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その次の人生 山中幸元
戦国時代、生涯を賭けて尼子家に尽くした山中鹿介。
お家の没落を防ぐことは叶わず、悲運の武将とも言われている。
その息子である山中幸元は、
武士という身分を捨てて酒造業をはじめた。
店の名前は、鴻池屋。
住んでいた地名から拝借した。
彼を救ったのは、運とアイデアだった。
ある日、使用人が叱られた腹いせに灰を酒樽に投げ込むと、
濁り酒が透明な酒に変わったという。
これが清酒の始まりとされている。
そして、伊丹から江戸へ、馬や船による酒の大量輸送で、
事業は飛躍的に拡大した。
のちに海運業や両替商でも成功し、
鴻池は、江戸時代最大の財閥となっていた。
挫折も、幸運も、気まぐれにやってくる。
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663highland
その次の人生 上田宗箇
豊臣秀吉に仕えた武将、上田宗箇。
武芸に優れ、一番槍の猛将と恐れられる一方、
千利休、古田織部の門下となり、
茶の湯や作庭にも傾倒していった。
関ヶ原の戦いで破れ出家すると、
造園の依頼が舞い込む。
徳島城表御殿の庭園や、
和歌山城西の丸庭園などは彼の手によるものだ。
その後、再び召し抱えられ、数々の武勲をあげつつ
晩年は茶の湯、作陶など悠々自適の余生を過ごしたという。
身を助けるのは、やはり一芸なのだ。
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天才の嗜好 オリヴァー・ヘヴィサイド
イギリスの物理学者、オリヴァー・ヘヴィサイド。
電子回路設計と電磁気学のベクトル解析の基礎を築き、
1912年には、ノーベル賞の最終候補にまで残っている。
薄茶色の髪、口ひげをたくわえ
鋭い目つきをしており、見た目は英国紳士。
そんな男だが、変人だった。
極度の人嫌いで、部屋に閉じこもったまま。
食事はトレイに乗せてドアの前に置くように命じた。
暗闇を好み、締め切った屋内での作業を愛し、
さらにその部屋を、うだるように暑くした。
天才とは、紙一重なのである。
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天才の嗜好 サミュエル・ジョンソン
18世紀の作家、サミュエル・ジョンソン。
シェイクスピアにまつわる多くの著作や、
英語辞典の編纂などで名を馳せ、
当時のイギリスで彼を知らない者はいなかった。
そんな男だが、変人だった。
食べ物を目の前にすると、飢えたライオンのように貪り食う。
また、道を歩きながら全ての柱に触り、
ドアを開ける際には、決まった歩数ぶん離れたところから飛び込んだという。
ただ、独特のユーモアは持っていた。
彼の英語辞典の一部を紹介しよう。
麦:イギリスでは馬の餌になっている穀物だが、
スコットランドでは人間の食料になっている。
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天才の嗜好 ジェレミ・ベンサム
イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサム。
彼の才能は幼少期に開花した。
3歳でイギリスの歴史を理解し、
5歳でギリシャ語とラテン語を読み、
15歳でオックスフォード大学を卒業した。
彼の発表した、政治と経済に関する数多くの著書は、
政治家を唸らせるほどのものだったという。
そんな男だが、変人だった。
彼の友達は、おびただしい数のネズミで、
放っておけば何時間でも撫でていたそうだ。
そして家庭用品に人間の名前をつけた。
ティーポットは「ディック」、
ステッキは「ダップル」と呼んでいた。
彼のミイラ化した遺体は、ロンドン大学に展示されている。
もちろん彼の遺言どおりの処置である。
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天才の嗜好 ヘンリー・キャベンディッシュ
イギリスの物理学者、ヘンリー・キャベンディッシュ。
彼の研究は多岐にわたり、その功績はあまりに輝かしい。
水が元素ではなく、水素と酸素の化合物であることを発見した。
火薬の発火防止法や、金合金の物理的性質。
オーロラの高度を調べ、ヒンズー教の暦を復元し、
地球の重さまで測定した。
そんな男だが、変人だった。
史上最高の科学者のひとりだが、
史上最高にシャイな性格で、
会話中に彼の顔を覗き込むことは禁じられた。
もちろん交友関係も一切なく、
親密と言われる甥ですら1年に30分しか会うのを許されなかった。
特に女性に対して内気で、
家政婦にもメモを残すだけだったという。
そして彼は、一冊の本も出さず、
研究の多くを発表しないままこの世を去った。
誰も彼の心の中を知ることはできない。
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天才の嗜好 リチャード・カーワン
アイルランドの科学者、リチャード・カーワン。
科学、法律、論理学をはじめ
さまざまな研究に従事したが、
彼を一躍有名にしたのは、
天候を予測するシステムの開発だった。
過去のデータと数学的アプローチによる予報は、
現在でも多くの分野で応用されている。
そんな男だが、変人だった。
食事はハムとミルクだけ。
恐ろしいほどハエを憎んでおり、
ハエの死骸を持ってきた人には金まで払ったという。
そして風邪をひかないためにあらゆる対策を講じたが、
79歳のとき、風邪の合併症でこの世を去った。
なぜか断食で治療していたそうだ。
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名もなき人たち 名無しの権兵衛
その男、いつ生まれたかはわからないが、
かなりの有名人である。
実は、夏目漱石の「我輩は猫である」にも登場している。
彼の名は、名無しの権兵衛。
名前はあるのに、なぜか名無しの権兵衛と呼ばれる男だ。
ひとつわかっているのは、
その昔、地方出身者に多い平凡な名前だった、ということ。
それが悪かったのか、江戸時代の遊郭には、
たくさんの名無しの権兵衛がいた。
政府の目を逃れるため、遊女に男性の名前をデタラメにつけたからだ。
ちなみにこの男、英語の国では、John Doeと名乗るらしい。
今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。
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名もなき人たち 与次郎兵衞
与次郎兵衞。別名、弥次郎兵衛とも言う。
もともとは京都で、人形を見せて歩く人のことを
与次郎兵衞といったそうだ。
人形とは、指先にちょこんとのせると、
重りでバランスを取る、あれのことである。
いつの間にか、人形の名前として市民権を得るようになった。
小林一茶に、こんな句がある。
蝶々や 菜の葉にとまる 与次郎兵衞
ところで、なぜ与次郎兵衞が、弥次郎兵衛になったのか。
それは、東海道中膝栗毛の登場人物、弥次さんが影響している、
とも言われる。
今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。
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名もなき人たち 与太郎
江戸落語でおなじみの人物、といえば与太郎である。
どことなく のんびりした性格で、
親孝行の息子であったり、大工であったり、
さまざまな役を演じ分けている。
与太郎のすごいところは、
活躍の場が落語の世界だけではなかったことにある。
島崎藤村の小説「破壊」には、与太が登場する。
残念ながら、愚か者のたとえとして。
落語ではない与太郎は、
嘘つき、でまかせ、いい加減、など
あまり素行の良い人物とは言えないようだ。
今日は4月1日。名無しの花子がお伝えしました。
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