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五島のはなし(26)

Visionの原稿を書くために入った図書館で、
たまたま手に取った雑誌にすっかりやられてしまいました。

別冊太陽「白川静の世界」。
サブタイトルは「漢字のものがたり」。
白川さんは漢字の学者なんですが、彼によると
漢字とは「呪的儀礼を文字として形象化したもの」なんだそうです。
神さまの世界と日常とをつなぐ「儀礼」をかたちにしたものが漢字。
すごくないですか?
僕は単純に「もののかたち」が文字になったのが漢字だと思っていたので
かなりショッキングな話でした。

いろんな漢字にいろんな呪的バックグラウンドがあるのですが、
いちばん驚いたのは「道」。
「道」は自分のテリトリーから外に出る際に
外の世界に満ちた霊的パワーに負けないように(簡単に言うとおまじないとして)、
「生首を手に持って歩く様」なんだそうです。
すごすぎませんか?

この白川静さんという学者もすごいのですが、
彼の特集を組んだ「別冊太陽(2001年12月発行)」のできばえも質が高く、
編集者たちを尊敬してしまいました。

・・・今日は全く五島のはなしでなかった。
なにはともあれ、がんばれ、五島!

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五島のはなし(25)

五島の実家に帰っている子どもたちから電話があった。
夏休みはやはり気分が開放されるものなのか
はげしく元気である。
「いま登場ごっこやってんの!」と叫んでいた。
どんな遊びかわからないが、楽しそうではある。

妻と子どもたちは、夏になると速攻で五島に帰る。
今年は子どもの終業式さえほっぽらかして早々と帰った。

横浜にいるとき、子どもらはよく
「五島に帰ろうよ~」と言ってくる。
ふたりとも五島の病院で生まれたし、赤ちゃんのころは大半を五島で過ごしたから
「帰る」は間違いでないのだけれど、
18まで五島で育った僕と違い、ふたりは横浜で育っている。
そのうち「行く」になるんだろうなと想像する。
そのとき、僕がどんな気分になるのかは、ちょっとわからない。

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五島のはなし(24)

さきほど、編集者をしている親友から電話がありました。
「五島うどんのことを取材することになった。五島うどんについて教えて」

よしきたまかせろ、と思ったけれど、
正直、五島うどんについてほぼ何も語れない。
会社でも同僚から「五島うどんって美味しいらしいね、日本3大うどんのひとつだってね!」
と言われることがあり、そのたびに、
「ええ、うまいですよ!トビウオのだしで食べるんです!」
なんて、さも毎日食べてました的勢いで答えるのだけれど、
実は島を出るまで、トビウオのだし(アゴだし、と呼びます)で
うどんを食べたことがありませんでした。

・アゴだしで食べる。
・ほそい。
・うまい。
・上五島が名産地。
・五島うどんは、讃岐、稲庭に並ぶ日本3大うどんのひとつ。
・いやいや、讃岐、稲庭、水沢うどんこそが日本3大うどんという説もあり。
・そもそも日本に、「〇〇うどん」って、上記の4つくらいしか存在しないんじゃないか?
・だから水沢うどんと五島うどんで3つ目の座を争わず、いっそ「日本4大うどん」でいいんじゃないか?

以上が五島うどんに対する僕の全知識(とギモン)でありまして、
もちろん「うまい店情報」など全くなく、
友人の電話も、彼が調べた情報に対して
「うん」「そう」「かもね」の3ワード(正確にはワーズ)でなんとか乗り切りました。

原因は産地である上五島のことを、よく知らないということです。
五島は北東側の島々を「上五島」、南西側の島々を「下五島」と呼び、
僕は下五島出身。上五島には、部活の練習試合で2,3回行っただけ。
なので、ここの話も本来なら「下五島のはなし」でないと、
上五島の方たちに、申し訳ない感じなのです。

まあそういうことは置いといて、
今では島に帰るたびに土産物屋さんで「五島うどん」をゲットし、
横浜に持ち帰っては食べてます。
乾麺と即席の粉末アゴだしスープでも抜群においしいので、
産地の上五島で、本物のできたて五島うどんを食べたらどんなにうまかろう
と想像します。

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五島のはなし(23)

