mdalmuld
助手席のケルアック
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
小説「On the road」では
ドライブやヒッチハイクで
アメリカ中を放浪した
主人公のサルとディーン。
クルマがもたらす移動のスピードが
疾走感ある文体にも強く影響している。
しかしケルアック自身は、
死ぬまで運転免許を持とうとしなかった。
助手席から眺めるアメリカの自然や
移り変わる街並みに想いを馳せるほうが
運転よりもはるかに
好きだったのかもしれない。
mdalmuld
助手席のケルアック
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
小説「On the road」では
ドライブやヒッチハイクで
アメリカ中を放浪した
主人公のサルとディーン。
クルマがもたらす移動のスピードが
疾走感ある文体にも強く影響している。
しかしケルアック自身は、
死ぬまで運転免許を持とうとしなかった。
助手席から眺めるアメリカの自然や
移り変わる街並みに想いを馳せるほうが
運転よりもはるかに
好きだったのかもしれない。
ケルアックの夢
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
アメリカ中の若者が熱狂した
彼の小説「On the road」を実は
ケルアック自身が映画化しようとしていた。
彼が出演を依頼したのは
当時人気絶頂だったマーロン・ブランド。
ケルアックは手紙を送ったが
ブランドは断り、映画化は実現しなかった。
その後落ち目になったブランドを
ゴッド・ファーザーで帰り咲かせた
フランシス・フォード・コッポラが
「On the road」の映画化に挑んだ。
1979年に映画化権を獲得した
コッポラだが、なんども企画を重ねて
ようやく公開できたのは
出版から50年以上経った2012年のこと。
その間にアメリカは大きく変わり
若者の価値観も変わった。
もしも、ブランドの主演で
当時のアメリカで映画化されていたら。
原作を超える名作が、生まれていただろうか。
ケルアックと仲間たち
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
1957年に出版された
「On the road」の大成功で
時の人となったケルアックのまわりには
「裸のランチ」の作家バロウズや
詩人のギンズバーグなど
切っても切れない仲間がいた。
ときに驚き、ときに笑い、ときに憤る。
友と語り合いながら
あてもない旅を繰り返す。
彼らは自らを
ビート・ジェネレーションと名乗った。
一人ではできないことも、
仲間とならできる。
友情を超えた魂のつながりこそ、
当時の若者たちを動かしたビート世代の
いちばんのメッセージかもしれない。
本屋の意地
今日は小説家、
ジャック・ケルアックの誕生日。
ケルアックとも深い親交があった
詩人アレン・ギンズバーグ。
彼の詩集「Howl」は1956年秋、
サンフランシスコの小さな本屋
「シティライツ ブックストア」によって出版された。
出版したのは詩人であり
本屋の店主だったローレンス・ファーリンゲティ。
「Howl」はわいせつ文書として
警察に押収されるが、
仲間たちの支援のもと裁判で勝利する。
それが話題になり、
ギンズバーグの詩は一気に
アメリカ中の若者たちに読まれるようになった。
ビートニクの扉を開いた小さな本屋は
サンフランシスコの街なかで
今日も本の虫たちを待っている。
プロレスの日
今日、2月19日は、プロレスの日。
日本のプロレス人気を支え続けた
ジャイアント馬場。
プロ野球選手という地位を
ケガで棒に振ってのプロレス入り。
挫折からのスタートだった。
若い頃はアメリカへの
武者修行で名を馳せた。
師匠の力道山が世を去ると、
本場アメリカでの定住を勧められた。
しかし馬場は当時の額で1億円という
破格の年棒を断り、
闘いの舞台を日本に定めた。
明るく、楽しく、激しく。
その言葉をモットーに
立ち上げた全日本プロレスは
ファンを裏切らない、
質の高い試合にこだわった。
16文キック、
ジャイアントバスター、
脳天唐竹割り、
2mを超える巨体が
繰り広げらる技の数々。
その強烈さは
馬場の誠実さでもあったのだ。
プロレスの日
今日、2月19日は、プロレスの日。
プロレスを題材にして、
一斉を風靡した人気漫画「タイガーマスク」。
主人公は伊達直人。
悪役レスラーであることを隠し、
その収入を、孤児院に寄付し続けた。
原作者・梶原一騎が生み出した
無敵の悪役ヒーローが、
マスクという匿名性に隔てられた
表のイメージと、裏の本心とのギャップに苦しむ、
その姿は多くの共感を集めた。
連載終了から
およそ30年経った2010年頃、
伊達直人を名乗る誰かが、
児童施設に様々な寄付を行うようになった。
架空の人物が、寄付という行動を起こしている。
その活動は全国へと広がり続け、大きな話題になった。
今日もどこかにいるたくさんの伊達直人は
当たり前の日々を生きている
普通の人の、マスクの裏の、素顔なのだ。
Tab Tannery
ロンドン塔のワタリガラス
今年、2017年は、酉年。
ワタリガラスという鳥がいる。
我々が都心で見かけるカラスとは
少し違うこの鳥、
実は人類と深い深い縁がある。
北欧神話や旧約聖書のノアの箱舟で
陸地を探すために
船から放たれた鳥がワタリガラスなのだ。
新天地に向かう人類を、
導く鳥だったのだろう。
イギリスのロンドン塔の庭では
チャールズ2世の勅令で
今でもワタリガラスが飼われている。
ロンドン塔から
ワタリガラスがいなくなると
英国は滅びるという言い伝えを
イギリスの人々は今も信じているのだ。
EUを離脱した国を
ワタリガラスは
どこへ導こうとしているのか。
日本代表を導くカラス
今年、2017年は、酉年。
ワタリガラスという鳥がいる。
世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。
日本にも、同じような神話がある。
それが八咫烏の神話だ。
神武天皇が熊野の国から
大和国へ向かうのを導いたのが八咫烏なのだ。
八咫は大きなという意味の言葉で
つまりオオガラスということ。
そしてワタリガラスは、
日本ではオオガラスとも呼ばれている。
今では日本サッカー協会の
シンボルマークとして知られるこのカラス。
日本サッカーとの歴史は古く、昭和6年。
漢文学者、内野台嶺(うちのたいれい)の
発案でつくられた。
ボールをゴールに導いてほしい
という願いが込められている。
KenWalker
写真家を導いたワタリガラス
2017年は、酉年。
ワタリガラスという鳥がいる。
世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。
アラスカに住むインディアンには
とりわけワタリガラスの神話が多い。
モンゴロイドである彼らは
かつてこのワタリガラスに導かれて
ベーリング海を越え、
北方アジアから新大陸アメリカへとやってきたのだ。
その神話を追い続けたのが
写真家の星野道夫。
彼はその謎をたどるように
アラスカからシベリアに渡り
ワタリガラスの神話を集める旅をしていた。
その途中、ヒグマに襲われ、命を落とした。
星野道夫はもういない。
けれど今でも、
星野が残したたくさんの写真と言葉は、
ワタリガラスのように
私たちを彼が探していた場所へと、導こうとしている。
国鳥になったワタリガラス
今年、2017年は、酉年。
ワタリガラスという鳥がいる。
世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。
このワタリガラスを
国鳥に定めている国がある。
かつてGNH=国民総幸福量という提案で
世界が注目した国、ブータンだ。
幸せという
数値化できない指標を使い
経済ですべてを理解しようとする世界を、
別の場所へ導こうとしているブータン。
その国王の冠には今も、
ワタリガラスの彫刻が飾られている。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.