住まいが語るもの/石川啄木
詩人、石川啄木は、
生涯、貧しさとともに暮らした。
啄木と妻、そして母の三人で
農家の住まいを間借りする生活。
二階の板の間が、彼らに与えられた
たったひとつの空間だった。
啄木の日記には、こう記されている。
「この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接間。」
のちに上京し、新聞社の校正係に採用された啄木は、
本郷で六畳二間の部屋を借りて創作に励んだ。
もちろん、妻と母も一緒に暮らした。
当時一階にあった床屋は、
今もなお営業を続けている。
住まいが語るもの/石川啄木
詩人、石川啄木は、
生涯、貧しさとともに暮らした。
啄木と妻、そして母の三人で
農家の住まいを間借りする生活。
二階の板の間が、彼らに与えられた
たったひとつの空間だった。
啄木の日記には、こう記されている。
「この一室は、我が書斎で、又三人の寝室、食堂、応接間。」
のちに上京し、新聞社の校正係に採用された啄木は、
本郷で六畳二間の部屋を借りて創作に励んだ。
もちろん、妻と母も一緒に暮らした。
当時一階にあった床屋は、
今もなお営業を続けている。
住まいが語るもの/江戸川乱歩
作家、江戸川乱歩が晩年に暮らした
池袋三丁目の住居は、
ミステリアスな彼のイメージそのものだった。
母屋の奥に、純和風の土蔵があり、
二階の書斎で多くの作品を執筆した。
彼もお気に入りの場所だったが、
冬の寒さは耐え難いものがあったという。
「現世は夢。よるの夢こそまこと。」
乱歩は家を移るごとに
住居の見取り図を丁寧に作っていた。
これも推理小説のトリックに利用したのだろうか。
Kotomi_
椅子の話 ウィリアム・モリス
サセックス・チェア。
黒塗りのブナ材を、ほぞ組みにしたシンプルな椅子。
座るところは、い草編みになっている。
この椅子が生まれたのは、19世紀のイギリス。
モダンデザインの父、ウィリアム・モリスの設立した
モリス商会が販売を始めた。
それは、大量生産や商業主義に異を唱え、
職人による手作りの作品を啓蒙するものでもあった。
ウィリアム・モリスは語る。
「役に立たないもの、美しくないものを家に置いてはならない。」
100年以上前のデザイナーは、シンプルライフを知っている。
Yanajin33
椅子の話 チャールズ・マッキントッシュ
ヒルハウス・ラダーバックチェア。
梯子のようにそびえ立つ背もたれに目を奪われる。
高さは、141センチ。
1902年に誕生したこの椅子は、
スコットランドの建築家、
チャールズ・レニー・マッキントッシュによるものだ。
彼が優先したのは、使い勝手よりもデザイン。
マッキントッシュは語る。
「建築はあらゆる美術の総合であり、全ての工芸の集合である。」
ヒルハウス・ラダーバックチェアは、
座るというよりも、観賞用がふさわしい。
ニューヨーク近代美術館の所蔵作品になっている。
sailko
椅子の話 ヘリット・リートフェルト
レッドアンドブルー・チェア。
名前の通り、真っ赤な背もたれに、青の座面。
この椅子は、直線と平面だけで構成されている。
作者は、オランダの建築家、ヘリット・リートフェルト。
20世紀前半、オランダでは、
芸術を急進的に革新するムーブメントが巻き起こった。
彼はその主要メンバーに名を連ねている。
作品もまた、伝統的な様式を排除し、
肘掛けが片方だけのベルリンチェア、
印象的なフォルムのジグザグチェアなど、
今までにない実験的な椅子を数多く手がけた。
リートフェルトは語る。
「建築が想像するのは空間である。」
余白を使いこなしてこそ、一流。
Lars Plougmann
椅子の話 アルネ・ヤコブセン
エッグチェア。
椅子本体は、硬質発泡ウレタン製。
卵を連想させるデザインが印象的で、数々の映画にも登場している。
デンマークの建築家、アルネ・ヤコブセンは、
新素材を使った椅子を多く手がけている。
一体型の成形合板を使用したアントチェアは、
人々の注目を一身に集めた。
その後、アントチェアの奥行きと幅を広げたセブンチェアを設計。
世界で500万本以上も販売する大ヒット商品となっている。
そんな彼の言葉。
「美しいものを作るのではなく、必要とされているものを作る。」
計算され尽くした彼のトータルデザインは、時を経ても色褪せない。
Jim
椅子の話 ミース・ファン・デル・ローエ
バルセロナ・チェア。
特徴は、エックス字型のフレームと革張りのシート。
オットマンとのセットがまた美しい。
1929年、バルセロナ万博のドイツ館に置かれたこの椅子は、
ドイツの建築家、ミース・ファン・デル・ローエによって
デザインされた。
当時のスペイン国王、アルフォンソ13世が来館した際に
座ってもらう予定だったが、国王は訪れなかったそうだ。
ミース・ファン・デル・ローエは、
バウハウスの3代目校長を務めたのち、
アメリカに亡命し、ニューヨークの超高層ビルを設計した。
そんな彼の言葉。
「神は細部に宿る。」
「より少ないことは、より豊かなこと。」
デザインだけでなく、数々の名言も残している。
FoeNyx
学者のこころ 伊藤圭介
理学博士 伊藤圭介は、
幕末から明治時代にかけて
日本の植物学を牽引した一人だ。
シーボルトと親交を深め、
彼から譲り受けた本を訳す中で、
さまざまな言葉をつくっている。
「雄しべ」、「雌しべ」、「花粉」など、
今でも日常で使われる植物学用語は、
伊藤が生み出したものだ。
シーボルトは、伊藤の功績を讃え、
アシタバ、スズランなどの学名に、
keiskeという言葉を入れている。
図鑑に名前が載る仕事。
学者のこころ 山川健次郎
明治、大正時代の物理学者、
山川健次郎は、白虎隊の生き残りだった。
会津藩が降伏すると謹慎を命じられたが、
越後に落ち延び学業に勤しんだ。
その後、留学生として渡米。
物理や土木工学を学び、
日本で初めての物理学教授になっている。
明治時代に世間を騒がせた千里眼事件では、
物理学者という立場で実験に立ち会い、
不審な点を暴いている。
粗末な家に住み、毎朝3時に起床。
清廉潔白で、学生思いの教授だったという。
学者のこころ 藤原咲平
気象学者の藤原咲平は、
富山湾に何度も出向き、
蜃気楼のメカニズムを解明した。
海岸や湖岸で冷たい空気が停泊しているところに
陸地から温かい風が吹き込んだ場合、
水面上に冷たい空気のレンズ状の層ができる。
それにより光が屈折し、蜃気楼が発生する。
この緻密な観察には、驚きの声があがったという。
やがて藤原は中央気象台長となるが、
折しも太平洋戦争と重なり、
気象情報は軍事機密とされた。
また、新聞でもラジオでも、
天気予報の発表が禁止されている。
学者の本分も、戦争が破壊する。
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