雨傘
ノーベル文学賞作家、
川端康成が、ライフワークとして
若い頃から書き続けた
短編よりもさらに短い
作品集「掌(たなごころ)の小説」。
その中に「雨傘」という物語がある。
遠く離れて二度と会えなくなる少年と少女が、
写真館に思い出の写真を撮りに行く
それだけのごく短い話なのだが、
天気が変わるように
二人の関係が
ほんの少しだけ移り変わる瞬間を
雨傘という小道具が
美しく演出した名作である。
ぜひ雨の日に、
大切な人と読んでほしい。
雨傘
ノーベル文学賞作家、
川端康成が、ライフワークとして
若い頃から書き続けた
短編よりもさらに短い
作品集「掌(たなごころ)の小説」。
その中に「雨傘」という物語がある。
遠く離れて二度と会えなくなる少年と少女が、
写真館に思い出の写真を撮りに行く
それだけのごく短い話なのだが、
天気が変わるように
二人の関係が
ほんの少しだけ移り変わる瞬間を
雨傘という小道具が
美しく演出した名作である。
ぜひ雨の日に、
大切な人と読んでほしい。
雨の演技
映画監督にとって、
雨に演技をさせるのも仕事の一つだ。
黒澤明は、
1950年公開の「羅生門」で土砂降りの雨を
モノクロフィルムに焼き付けるため、
墨汁を混ぜた水を放水車で降らせた。
重々しさのある雨の雫は、
誰ひとり信用できない、
という人間心理の底知れぬ不安を
見事に浮かび上がらせた。
その2年後に
カラー映画で公開されたのが「雨に唄えば」。
土砂降りの雨の中、監督も務めたジーン・ケリーが
幸せそうに踊る名シーンは
天国のように美しいと評された。
この雨に混ぜられていたのは真っ白なミルクだった。
黒と白の二つの雨。
どちらも今なお世界中の人々に愛されてやまない、
映画史に残る傑作を彩った。
西表カイネコ
女優の沖縄魂
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
映画「ナビィの恋」で
恋するおばぁをチャーミングに演じた
女優、平良とみ。
1928年に石垣島で生まれ
母子家庭で育ち、
生活のために13歳で巡業劇団に参加。
戦後も、貧困と食糧難の時代に
芝居を続け、子供を産み育てた。
歌や踊りが好きだと思ったことは
1度もなかったという。
平良が大切にしていたのは
沖縄の方言、ウチナーグチ。
「このドラマに出ることは、沖縄のためになりますか」
そう問いかけたのは
NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」
に出演を依頼されたとき。
彼女が演じる理由は最後まで、
自分よりも沖縄のためだった。
歌えない歌
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
沖縄民謡の第一人者、登川誠仁がつくった
「戦後の嘆き」という歌がある。
沖縄のジミヘンと言われた登川が
得意の早弾きではなく、
ゆっくりと、切々と、搾り出すように唄う曲だ。
その歌をつくった理由を彼はこう語る。
住んでいた家の裏手に
酒を飲みながら泣く人がいてよ。
なんでこんなに泣くのかね、と思っていたら、
若い頃から戦で本土に行って
戦後、故郷に引き揚げてきたら、
家族が亡くなっていてよ。
だから酒飲んで泣いていたんだよ。
歌を作ることは好きだが、
こういう哀しい歌を自分で歌うと
自分も泣いてしまうから、
自分自身では歌いたくないよ。
つくるしかなかった。
でも、歌わない、歌えない。
三線の音色が切なく響く
とても静かな歌である。
MASA
名将の目線
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
高校野球ファンなら
その名を忘れない
沖縄の名将、栽弘義監督。
4歳で沖縄戦に遭遇し
3人の姉を失い
自らも背中に重傷を負った。
しかし栽監督は
米軍にいた元メジャーリーガーから
ウェイトトレーニングを学んで
取り入れるなど、
過去に縛られることはなかった。
沖縄を語るのに
戦争が前面に出てくるのはもうおかしい。
いつも心の中に置きながら、
これからの沖縄を考えることも大事です。
甲子園通算29勝。
強い沖縄野球をつくったその采配には、
沖縄の未来が見えていた。
笑うやちむん
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
沖縄ではじめての
人間国宝になった陶芸家、金城次郎。
戦中、戦後の混乱の中
沖縄の伝統、壺屋焼を守り抜き
その発展に尽力した次郎。
島の魚や海老を
生命力あふれる筆致で描いた器は
海外からも注目された。
自らも壺屋焼を学んだ
師匠の濱田庄司は、次郎の技をこう語る。
次郎の魚や海老はすべて笑って描かれ、彫られている。
日本に陶芸家多しといえども次郎以外に
魚や海老を笑わすことができる名人はいない。
次郎の器はアートではなく、
日々の生活に使う日用品だった。
その笑いには誰もが平和に暮らせる
世の中になってほしいという、
次郎の願いが込められている。
野球への弾圧
今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。
日本プロ野球黎明期の
伝説のエース沢村栄治。
150キロ後半と推定される豪速球に
アメリカの強打者ベーブ・ルースも舌を巻いた。
プロ野球が始まった1936年、
巨人軍を優勝に導き、
翌年は史上初のMVPを獲得。
2年続けてノーヒットノーランを達成する、
まさに大スターだった。
だが次の年、沢村は戦場にいた。
投げていたのはボールよりはるかに重い手榴弾。
今22歳の大谷翔平投手と、ほぼ同じ年齢だった。
プロを辞めた沢村は、
さらに二度も戦地に招集され、27歳で戦死。
野球は敵国アメリカの文化だと
軍部に弾圧されていた時代。
日本のエースの大志は、
運命に握りつぶされたのだ。
現実を見る力
今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。
映画監督、黒澤明は
幼い頃、兄に連れ出されて
関東大震災の焼け野原を見に行った。
おびただしい遺体の数。
思わず目をそむけ、怯える弟に、
「よく見るんだ、明」と兄は言った。
「怖いものに眼をつぶるから怖いんだ。
よく見れば、怖いものなんかあるものか」
のちに世界を驚かせる映画を
次々と撮ることになる明少年。
彼に大志を抱かせたのは、
現実の中の真実を見つめろ、という
兄の哲学だったのだ。
太陽だけが友達
今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。
芸術家岡本太郎は
数奇な少年時代を過ごした。
一斉を風靡した漫画家である父一平と
小説家・歌人である母かの子との間に
太郎は生まれた。
家庭を顧みることのない父と、
子どもを育てようとせず
愛人を家に住まわせていた母。
家にも学校にも居場所のなかった
小学1年生の太郎の話し相手は
青空に毎日顔を出す「太陽」だけだった。
世界を照らす太陽の大きさと、
自らを燃やし、輝き続けるエネルギーは
どれほど勇気をくれたことだろう。
太郎少年に大志を抱かせた
熱く燃えさかる太陽は、
生涯に渡って芸術の重要なモチーフとなった。
路上の行方
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
彼の小説「On the road」が描いたのは
サル・パラダイスとディーン・モリアーティ、
二人の若者のアメリカ放浪の旅。
様々な風景を持つ
広大なアメリカでクルマを走らせ、
ここではないどこかを目指す旅の途中で、
多種多様な価値観や恋と出会う。
その路上にこそ、人生の輝きがある。
その旅に全米の若者が熱狂し
ジム・モリソンやボブ・ディランなど
数多くの表現者たちに大きな影響を与えた。
主人公たちが最後に目指したパラダイスは、
メキシコだった。
その国境に壁をつくろうとする
アメリカという国は
これから、どこを目指そうとしているのか?
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