今夜はクリスマスイブ 桐島洋子
今夜はクリスマスイブ。
世界中でクリスマスパーティが開かれる。
パーティは苦手だけれど、
行かなくてはいけないという人へ。
昭和の文筆家で、
ウーマンリブの第一人者、
桐島洋子は、こう励ます。
よい人付き合いに勝るごちそうが
この世にあろうかと思う。
もっと欲張って、人生を、人間を、出会いをむさぼろう。
今夜はクリスマスイブ 桐島洋子
今夜はクリスマスイブ。
世界中でクリスマスパーティが開かれる。
パーティは苦手だけれど、
行かなくてはいけないという人へ。
昭和の文筆家で、
ウーマンリブの第一人者、
桐島洋子は、こう励ます。
よい人付き合いに勝るごちそうが
この世にあろうかと思う。
もっと欲張って、人生を、人間を、出会いをむさぼろう。
今夜はクリスマスイブ ロバート・メイ
1938年、アメリカ、シカゴ。
通信販売会社の広告宣伝部で
コピーライターの仕事をしていた
ロバート・メイは、娘のバーバラからこう言われた。
どうしてうちのママは、みんなと違うの?
当時、ロバートの妻は重い病気にかかっており、
その治療費でロバート一家は貧しい生活を強いられていた。
「みんなと違う。」そのことに悩む娘のために
ロバートは一つの物語を書いた。
真っ赤なお鼻のトナカイさんは
このフレーズから始まる物語は、
ロバートの従兄弟の手によって歌になり、
やがて世界に広まった。
赤鼻のトナカイは、
今も世界中で
みんなとの違いに悩む人を
笑顔に変えてくれている。
angelocesare
ペンは動く 早川良一郎
大正生まれのサラリーマン、早川良一郎。
定年をきっかけに、
趣味であるパイプ煙草についてペンを執った。
煙のように悠々と生きた人だから書ける
味わい深い文章は、自費出版ながら、
その年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。
早川は言う。
友達とホビーがあり、餓死しないんだったら、
なんで人生憂えることがありますか
eblaser
ペンは動く 魚谷常吉
料理人、魚谷常吉。
昭和初期、軍国主義の風が吹く日本で、
家庭料理の本を書いた。
最初の本である『茶料理』では、
懐石料理を、
上流階級の食べ物ではなく、
素材の味を最大限に活かすという
料理の基本に忠実なあり方としてわかりやすく紹介した。
その後も、『酒の肴』『料理読本』など、
本を通じて日本の家庭料理の充実をはかった。
ペンというやつは、
なかなか包丁のごとく思うようには動かぬもの。
そう言いながらも魚谷は、
厳しい時代の中で黙々と本を書き、
日本の家庭にたしかな幸せをとどけてくれた。
ayane.
そのとき聞こえた音楽 カラオケボックスで作家は
近頃の歌の歌詞はつまらない、
という人は多いけれど。
作家の川上未映子は
カラオケボックスで
友人達が歌う歌を聴きながら
歌詞を眺めていた時のことを
こう書いている。
画面に映るどの歌のどの歌詞も、
深くて、かみしめる意味があるように、思えてしまう。
使い古しの言葉の中にも、
見ようとすれば見える一回きりの光のようなものが、
なくもなかったりして、
全部の歌詞を、じっと見る。
どんなものも新鮮に感じる。
そのまなざしが、
作家にはある。
Tom Simpson
そのとき聞こえた音楽 ゴジラが街にやってくる
松やにのついた革手袋で
コントラバスの弦をこする音を録音し、
速度を調整しながら逆再生する。
これが、ゴジラの鳴き声の作り方。
このアイデアを出したのは、伊福部昭。
映画「ゴジラ」のテーマ音楽を世に生み出した作曲家だった。
はじめ伊福部は「ゴジラ」の音楽をオファーされた時、
そのスケールの大きさに衝撃を受けたという。
えらい事になった、こんな大きな音楽をどうやって作るか?