五島のはなしを書いてきたおかげで、
ひとつパソコンに詳しくなりました。
それは、数字を〇で囲めるのは20まで、という事実です。
みなさん知ってたでしょうか?
二桁囲むんだったら、99までいけよ!と思うのですが。
ここに僕は科学技術の限界を見たのです。

さて僕のはじめての修学旅行のことを書きます。
それは小学5年生のときでした。
行先は「長崎」。長崎県人なのに長崎かよ!と今ならつっこみを入れたくなりますが、
その当時、長崎は僕にとって日本一の大都会。
銀座なんか目じゃありません。長崎。それも浜の町アーケード街。あこがれたなあ。

フェリー乗り場で整列した僕らに先生が聞きました。
「長崎行くの、初めての人」
クラスの半分近くが手を挙げたでしょうか。
僕はすでに何度か行ったことがあったので手を挙げなかったんですが、
その、手を挙げない優越感といったら!

というわけで、最初の修学旅行で思い出に残っているのは、
長崎の町ではなく、この五島のフェリー乗り場での一瞬の出来事で、
しかもほぼ唯一の思い出です。
すごく人間が小さいエピソードだと、我ながら、ほれぼれします。

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五島のはなし(22)

先日、鳥巣くんが書いてくれた「五島自動車学校」。
ここで、ぼくも運転免許をとりました。
高校の卒業式が終わり島を離れるまでの1か月間で。
自動車学校に入学する前、とても不安に思ってたことがあります。
それは「高速教習」。

まわりの大人たちが言うわけです。
「五島には高速道路がないけん、高速教習は滑走路でせんばとぞ」
当時はウブでしたので(いまもウブと思ってますが)、
その話を鵜呑みにしてました。
福江空港の滑走路で、飛び立つ飛行機を前に猛スピードで駆け抜ける俺。
こわい。けどちょっとやってみたい。

自動車学校に入学し、その話がウソだとわかったとき、
ちょっと残念な気分になったのを覚えています。
でも、無事に免許を取り終えたとき、ちゃんと後輩たちには言いました。
「滑走路での高速教習が怖かった」と。

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五島のはなし(21)

ちょっと前の話ですが、
落語専門情報誌「東京かわら版」の巻頭エッセーで
五島の「いあな」のことが出てました。
書いていたのは、爆笑新作落語家、林家彦いち師匠。
なんでも、落語家仲間とアフリカのギアナに行こうとしていたら
その仲間の都合で急遽行けなくなったとか。
じゃあ、せめて一人ででも、ギアナっぽいところに行こうと
全国の地図をくまなく探して見つけたのが、五島・福江島の「いあな」だったとか。
バカですね~。
彦いち師匠は、こういう普段の生活を落語に仕立てて爆笑させるのが得意です。

で、この「いあな」。漢字では井穴と書きます。
溶岩が噴出した際に、ああなって、こうなって、できた洞窟です。

隔離された生態系をもつため、世界的に珍しい生物がいます。
「なんとかハゼ」とか、「ほにゃららコウモリ」とか。
土器なんかも出土しており、大昔は人も住んでいたんだそうです。
何百メートルも続いた洞窟の先は海中に沈んでおり、
その先がどうなっているのかは「わからない」のだそうです。
ロマンあります。
恐竜とかいたらいいのになあ、と思います。

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五島のはなし⑳(鳥巣智行 )

鳥巣くんは、僕と同じ会社の新人コピーライターです。
長崎市出身ですが、五島にゆかりがあります。
そもそも、五島にも「鳥巣」という姓が多く、
彼のルーツは五島のはずだ、と勝手に断定しています。
そんな彼が運転免許をとるために、五島に滞在したときの話です。
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「五島自動車学校」

それでは、
五島自動車学校の紹介をさせていただきます。

五島自動車学校のそばには海があります。
美しい五島の海が道路を一本挟んだところに広がっています。
本当に目の前、徒歩0分です。
だからちょっとした教習の空き時間にも海で遊ぶことができます。
また、五島では新鮮な魚介類が食べられます。
地元の若い男の子と仲良くなった女の子がたくさんのウニやアワビをもらって、
それを食堂でみんなにふるまっていました。
あと、星も抜群にきれいです。
それに、五島自動車学校では馬にも乗ることができます。
「馬にのりました」という写真入の証明書をもらいました。

