバンド 
「ベベンコビッチオーケストラ」

以下、彼ら自身の紹介文(その下に僕の直訳文)↓

ポジティブバカなGOTO-POPをオラブ~バンド!!
あがんハートをもさる あがどんがソウルをカッパっぞぉ
~オージョ コージョすっぞな~

ポジティブバカな五島ポップを叫ぶバンド!!
君のハートを奪う、お前らのソウルを盗む、
~もうほんとにまいっちゃうぜ~

ぜひ聴いてみてください!
僕はほんとにハートを奪われて、まいっちゃいました。

*ベベンコビッチオーケストラのブログ
http://blog.goo.ne.jp/bebencobicci
*ベベンコビッチオーケストラの歌はこちら
http://www.youtube.com/user/bebencobicci

topへ

五島のはなし(49)

ほんとどうでもいい話なんですが。
女性の下着の「シュミーズ」。
あれを僕は長い間「清水(しみず)」という名称だと思ってました。
五島のばあちゃんがそう呼んでいたからです。
ホントにそう呼んでいたのか、
僕がそう聞き違えてたのかは、
今となっては確かめようがありませんが。

夏の暑い日は、ばあちゃんが清水姿で
うちわを扇いでいたことを思い出します。
長い間、「清水」というブランドの下着なんだろう
と(頭の片隅で)思ってました。
(でも五島の女性に似合うのはシュミーズではなく清水だと今でも思います)

こういう思い違い、けっこうあると思いませんか。
僕の上司の娘さんは中1になるまで
チンパンジーのことを「チンパン人(チンバンジン)」だと思っていたそうです。
テレビで、もしくは動物園でチンパンジーを見るたびに
「この生き物はちょっと毛深くてちょっと小さいヒトなのだ」と
(なんとなく)思っていたのでしょう。
それが実は「人じゃない」と知ったときの驚きは、
彼女の子ども時代に終わりを告げる一撃だったと思います。

topへ

中村直史の「五島のはなし」48

五島の防波堤でよく見られる「ハコフグ」。
箱形になった体の下面をカパッと開けて
身を取り出し、味噌、玉ねぎ、しょうがといっしょにたたき
またそれをハコフグに戻してオーブンで焼くと、
五島名物「ハコフグの味噌焼き」の完成です。

名物ですが食べた事ありません。
家庭料理ってわけじゃないからなのか、
単に僕の家庭が食べない家だったのか・・・

とにかく美味しいですよ!
・・・きっと。

PS. フグというだけあって毒があるんだそうです。
内臓ではなく「皮」にあるらしいんですけど。

ハコフグ

ハコフグ

topへ

中村直史の「五島のはなし」47

今日、会社で後輩と話していて出たのは、
どうも僕には「手下感」があるんじゃないか
ということでした。

「あの人は存在感がある」
「某さんには威圧感があるよね」

人物を表現する際に出る「〇〇感」の中でも
「手下感」はトップクラスのあわれさがあります。
五島で暮らしていた頃、
僕はそんなに手下的役割ではなかったように思いますが
そう考えるとやはり、都会の中でなんとか生きていくために
身についた処世術的オーラなのでしょうか。

もし僕の両腕がもっと長かったなら
今夜は自分をぎゅっと抱きしめて眠るのに。

topへ


login