伊福部は脚本を読み込み、
ゴジラが誕生したという南方の地域の民族の言語、
音楽、歴史までを丹念に調べ、作曲にあたった。
そうして生まれたのが、「SF交響ファンタジー」。
ゴジラのテーマとして、日本で最も有名な交響楽となった。
あの音楽と、あの鳴き声。
長い時を経た今も、ゴジラが現れるたびに、
伊福部が生んだ音は私たちの胸を高鳴らせる。
音楽に生きるひと 小澤征爾と斎藤秀雄
世界の音楽通をうならせる日本のオーケストラ、
サイトウ・キネン・オーケストラ。
それは、
指揮者の小澤征爾をはじめ多くの音楽家を育てた教師、
斎藤秀雄先生を偲ぶ演奏会から生まれた。
常設の楽団ではないため、
全体の調和よりも、それぞれの奏者の強い個性が際立つ。
その自由闊達なハーモニーは、
新しいオーケストラの形として高く評価された。
定期的に演奏会を開くようになり、
海外公演にも招待され、
グラミー賞も受賞するなど、
世界的なオーケストラへと成長した。
小澤征爾は、斎藤先生に言われた言葉を思い出す。
伝統といっても、そこには良い伝統と悪い伝統がある。
その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。
もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ。
西洋音楽の伝統のない日本で音楽を教え続けた斎藤先生。
そこから巣立ち、世界中の良い伝統を取り入れた教え子たちによって、
世界に響く音楽が生まれることになった。
ultraswank.net
音楽に生きる人 フランク・シナトラ
フランク・シナトラ。
アカデミー賞を受賞した映画スターであり、
マフィアとの関係も噂された危険人物。
なにより、20世紀の音楽界に
決定的な影響を与えた歌手だった。
その声でファンの女性達を
失神させた若き日から、
70代になっても現役だった晩年まで、
シナトラの声は、世界中で愛され続けた。
貧しい移民の子からアメリカを代表するスターへ、
歌声だけでのしあがった彼の人生。
彼の声には、彼の人生のすべてがあった。
これは、シナトラの言葉。
傷を隠すんじゃない。その傷が、君という人間を形成しているんだ。
シナトラの声が人々の胸を打つのは、
一筋縄ではいかない人生を、
すべて受け入れてくれるような響きがあるからかもしれない。
OiMax
雨や植物や木のはなし カレル・チャペック
チェコの国民的な作家、
カレル・チャペックは、
自宅の庭の土いじりを何より愛した園芸家だった。
彼の代表作の一つに、
『園芸家12ヶ月』という本がある。
夏は日照りを心配し、
冬は春の準備に忙しい。
植物の成長を巡り一年中続く悩みや喜びは、
出版から80年以上が経つ今も
国境を超えて園芸家たちを深くうなずかせ、
人々を園芸の世界に引き込んでいる。
雨の日も晴れの日も
植物と向き合い続ける
園芸家という生き方について、
チャペックはこう言っている。
われわれ園芸家は未来に生きているのだ。
バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。
本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。
yoruwo
雨や植物や木のはなし いとうせいこう
作家でお笑いタレント、
ラッパー、作詞家と様々な肩書きを持つ
いとうせいこうには、
ベランダーという肩書きもある。
それは、庭で草木を育てるガーデナーに対抗し、
ベランダで植物を育てる自らを呼ぶために作った言葉。
都会のベランダでいかに多くの草木を育てるか。
狭いスペースに無駄なく鉢を並べる。
植物にとって快適とは言えない環境で育てるからこそ、
きちんと育ってくれた時の喜びは大きい。
彼はベランダでの園芸についてこう語る。
田舎で畑を持つのも確かにいいだろう。
だが、俺はこの暮らしがやめられねえんだ。
長年都会に生きてると、くだらないことに感動出来るからな。
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