それから、教官がユニークです。
私が教わった教官はいわゆる「アメとムチ」タイプの教官でした。
ちょっとでもミスをすると「なんばしよっとやろか、このこ子はぁ!」
といってブレーキをものすごい勢いで踏みながら激昂します。
怖がってびくびくしながら車を走らせていると、
こんどは「アクシェルアクシェル~」といって加速を要求します。
はじめのうちはその厳しさに耐えかねて、
何度もやめてしまおうと思いました。
けれども2・3日経って、
彼の「アメ」の部分にふれることができました。
はじめはうれしかったのですが、
後々、冷静になって気づいたのは、
その「アメ」の大半が下ネタだということです。
肝心な下ネタの内容は失念してしまいましたが、
とにかく車にまつわる下ネタを連発します。

そして合宿が終わるころに気がつきます。
「運転できるようになってる。」
私は無事18日で免許をとることができました。
(鳥巣智行 )

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五島のはなし⑲

いま、田舎から両親が来ています。
昨日は落語に連れて行きました。
うちはすごくマジメな家で、そんな中、
将来の名人といわれる柳家三三(やなぎや・さんざ)の落語会は
超ナイスセレクトで、健全な笑いと喜びを届けられると思っていたら、
やったネタが吉原(つまり女郎買い)のはなし。
ふだん落語を聴いている人なら遊郭の話なんて当たり前なんですけど、
いやー、なんか、ドキドキしてチラチラ親の横顔を見てしまいました。
でも二人とも爆笑しててひと安心。

うちの母は強烈で、座右の銘は「負くんもんか(負けるもんか)」。
あと「私は悟っている」もよく言う。
悟りを開いた人が勝ち負けを気にするのだろうか・・・

僕が中学1年の時、母と一緒に、名古屋の大学に進学したばかりの
兄のところへ行きました。はじめて一緒に地下鉄に乗った瞬間、
母は持っていた2つのバッグを空いた座席に放り投げ
僕と兄に向って「あんたたち、そこに座らんね!」と叫びました。
「恥ずかしいからやめてくれ」と頼む兄に放った一言が、
「都会ではこがんせんば生きてゆけんと!」。

昨日もバスの中で、(今回の横浜への旅の心構えとして)五島の叔母から
「都会ではあんまり大声で話したらいかん、って忠告されてきたとよ~」と
けっこう大声で話してました。
こうして、時間をおいてみると笑えるのですが・・・

がんばれ、五島(の母)!

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五島のはなし⑱

五島時代の友人たちが僕のこの文章を
読んだらと思うと怖くなりました。
彼らは口をそろえてこう言うでしょう。
「ばえ~」。

数年前、五島に帰省中のときのこと。
兄とすぐ近くの漁港へ釣りに行きました。
もうほんと、目と鼻の先の小さい漁港。
そのとき同じく島に帰省中の人が
最新鋭のフィッシングスーツに身を包み、
高級そうな釣り竿を持ち、まるでプロアングラー(釣り師)のような
いでたちで立っていました。
その時、兄と僕の口から同時に出た言葉が、まさに「ばえ~」。

この言葉には「ようよう、かっこつけちゃって」的な意味合いがあります。
ブログ?J-WAVE?広告代理店?コピーライター?
すべて「ばえ~」です。
僕がここで使っている標準語がまた「ばえ~」です。

ちなみに発音は、「わあ」に近いです。

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五島のはなし⑰

team Vision の小山佳奈さんが、
渾身のレポート続編をアップしてくれるであろう「カンヌ広告祭」。
そこで今年、財政難に苦しむ夕張市の
プロモーションキャンペーンが立派な賞をもらってました。

僕もそういうのをやんなくちゃいけない。
ナイスなアイディアで五島を盛り上げなくちゃいけない。
(財政難なら五島だって負けてないんです!)
知名度上げなきゃ、島の自然を守らなきゃ、観光客を呼ばなきゃ、
とれなくなった魚をなんとかしなきゃ、ふるさと納税も推し進めなきゃ、いけない。
ああ、でも、目の前の仕事であたふたしている。
明日の朝提出の仕事がまだ何もできていない。
そしてそんな状況でこの五島のはなしを
仕事からの逃避に利用している。

ごめん、五島!

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