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澁江俊一 17年6月11日放送

170611-01

雨傘

ノーベル文学賞作家、
川端康成が、ライフワークとして
若い頃から書き続けた
短編よりもさらに短い
作品集「掌(たなごころ)の小説」。

その中に「雨傘」という物語がある。
遠く離れて二度と会えなくなる少年と少女が、
写真館に思い出の写真を撮りに行く
それだけのごく短い話なのだが、

天気が変わるように
二人の関係が
ほんの少しだけ移り変わる瞬間を
雨傘という小道具が
美しく演出した名作である。

ぜひ雨の日に、
大切な人と読んでほしい。

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澁江俊一 17年6月11日放送

170611-03

雨の演技

映画監督にとって、
雨に演技をさせるのも仕事の一つだ。

黒澤明は、
1950年公開の「羅生門」で土砂降りの雨を
モノクロフィルムに焼き付けるため、
墨汁を混ぜた水を放水車で降らせた。

重々しさのある雨の雫は、
誰ひとり信用できない、
という人間心理の底知れぬ不安を
見事に浮かび上がらせた。

その2年後に
カラー映画で公開されたのが「雨に唄えば」。
土砂降りの雨の中、監督も務めたジーン・ケリーが
幸せそうに踊る名シーンは
天国のように美しいと評された。
この雨に混ぜられていたのは真っ白なミルクだった。

黒と白の二つの雨。
どちらも今なお世界中の人々に愛されてやまない、
映画史に残る傑作を彩った。

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澁江俊一 17年5月14日放送

170514-01
西表カイネコ
女優の沖縄魂

明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。

映画「ナビィの恋」で
恋するおばぁをチャーミングに演じた
女優、平良とみ。

1928年に石垣島で生まれ
母子家庭で育ち、
生活のために13歳で巡業劇団に参加。
戦後も、貧困と食糧難の時代に
芝居を続け、子供を産み育てた。

歌や踊りが好きだと思ったことは
1度もなかったという。

平良が大切にしていたのは
沖縄の方言、ウチナーグチ。

「このドラマに出ることは、沖縄のためになりますか」

そう問いかけたのは
NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」
に出演を依頼されたとき。

彼女が演じる理由は最後まで、
自分よりも沖縄のためだった。

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澁江俊一 17年5月14日放送

170514-03

歌えない歌

明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。

沖縄民謡の第一人者、登川誠仁がつくった
「戦後の嘆き」という歌がある。

沖縄のジミヘンと言われた登川が
得意の早弾きではなく、
ゆっくりと、切々と、搾り出すように唄う曲だ。
その歌をつくった理由を彼はこう語る。

 住んでいた家の裏手に
 酒を飲みながら泣く人がいてよ。
 なんでこんなに泣くのかね、と思っていたら、
 若い頃から戦で本土に行って
 戦後、故郷に引き揚げてきたら、
 家族が亡くなっていてよ。
 だから酒飲んで泣いていたんだよ。

 歌を作ることは好きだが、
 こういう哀しい歌を自分で歌うと
 自分も泣いてしまうから、
 自分自身では歌いたくないよ。

つくるしかなかった。
でも、歌わない、歌えない。
三線の音色が切なく響く
とても静かな歌である。

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澁江俊一 17年5月14日放送

170514-05
MASA
名将の目線

明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。

高校野球ファンなら
その名を忘れない
沖縄の名将、栽弘義監督。

4歳で沖縄戦に遭遇し
3人の姉を失い
自らも背中に重傷を負った。

しかし栽監督は
米軍にいた元メジャーリーガーから
ウェイトトレーニングを学んで
取り入れるなど、
過去に縛られることはなかった。

 沖縄を語るのに
 戦争が前面に出てくるのはもうおかしい。
 いつも心の中に置きながら、
 これからの沖縄を考えることも大事です。

甲子園通算29勝。
強い沖縄野球をつくったその采配には、
沖縄の未来が見えていた。

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澁江俊一 17年5月14日放送

170514-06

笑うやちむん

明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。

沖縄ではじめての
人間国宝になった陶芸家、金城次郎。

戦中、戦後の混乱の中
沖縄の伝統、壺屋焼を守り抜き
その発展に尽力した次郎。
島の魚や海老を
生命力あふれる筆致で描いた器は
海外からも注目された。

自らも壺屋焼を学んだ
師匠の濱田庄司は、次郎の技をこう語る。

 次郎の魚や海老はすべて笑って描かれ、彫られている。
 日本に陶芸家多しといえども次郎以外に
 魚や海老を笑わすことができる名人はいない。

次郎の器はアートではなく、
日々の生活に使う日用品だった。
その笑いには誰もが平和に暮らせる
世の中になってほしいという、
次郎の願いが込められている。

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澁江俊一 17年4月16日放送

170416-03

野球への弾圧

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

日本プロ野球黎明期の
伝説のエース沢村栄治。
150キロ後半と推定される豪速球に
アメリカの強打者ベーブ・ルースも舌を巻いた。

プロ野球が始まった1936年、
巨人軍を優勝に導き、
翌年は史上初のMVPを獲得。
2年続けてノーヒットノーランを達成する、
まさに大スターだった。

だが次の年、沢村は戦場にいた。
投げていたのはボールよりはるかに重い手榴弾。
今22歳の大谷翔平投手と、ほぼ同じ年齢だった。
プロを辞めた沢村は、
さらに二度も戦地に招集され、27歳で戦死。

野球は敵国アメリカの文化だと
軍部に弾圧されていた時代。
日本のエースの大志は、
運命に握りつぶされたのだ。

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澁江俊一 17年4月16日放送

170416-04

現実を見る力

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

映画監督、黒澤明は
幼い頃、兄に連れ出されて
関東大震災の焼け野原を見に行った。

おびただしい遺体の数。
思わず目をそむけ、怯える弟に、
「よく見るんだ、明」と兄は言った。

「怖いものに眼をつぶるから怖いんだ。
 よく見れば、怖いものなんかあるものか」

のちに世界を驚かせる映画を
次々と撮ることになる明少年。
彼に大志を抱かせたのは、
現実の中の真実を見つめろ、という
兄の哲学だったのだ。

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澁江俊一 17年4月16日放送

170416-05

太陽だけが友達

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

芸術家岡本太郎は
数奇な少年時代を過ごした。

一斉を風靡した漫画家である父一平と
小説家・歌人である母かの子との間に
太郎は生まれた。

家庭を顧みることのない父と、
子どもを育てようとせず
愛人を家に住まわせていた母。
家にも学校にも居場所のなかった
小学1年生の太郎の話し相手は
青空に毎日顔を出す「太陽」だけだった。

世界を照らす太陽の大きさと、
自らを燃やし、輝き続けるエネルギーは
どれほど勇気をくれたことだろう。

太郎少年に大志を抱かせた
熱く燃えさかる太陽は、
生涯に渡って芸術の重要なモチーフとなった。

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澁江俊一 17年3月12日放送

170312-01

路上の行方

今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。

彼の小説「On the road」が描いたのは
サル・パラダイスとディーン・モリアーティ、
二人の若者のアメリカ放浪の旅。

様々な風景を持つ
広大なアメリカでクルマを走らせ、
ここではないどこかを目指す旅の途中で、
多種多様な価値観や恋と出会う。
その路上にこそ、人生の輝きがある。

その旅に全米の若者が熱狂し
ジム・モリソンやボブ・ディランなど
数多くの表現者たちに大きな影響を与えた。

主人公たちが最後に目指したパラダイスは、
メキシコだった。
その国境に壁をつくろうとする
アメリカという国は
これから、どこを目指そうとしているのか?

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