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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-04

文豪と納豆

今日は、納豆の日。

「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など
人間の寄る辺なさを
ユーモアのある
美しい文章でつづった文豪、太宰治。
彼の好物は、納豆だった。

ひきわり納豆に
醤油のかわりに筋子を入れて混ぜ
熱々のご飯にのせて食べていたという。
一見、不思議な組み合わせにも思えるが
その不思議さもどこか、太宰らしく
食べてみたくさせる魅力がある。

納豆と、筋子。
子供の頃から食べていたというその味は
太宰にとって故郷津軽を感じられる
懐かしい味だったのかもしれない。

その食べ方は「太宰丼」と呼ばれ
今も青森では多くの人に愛されている。

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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-06
こうへい
サッカーと納豆

今日は、納豆の日。

華麗なプレーで観客を魅了し
ピクシーの愛称で多くのファンに愛された
サッカー選手、ドラガン・ストイコビッチ。

日本食をこよなく愛していた
彼のいちばんの好物は納豆だった。
故郷のセルビアには
発酵食品がなかったにもかかわらず
その愛し方はなみなみならぬものがあった。
オーストラリアキャンプでは
朝食に頼んでいた納豆がないと知るや
怒ってスタッフに日本食材の店まで
買いに行かせたほどだったという。

糸を引くように正確な
パスやシュートのパワーの源が
納豆だったと知ると
日本人ファンとしては
また彼を愛してしまう理由が増えそうだ。

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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-08

探検家と納豆

今日は、納豆の日。

外国人は納豆を食べないとか
納豆は日本人ならではの食材とか
私たちはよく口にするが、
本当だろうか?

探検家であり作家の高野秀行は
タイやミャンマー、中国やブータンなど
アジア各地を回り、
納豆を食べる文化と次々と出会った。

そこでは
様々な調味料と合わせたり、
煮たり焼いたり炒めたりせんべいにしたり
納豆が幅広く調理されていた。

アジアでの納豆料理の
レパートリーの豊かさを見た高野は
「日本はむしろ納豆後進国なのではないか?」
と感じたという。

納豆は日本のもの
そんな常識は、
そろそろ賞味期限切れなのかもしれない。

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澁江俊一 16年6月12日放送

160612-03
Saku Takakusaki
懐疑的であれ

世界初の消しゴム版画家にして
すぐれたTVコラムを書き続けた、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

テレビを見ながら
そこにうごめく人間もようを観察し
思いもよらない言葉を与えて読者を共感させながら、
そんな自分に、どこか懐疑的でもあった。
彼女のコラムは、多くの作家も魅了した。

ナンシーのファンだと公言する作家、
宮部みゆきはこう語る。

 ナンシーさんが亡くなった時
 司馬遼太郎さんが亡くなった時と
 同じくらいの喪失感があった。
 もう読めなくなると思うと、心細くなった。

「批評とは竟に己れの夢を
懐疑的に語る事ではないのか」
そう語った小林秀雄にならえば、
ナンシー関こそ、
本物のテレビ批評家だったのだ。

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澁江俊一 16年6月12日放送

160612-05
ひでわく
テレビを見破る

世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

消しゴム版画だけでなく、
日々無数の番組を流し続けるテレビを
徹底的に観察して、
見事なコラムにするという
稀有な才能も持ち合わせていたナンシー。

 見えるものしか見ない。
 でも目を皿のようにして見る。
 そして見破る。

そう語る彼女の、
厳しくも愛のあるコラムは
多くのテレビマンに恐れられ、
また彼らを虜にもした。

あるテレビプロデューサーはこう語る。
「はやく第二のナンシーさんが現れないと、
テレビの制作現場が健全にならないんじゃないか、
と心配しています」

14年ぶりに今のテレビを見たら、
ナンシーはどんな言葉をぶつけるのか。

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澁江俊一 16年5月8日放送

160508-01

言えなかった反対

今日は、
第二次世界大戦で命を失った全ての人に
追悼を捧げる日。

妖怪漫画の巨匠、水木しげる。
一兵士として過酷な戦争を経験し
戦場の人間たちの様子を
リアルな漫画に描いた。
水木にはどんなインタビューでも
絶対に口にしないと決めていた言葉があった。

それが「戦争反対」。

目の前で命を落とす戦友たちと
同じ目線に立ち続けた水木には、
「反対」という一言にすべてを込めてしまうことに、
どこか違和感があったのかもしれない。

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澁江俊一 16年5月8日放送

160508-03

考え続けること

今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。

大西巨人の小説「神聖喜劇」。
400字の原稿用紙にして、
およそ5000枚にもなる大長編だ。

主人公の青年、東堂太郎は
超人的な記憶力を持ち、
軍隊で起こる様々な出来事について
徹底的に考え続ける。

軍隊規則の条文まで
一言一句暗記している東堂は、
上官たちにも臆せず
自らの考えをぶつけていく。

上の命令が絶対で
記憶など求められない
軍隊という理不尽と、
忘れないこと、考え抜くことで
徹底的に戦う東堂。

決して読みやすくはないこの小説が
今また若者たちの間で
読まれ始めているらしい。

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澁江俊一 16年5月8日放送

160508-05

反省なき暴走

今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。

作家の半藤一利は、
日本陸軍の暴走の始まりとなった戦いを取材し
「ノモンハンの夏」を書いた。

ノモンハンという、
資源も何もない平原をめぐり
一握りの高級参謀の独善で、
8000を超える日本兵士が命を落とした。
陸軍将校たちはその戦いを反省することもなく、
太平洋戦争で同じ過ちを繰り返した。

本のあとがきで半藤はこう語る。

 怒りが鉛筆の先にこもるのを如何ともしがたかった。
 勇戦力闘して死んだ人びとが
 浮かばれないと思えてならなかった。

半藤が取材し、
記した言葉の一つひとつが
名もなき兵士たちへの鎮魂歌なのだ。

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澁江俊一 16年5月8日放送

160508-07

同じ人間として

今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。

終わった戦争を、どう語るべきか。
それを考えさせられる映画がある。
クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」。

当初は日本の監督を起用する予定だったが、
最後は自らメガホンを取った。
その理由をイーストウッドはこう語る。

 資料を集めるうちに
 日本軍兵士もアメリカ軍兵士と
 変わらない事が、わかったのです。

アメリカ側から描いた「父親たちの星条旗」と
ひとつの戦いを2つの映画にすることで
日米どちらも英雄にせず、悪人にもせず
同じ人間として描き抜いた傑作である。

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澁江俊一 16年4月17日放送

160417-01

最初の恐竜

今日は、恐竜の日。

恐竜の存在を最初に知らしめたのは
イギリス人医師ギデオン・マンテル。

19世紀前半に彼が見つけたイグアノドンの歯は
まわりからは哺乳類のものだと指摘され
なかなか信じてもらえなかった。

その歯が化石であることを証明するため
マンテルは地層を丹念に調べ、次々と化石を発見する。
すべてを恐竜に費やした結果、彼は破産。
知人の勧めで自宅を博物館にするが
入場料を無料にしてしまい、潰れてしまう。

まだ世界中の誰も信じていないものを、信じさせる。

そのためには自分一人の人生など惜しくないと
マンテルは、信じていたのかもしれない。

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