‘佐藤延夫’ タグのついている投稿

佐藤延夫 18年8月4日放送

180804-01G_o_o_f_y  
花火について 割物

打ち上げ花火の代表的な形を割物と呼び、
「菊」と「牡丹」の2種類に分けられる。

「菊」は、中心から外に向かって長く尾をひく。
一方「牡丹」は、開花したらすぐ、特定の色になっている。
それは、花火玉の中に「引き」という火薬の層があるかないかの違いだそうだ。

余韻の残る花火がいいか、潔くパッと消える花火か。
そんなことを考えながら眺める夜空も、いいものだ。

今日8月4日は、
全国で多くの花火大会が開催される。

topへ

佐藤延夫 18年8月4日放送

180804-02

花火について 工程

花火の玉の中には、
2種類の火薬が詰められる。
ひとつは、花火を爆発させるための「割火薬」。
もうひとつは、光や色を発する火薬で、「星」と呼ばれる。
割火薬と星の間には、
お互いが混ざらないように「間断紙」という和紙を挟み、
さらに全体を「玉皮」という丈夫な紙で包み込む。
もちろん、ほとんど手作業で行われる。

花火は、夏の夜に一瞬で消えてしまう
日本の伝統工芸品なのだ。

topへ

佐藤延夫 18年8月4日放送

180804-03

花火について 浮世絵

江戸時代の錦絵を見ると、
当時の花火の様子を知ることができる。
たとえば、五雲亭貞秀による
「東都両国ばし夏景色」。
何艘もの船が隅田川を埋め尽くし、
いたるところに出店があり、
橋の上には人の群れ。
しかし、一晩に点火される花火は、
わずか20基くらいだったという。
時代は変わり、
今では2万発、3万発も珍しくない。
浮世絵師が見たら、さぞ驚くことだろう。

topへ

佐藤延夫 18年8月4日放送

180804-04

花火について 色

夜空を見上げれば、赤、青、緑。
さまざまな輝きを放つ現代の花火と違い、
江戸時代の花火は、地味で暗めの橙色だった。
その理由は明快で、
派手に燃焼する材料がなかったからだ。
当時使用した黒色火薬の原料は、
木炭、硫黄、硝石が基本となり、
やがて鉄粉や樟脳、松ヤニなどを混ぜるなど
工夫を凝らした。

マッチのように鮮やかな色を出す
強力な酸化剤、塩素酸カリウムや
金属化合物が手に入ったのは、
明治時代以降となる。

テレビの時代劇で花火のシーンに出くわしたら、
その色を見てみよう。
あまりに鮮やかな花火だったら、
それは偽りの花火だ。

topへ

佐藤延夫 18年8月4日放送

180804-05

花火のこと 歴史

日本で最初に花火を見たのは、
徳川家康、または伊達政宗、という2つの説がある。

三代将軍、徳川家光も花火を好んだが、
そのブームは庶民にまで広がり、火事が多発する。
家光は5回にわたり、花火禁止令を出す羽目になった。

両国の花火が始まったのは、八代将軍、吉宗のころだ。
大飢饉とコレラの流行で亡くなった人々を弔う水神祭が、
その始まりとされている。

多くの人が夢中になれる花火だが、
夜空を見上げる一瞬、悲しいことを忘れられるのも、花火だ。

topへ

佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-01
rinia
童謡 故郷

 兎追いし 彼の山 小鮒釣りし 彼の川

日本を代表する歌、故郷を作詞したのは、高野辰之。
しかし、この曲が発表された大正時代、
文部省唱歌に作者の名前は記載されない。

彼が、北信濃に暮らす父や母を懐しみ、
ふるさとの野山に思いを馳せた歌。
契約により、この曲の作者が誰であるか、
高野は、家族にも打ち明けることはできなかったという。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

topへ

佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-02

童謡 たなばたさま

 ささの葉 さらさら のきばにゆれる

童謡、たなばたさま。
作詞の権藤はなよは、
野口雨情に師事し、童謡や童話づくりに励んだ。
たなばたさまは、国定教科書に載せる歌として、
文部省から作詞を依頼された作品だという。

 お星さま きらきら きんぎん すなご

「金銀」というのは、夜空に広がるお星様を。
「砂子」は、金箔などを粉状にしたもので、
伝統的な装飾方法として蒔絵などに用いられている。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

topへ

佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-03
roseロゼ
童謡 どんぐりころころ

 どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変

大正時代に生まれた童謡、どんぐりころころ。
作詞の青木存義は、文部省で図書編集の仕事をしているときに
この歌をつくったという。
しかし彼の手がけた数々の唱歌は、
文部大臣の認可を受けていなかったため、
どんぐりころころが小学校で歌われるのは、
昭和初期まで待つことになる。

日本の三大童謡のひとつ、とも言われるこの歌だが、
平成になると、幻の3番が存在するという噂が流れた。

 やっぱりお山が恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた

この2番の終わり方があまりに寂しかったため、
平和な終わり方をする続編が創作されたそうだ。

童謡の中にあるシンプルなドラマは、
柔らかな余韻をまとい、愛されていく。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

topへ

佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-04
篁(たかむら)
童謡 われは海の子

 我は海の子 白浪の さわぐいそべの松原に

童謡、われは海の子。
作詞、作曲者とも不詳になっているが、
児童文学者 宮原晃一郎、
または国文学者 芳賀矢一という説が有力と言われている。

果たして、この海は、どこなのか。

宮原だった場合は、彼の生まれ故郷である、
鹿児島県の鹿児島湾。
芳賀によるものなら、福井県の海になるのだろうか。

ふたつの海を、この目で確かめてみたくなる。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

topへ

佐藤延夫 18年7月1日放送

180701-05

童謡 ふじの山

 あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして

明治時代に発表された童謡、ふじの山。
作詞の巌谷小波は、
水口藩の藩医という家柄もあり
医学への道を勧められていた。
しかし彼は進学を拒否し、文学の世界に身を投じた。
児童文学とおとぎ話を執筆する傍ら、
いくつかの唱歌を作詞している。

童謡 ふじの山は、駅の発車メロディや
防災無線のチャイムなどに採用され、
地域に愛される歌になっている。

今日7月1日は、童謡の日。
あなたの思い出の歌は、なんですか。

topへ


login