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佐藤延夫 17年10月1日放送

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住まいが語るもの/石川啄木

詩人、石川啄木は、
生涯、貧しさとともに暮らした。

啄木と妻、そして母の三人で
農家の住まいを間借りする生活。
二階の板の間が、彼らに与えられた
たったひとつの空間だった。
啄木の日記には、こう記されている。

「この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接間。」

のちに上京し、新聞社の校正係に採用された啄木は、
本郷で六畳二間の部屋を借りて創作に励んだ。
もちろん、妻と母も一緒に暮らした。

当時一階にあった床屋は、
今もなお営業を続けている。

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佐藤延夫 17年10月1日放送

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住まいが語るもの/江戸川乱歩

作家、江戸川乱歩が晩年に暮らした
池袋三丁目の住居は、
ミステリアスな彼のイメージそのものだった。

母屋の奥に、純和風の土蔵があり、
二階の書斎で多くの作品を執筆した。
彼もお気に入りの場所だったが、
冬の寒さは耐え難いものがあったという。

「現世は夢。よるの夢こそまこと。」

乱歩は家を移るごとに
住居の見取り図を丁寧に作っていた。
これも推理小説のトリックに利用したのだろうか。

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佐藤延夫 17年9月2日放送

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椅子の話 ウィリアム・モリス

サセックス・チェア。
黒塗りのブナ材を、ほぞ組みにしたシンプルな椅子。
座るところは、い草編みになっている。

この椅子が生まれたのは、19世紀のイギリス。
モダンデザインの父、ウィリアム・モリスの設立した
モリス商会が販売を始めた。
それは、大量生産や商業主義に異を唱え、
職人による手作りの作品を啓蒙するものでもあった。
ウィリアム・モリスは語る。

「役に立たないもの、美しくないものを家に置いてはならない。」

100年以上前のデザイナーは、シンプルライフを知っている。

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佐藤延夫 17年9月2日放送

170902-02
Yanajin33
椅子の話 チャールズ・マッキントッシュ

ヒルハウス・ラダーバックチェア。
梯子のようにそびえ立つ背もたれに目を奪われる。
高さは、141センチ。

1902年に誕生したこの椅子は、
スコットランドの建築家、
チャールズ・レニー・マッキントッシュによるものだ。
彼が優先したのは、使い勝手よりもデザイン。
マッキントッシュは語る。

「建築はあらゆる美術の総合であり、全ての工芸の集合である。」

ヒルハウス・ラダーバックチェアは、
座るというよりも、観賞用がふさわしい。
ニューヨーク近代美術館の所蔵作品になっている。

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佐藤延夫 17年9月2日放送

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sailko
椅子の話 ヘリット・リートフェルト

レッドアンドブルー・チェア。
名前の通り、真っ赤な背もたれに、青の座面。
この椅子は、直線と平面だけで構成されている。

作者は、オランダの建築家、ヘリット・リートフェルト。
20世紀前半、オランダでは、
芸術を急進的に革新するムーブメントが巻き起こった。
彼はその主要メンバーに名を連ねている。
作品もまた、伝統的な様式を排除し、
肘掛けが片方だけのベルリンチェア、
印象的なフォルムのジグザグチェアなど、
今までにない実験的な椅子を数多く手がけた。
リートフェルトは語る。

「建築が想像するのは空間である。」

余白を使いこなしてこそ、一流。

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佐藤延夫 17年9月2日放送

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Lars Plougmann
椅子の話 アルネ・ヤコブセン

エッグチェア。
椅子本体は、硬質発泡ウレタン製。
卵を連想させるデザインが印象的で、数々の映画にも登場している。

デンマークの建築家、アルネ・ヤコブセンは、
新素材を使った椅子を多く手がけている。
一体型の成形合板を使用したアントチェアは、
人々の注目を一身に集めた。
その後、アントチェアの奥行きと幅を広げたセブンチェアを設計。
世界で500万本以上も販売する大ヒット商品となっている。
そんな彼の言葉。

「美しいものを作るのではなく、必要とされているものを作る。」

計算され尽くした彼のトータルデザインは、時を経ても色褪せない。

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佐藤延夫 17年9月2日放送

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Jim
椅子の話 ミース・ファン・デル・ローエ

バルセロナ・チェア。
特徴は、エックス字型のフレームと革張りのシート。
オットマンとのセットがまた美しい。

1929年、バルセロナ万博のドイツ館に置かれたこの椅子は、
ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエによって
デザインされた。
当時のスペイン国王、アルフォンソ13世が来館した際に
座ってもらう予定だったが、国王は訪れなかったそうだ。
ミース・ファン・デル・ローエは、
バウハウスの3代目校長を務めたのち、
アメリカに亡命し、ニューヨークの超高層ビルを設計した。
そんな彼の言葉。

「神は細部に宿る。」
「より少ないことは、より豊かなこと。」

デザインだけでなく、数々の名言も残している。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

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FoeNyx
学者のこころ 伊藤圭介

理学博士 伊藤圭介は、
幕末から明治時代にかけて
日本の植物学を牽引した一人だ。

シーボルトと親交を深め、
彼から譲り受けた本を訳す中で、
さまざまな言葉をつくっている。
「雄しべ」、「雌しべ」、「花粉」など、
今でも日常で使われる植物学用語は、
伊藤が生み出したものだ。

シーボルトは、伊藤の功績を讃え、
アシタバ、スズランなどの学名に、
keiskeという言葉を入れている。

図鑑に名前が載る仕事。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

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学者のこころ 山川健次郎

明治、大正時代の物理学者、
山川健次郎は、白虎隊の生き残りだった。
会津藩が降伏すると謹慎を命じられたが、
越後に落ち延び学業に勤しんだ。
その後、留学生として渡米。
物理や土木工学を学び、
日本で初めての物理学教授になっている。

明治時代に世間を騒がせた千里眼事件では、
物理学者という立場で実験に立ち会い、
不審な点を暴いている。

粗末な家に住み、毎朝3時に起床。
清廉潔白で、学生思いの教授だったという。

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佐藤延夫 17年8月5日放送

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学者のこころ 藤原咲平

気象学者の藤原咲平は、
富山湾に何度も出向き、
蜃気楼のメカニズムを解明した。

海岸や湖岸で冷たい空気が停泊しているところに
陸地から温かい風が吹き込んだ場合、
水面上に冷たい空気のレンズ状の層ができる。
それにより光が屈折し、蜃気楼が発生する。
この緻密な観察には、驚きの声があがったという。

やがて藤原は中央気象台長となるが、
折しも太平洋戦争と重なり、
気象情報は軍事機密とされた。
また、新聞でもラジオでも、
天気予報の発表が禁止されている。

学者の本分も、戦争が破壊する。

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